インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

芥川賞と直木賞が選ばれる。

2008-01-17 03:22:59 | 考えるインディオ
  第138回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に川上未映子(みえこ)さん(31)の「乳(ちち)と卵(らん)」(文学界12月号)が、直木賞に桜庭一樹(さくらば・かずき)さん(36)の「私の男」(文芸春秋)が選ばれた。中国人で初の芥川賞候補となった楊逸(ヤン・イー)さん(43)は次点で受賞を逃した。副賞は各100万円。授賞式は2月22日午後6時から、東京・丸の内の東京会館で開かれる。
                       (朝日のニュースより)

 シンデレラが二人誕生した。なぜ彼女たちが選ばれたのか、知る由もないが、運が良かったのだろう。

 素人であるが、物書きの一人として、上手い書き手ならゴロゴロいることを知っている。たぶん、選ばれた二人の小説より優れたモノはゴロゴロあるだろう。スポーツや学業と違って、小説に優劣はつけられない。もちろん、文章・ストリーテリング・発想など客観的に採点できる部分も多い。しかし、最終的には選考者の趣味の問題である。

 インディオは逆に落選した楊逸(ヤン・イー)さんの作品を読んでみたい。

 ニュースで取り上げられた事件だけが、世の中の事件ではない。事件はゴロゴロ存在している。たまたま明るみに出たか、取り上げられただけの話である。重要でない事件が新聞に載り、切迫した事件は取り上げられず、知る人ぞ知る。新聞に載った事件の事情でも、隠された裏側の部分まで踏み込んでいるとは限らない。

 報道された事柄は、信頼できない。自分の目で見て、体験したことを信頼すべきである。小説もしかり。絶賛されているものを読んでも、大したことがなかった場合も多い。やはり読み手が違うから評価が違うのである。

 女子高生の書いたものは、女子高生に評価されやすい。インディオのようなおっさんが「素晴らしい!」といったところで、それはお世辞でしかない。

 つまり小説とは、書いた人間の人生経験の域内を出ない、ということだな。