天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

2,000回目投稿記念:2008年8月20日盆興行楽日西野さゆき・匠悠那嬢よりつがい鶴図柄振袖頂戴す

2019-12-21 14:32:46 | 日記
今日の今年冬至前大安の日記は、2009年8月19日私のブログ開設以来3,776日目の、ちょうど投稿2,000回目になる記念版です。
その投稿は、このブログ日記の開始趣旨でもあったストリップ界の踊り子:西野さゆき嬢・匠悠那嬢(注:両名共、既に引退されているので、今回は記念版に付き芸名表示)から、2008年8月20日某渋谷劇場楽日で頂戴した、ステージ演目用衣装の一部端切れ(色打掛の振袖)の事です。
添付した写真は、その頂戴した着物で、つがいの鶴と赤や紫・肌色の牡丹を色鮮やかに描いた振袖の一部(横35cm・縦45cmの着物一部で、ステージ写真と照合すると西野嬢衣装のものか?)です。その図柄の鶴は「鶴は千年」と言われますが、頂いた鶴はつがいですので、二千年になります。だから、今回の2,000回目に、とても相応しいと思い私は投稿しました。また、鶴は私の名字の一部なので、より深い因縁があります。
この11年と4か月前の某渋谷劇場のお盆興行(「夏祭りでありんす」のスペシャルチームショー)で観劇した西野さゆき嬢(2003年9月13日初鑑賞以来、2009年5月10日突然の引退まで240回観劇)と匠悠那嬢(2003年9月27日初鑑賞以来、2009年8月8日予期せぬ劇場追放まで212回観劇)は、ほとんど同時期に私が強く応援していた踊り子さんです。私がストリップ劇場の理不尽な追放が無ければ、匠悠那嬢の観劇回数は、引退した西野さゆき嬢の240回観劇記録を軽く抜き去ったと、今でも私は確信しています。
「継続は力なり」と巷間いわれますが、当時の私は、それほどまでもストリップ界の踊り子嬢に夢中(当時はまだ天命を知る齢だったからより精力的)になっていたのです。今では、当時の劇場での私の行動・出来事を思い出しては、「昔は元気だったな~」と感嘆する始末ですが。
でも、この振袖の図柄の御目出度い長寿の「つがいの鶴」と「百花の王」と呼ばれ富貴や幸福の象徴される「牡丹」を、二人の応援していた踊り子嬢から私は頂戴したのです。だから、私は元気印をもう一度出して、ブログ日記の3,000回投稿を目指して一層奮起したいと、今強く決意しています。


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