天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

4年間議員宿舎で一緒の娘が政治世界を嫌にならなかったのか語る田村厚労大臣は私大学同窓後輩と今初知見す

2021-03-31 13:50:32 | 日記
今日の日記は、札幌自宅に転送されてきて私の出身大学広報誌で初めて知った、菅内閣の田村憲久厚生労働大臣が同じ大学の後輩だったという、私の全くの無知ぶりがよく分かった驚くべき彼の経歴事実です。添付した写真は、その広報誌『ちばだいプレスVOL.54WINTER』の表紙です。
この本日届いた広報誌の表紙の二人を私は見ていて、付属の病院長が登場するから、その所轄の大臣も同席してお互いに対談しているのかと安易に思っていました。しかし、その対談での田村大臣の経歴を読んで、私は驚愕しました。そこには、「1964年三重県生まれ。1988年、【千葉大学法経学部(現法政経学部)卒業】。」とあったのです。
田村大臣は、お顔と名前だけは知っていましたが、どこの大学を卒業したのかまでは、私は全く今まで知らなかったです。彼が所属する派閥も、私の大嫌いな石破派だった事も災いしていたと、自身の全くの不勉強ぶりに今強く反省しています。
また、今日のニュースでは、厚生労働省の官僚不祥事の責任を取って、自らの大臣報酬を2か月間自主返納すると、報道されていました。とても潔い行動だと思い、私は強く理解しています。さらに、大学のこの後輩を、今度からはちゃんと応援したいと、私は強く思っています。
また、この対談の中で、田村大臣は自身の娘さんの事を、『娘は大学時代に、4年間私と一緒に議員宿舎で生活していたのですが、よくこういう世界が嫌にならなかったなと思います(笑)。』と、とても嬉しそうに語っていました。
私の日記でも投稿していますが、森元首相が、河村元官房長官の議員宿舎事務所の高齢女性秘書をパーティーで紹介していました。その発言が、またもや女性蔑視だと叩かれてしまいました。だから、森元首相は、この高齢女性秘書ではなく、田村大臣の娘さん(現在TBSアナウンサーの田村真子さん)を話題しておけば、良かったのにと、私は今強く思っています。
そして、私自身も未だ全くの未熟者であり、世の中の事でよく知らない事が未だに多くある事を痛感しました。だから、これからも一層勉学に、私は精進するつもりです。
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