天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

理不尽な迫害を受け利用できなくなった某劇場の回数券残分を使い切った時がもう劇場が”用無し”と私は変節

2011-05-11 20:49:04 | 日記
今日の日記は、2009年5月10日札幌某ストリップ劇場を観劇する為、購入した入場用『回数券』(6枚入り20,000円)のことです。添付した写真は、その現物です。
私は、その当日劇場窓口で、いつも利用している回数券(一回観劇当たり3,300円程度になる)を前日に使い切ってしまったので、新たに20,000円を支払って6回分観劇できる『回数券』を買うか?、一回観劇だけの早朝割引4,000円の少額な現金を支払うか?とても悩みました。
何故なら、この札幌の姉妹店である渋谷店が、営業停止処置により当時休館していたからです。再度、この札幌に来られるか?不確定だからどうしようか?私はとても悩みました。
でも、この回数券には、決まった使用期限がありません。だから、渋谷店が再開したら残りの券(5回分)を利用すればいいと考えて、結局20,000円の回数券を窓口で購入しました。
しかし、その時私には、まだ微かな不安があったのも確かです。それは、その年の初めからこの劇場に巣食っている悪行客らが繰り広げた「私をこの劇場から排除する不穏な動き」があったからです。だから、この劇場の出入り禁止になるかも?との一抹の不安を完全に消え去ることが出来なかったのです。
そして、その私が抱いていた不安が、購入した数日後、悲しいことに見事に的中してしまったのです。今、私の手元には私が『塩の人』でいる限り、まったく利用できない『回数券』が残っています。
昨日の日記で、私は「彼女(私が劇場で240回も観劇応援していた2年前に引退した某踊り子嬢)のいなくなった劇場は、2年後私が『塩の人』でなくなっても、もう私には”用無し”です。」と書きました。でも、この劇場の『回数券』の残り分を完全に使い切った時がこの劇場が”用無し”になると、今日私は変節しました。
何故なら、悪行客らの理不尽な迫害を黙って認め、劇場から尻尾を丸めて逃げ出した負け犬には、私は決してなりたくないからです。

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