田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

雪上ハイク in 宮丘公園 &(西野市民の森)

2021-02-18 17:30:41 | スノーシュートレック & スノーハイク

 本日の総歩行距離18.6キロ。久しぶりのロングウォークに疲労困憊で家に帰り着いた。それなのに目的は達成できなかった。原因は偏に私のリサーチ不足と準備不足にある。反省しながら本日の行動を振り返ってみたい。

 氷瀑巡りの最後と決めている恵庭渓谷の「モイチャン滝」行は私の予定と天候が噛み合わず延び延びとなっている。本日もイマイチ安定しない天気予報のため、近場で以前から温めていた「宮丘公園」から「西野市民の森」を縦走しようと出かけることにした。両者ともに比較的住宅街から近いところにあるので、多くの市民が利用しているため固雪になっていると予想し、スパイク付き長靴で出かけた。

  

  ※ 「宮丘公園」のマップです。私は北端の見晴広場のところから公園に入り、島南端の使用年野球場のところに降り立ちました。

  

 ※ 「西野市民の森」のマップです。宮丘公園のところにある入口が見つけられませんでした。

 予定としては「宮丘公園」の北端から入り、公園を縦断して公園のマップで少年野球場というところに降り、そこから「西野市民の森」の北端に取り付き、市民の森を縦断して「西野西公園」に降りる予定だった。

  

  ※ 「宮丘公園」の北端の入口標識です。

 地下鉄で「宮の沢」駅まで行き、駅からそれほど遠くない「宮丘公園」の北端から公園に入った。公園内は予想通りにそれなりの人たちが行き来しているようで踏み跡が固く踏み固められていてツボ足で歩くのに不自由はしなかった。途中で数人の人とも行き交った。時間にして4~50分。予定通り公園の南東端に位置する少年野球場に降り立った。

  

  ※ 「宮丘公園」の下を北1条宮の沢通りの車道が走っています。

  

  ※ 「宮丘公園」内の遊歩道です。

 ここから難渋を極めた。「西野市民の森」の入口が分からないのだ。公園内に掲示されている案内板に「西野市民の森」の文字は一切記されていない。私は近くので雪かきを人たちに聞いたのだが、確かなアドバイスは得られなかった。それでも親切な方がいて「ここを行くとあるいは」的な助言があったので、それを頼りに進んでみるも、入口らしきものは見当たらなかった。最後のいただいたアドバイスは、「雪山を上っていけば遊歩道に行き当たる」というアドバイスだった。天気も良くなり、時間にも余裕があったので、道なき道を山に向かって進んでみたが、膝まで埋まる雪には勝てなかった。スノーシューを持参していれば、と悔やむばかりだった。

  

  ※ なんとか「西野市民の森」の遊歩道を見つけようと頑張りましたが、ご覧のような深雪に苦しめられ、断念しました。

  

  ※ 断念して振り返ると、西区の住宅街が眼下に広がっていました。

 ここで私はいったん諦めて街へ戻ろうとしたのだが、「はっ!」と思いついて、住宅街を横切り「西野市民の森」の中間点にある「西野浄水場」のところから市民の森に入ろうというアイデアが閃いた。浄水場からの入口は比較的簡単に見つけることができた。そこから分岐点目ざして登って行ったのだが、分岐点についてみると市民の森を歩いた跡がまったく見えないのだ。つまり「西野市民の森」を冬期間歩いている人はほとんどいないらしいということが分かった。これではツボ足で進むことはできない。私は「西野市民の森」を歩くことを断念した。

  

  ※ 「西野市民の森」の浄水場入口のところの案内板です。

 それから我が家までの道のりの長かったこと…。雪道を歩き続けることおよそ2時間半、 疲労困憊で我が家に辿り着いたのだった。

 さて、敗因である。まず、リサーチ不足の点である。「宮丘公園」から「西野市民の森」への連絡線があることになっているのだが、札幌市の発行する公園マップでも、市民の森マップでもそのことがはっきり示されていない。また、現地の案内板も両者の連絡線については示されていないのだ。唯一、「西野市民の森」のマップに「宮丘公園」の文字が見えるが詳しくは明示されていない。管轄は同じ「みどりの推進部みどりの管理課」なのだから、そのあたりなんとかならないのだろうか?今回私はそのあたりをもっと探って確かな情報を得てから出かけるべきであった。

 準備不足に関しては、ツボ足で大丈夫と踏んだが、ここはやはりスノーシューを準備して臨むべきであった。「氷瀑巡り」でほとんどスノーシューを必要としなかったために油断をしていた。素直に反省したい。

 今回は躓いたが、できれば今冬中にリベンジしたいと思うが、「西野市民の森」をほとんど人が歩いていなかったことが気がかりである。さて、どうしょう??

 


映画 アイガー北壁 №301

2021-02-17 17:40:26 | 映画観賞・感想

 2008年制作のドイツ映画であるが、実話に基づいた悲劇の物語である。アイガー北壁というと、私にとって因縁浅からぬところである。というとやや大げさにも聞こえるが、私にとって忘れることのできない山(壁)であることには違いない。

 ※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借したものである。

       

 1月31日(日)、 BSテレビ東京(BS7ch)映画「アイガー北壁」が放送(映?)された。それを録画しておいたものを昨夜観た。

 私は「アイガー北壁の映画」と聞いて、おそらくアイガー北壁の初登攀を描いたものだろうと思っていたのだが、実際には登攀に失敗する映画だった。

      

   ※ 写真は夏のアイガー北壁だと思われます。しかし、北壁は冬同然の厳しさです。

 時代はドイツにおいてナチスが権勢を奮っていた1936年、ベルリンオリンピックの直前である。当時アイガー北壁は、まだ誰も登頂したことのない難壁として有名だったが、ナチスはドイツ人の初登頂を強く望んだ。そして、ドイツ人の優秀性を世界に示そうと成功者にはオリンピック金メダルの授与を約束した。ドイツ人の中では優秀なクライマーとして名を知られていたトニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーは周りからの声に押されるようにして北壁への挑戦を決意した。      

 しかし、初登頂を狙うのは彼らだけではなかった。同時期に相前後してオーストリア隊の二人も初登頂を狙っていた。ところがオーストリア隊の一人が登攀中に落石を頭部に受けたことが悲劇の始まりだった。結局はドイツ隊を含めた4人は負傷者のために登頂を諦め、下山中に起こった雪崩や極寒(初登頂を狙ったのは夏ですが、北壁は冬同然です)のために次々と命を落とし、絶命してしまったのである。

      

  ※ 当時の登山者の様子ですが、現代と比べてかなり貧弱で寒さ対策も万全ではありません。

   ヘルメットも装着していませんね。

 アイガー北壁は結局、彼らの悲劇から2年後の1938年イタリア人の登山家ハインリッヒ・ハラー等によって初登頂されたという。

 映画は創作だったにも関わらず、迫真に満ちた映像であり、演技だったように見えた。観ている者にとっては作りものではないと思わせるほど惹き付けるものがあった。また当時は、富裕階級の人たちが北壁の麓のホテルに陣取り、豪華な食事やワインを楽しみながら壁を命がけで攀じ登る登山者を見物するということが当たり前のように行われていたようだ。

     

   ※ 彼らの登攀の様子を麓のホテルのテラスから見守る富裕者や新聞記者たちです。

 それにしても民放の宿命とはいえ、映画の途中でCMが入ってしまっては、せっかく見入っていても途中で興を削がれてしまう。テレビで映画を観るのにはやはりNHKが適しているようだ。(私はけっしてNHKの回し者ではないですよ!)

 ところで私とアイガー北壁である。拙ブログで何度か触れているが、私は1968年から1969年にかけてヨーロッパ、中近東、アジアの国々を放浪して歩いた経験がある。そうした中、1968年の11月下旬にアイガー北壁の麓の村グリンデルワルドのYH(ユースホステル)に3連泊した経験がある。その際の強烈な印象として、村に朝が来て太陽が出るのだが10時くらいになると、太陽がアイガーの壁に隠れてしまい肌寒さを感ずるのだが、やがて午後2時を過ぎたあたりから、また壁の向こうから太陽が顔を出すという経験をした。それくらいアイガーの北壁は麓の村のグリンデルワルドに覆いかぶさっているように聳えていた。

 時は移りそれから17年後の1985年に私はスキー旅行で再びアイガー北壁を訪れることができた。この時はグリンデルワルドではなく、もう少し登山電車で下りたインターラーケンという街に宿泊し、ベルナーオーバーランドというアイガー北壁を中心とするスキー場で3日間滑りまくった思い出がある。その時もアイガー北壁を真向かいにしたスキー場でアイガー北壁に向かって滑ったことが強烈な印象として残っている。

 素人目からしても、垂直に聳え立っているとしか見えない北壁を登るなんて人間業じゃないと思わせてくれる壁だったが、そうした壁をよじ登ることを生き甲斐としている人にとっては挑戦しがいのある壁ということなのかもしれない…。


講演会「2021年の経済動向と投資トレンド」

2021-02-16 16:09:51 | 講演・講義・フォーラム等

 講師の岸氏はなぜあのような暴言を発したのだろうか?氏の気に食わない相手に対して「クソ」とか「アホ」などと評し、おまけに「てめえの身は、てめえで護れ」など聞くに堪えない言葉遣いは、私の岸博幸観を根底から覆すものだった。岸氏のお話には耳を傾ける内容もあったのだが…。

            

 前日(2月13日)の長谷川幸洋氏の講演に続いて、翌14日午前、同じくロイトン札幌において「道新資産運用フェア」、「道新不動産投資フェア」において慶大教授の岸博幸氏の講演があり拝聴した。岸氏は2021年の経済動向と投資トレンド」と題して講演された。

   

 私には不動産もなければ、今さら資産運用に興味があるわけではない。しかし、中央で活躍する(?)言論人が講演するのを直接伺うことは、参考になることこそあれ無駄なことではあるまいと考え、お二人の講演を拝聴しようと思ったのだ。

 岸氏は日本のコロナ禍対策の話から入った。岸氏は、我が国が緊急事態宣言を一か月延長したのは医療崩壊が危機的状況にあったためだとし、厚労省の愚策を「クソ」と罵り、西村経済再生大臣を「アホ」と片付けた。つまり医療崩壊の危機を招いたのは厚労省と西村大臣、そして小池東京都知事だと非難した。さらには日本医師会が重障者ベッドの増加策に非協力なことも併せて非難した。岸氏から見ると、政府をはじめとして関係者の対応に腹を据えかねたのだろうが、あまりの言葉の汚さに聴いている私は辟易してしまった。私は言論人としての岸氏をそれなりに注目していたつもりだったが、こうした言葉遣いを聴いて果たして正当な言論人と考えていいのだろうか?と疑問を抱いてしまった。他の聴衆はどんな思いで岸氏の言葉を聴いていたのだろう?

 次に東京五輪問題だが、岸氏の見立ては「間違いなく実施する」ということで、前日の長谷川氏とは真逆の見立てをしてみせた。その理由として、IOCはグローバルなビッグビジネスを展開していて、中止に出来るはずがないという。また、菅政権としても支持率アップのためにも是が非でも実施したいと考えているとした。岸氏はまた傍証として、アメリカでは日本以上のコロナ禍の中でもプロスポーツが実施されているではないかと指摘した。

また、森喜朗氏の問題発言については、一部メディアと一部野党が問題拡大を図ったと指摘したが、この指摘はややうがち過ぎではと私は聞いたのだが、果たして??

 続いて岸氏の専門(?)である経済問題に話は移っていった。我が国のコロナ禍はワクチン効果により、やがてウィズコロナの時代からアフターコロナの時代へ移行していくであろうが、日本経済が立ち直るには時間がかかると見通しを語った。それは、日本経済は欧米と比較して生産性が低いことにあると指摘した。経済に疎い私は生産性が低いということがどのようなことを表すのか定かではないのだが、岸氏は次のようにも指摘した。「日本の潜在成長率はアメリカの半分である」と…。その証拠として、12年前のリーマンショックに遭遇した後の日本経済の立ち直りは世界でも最も遅いとした。(空白のうん十年?)

    

 したがって日本経済の再生の見通しは暗いという。そのため、日本国民のコロナ後の暮らしは、経済の先行き以上に暗いと岸氏は予想する。現在でも世界一の借金国とされる我が国は、将来の増税は避けて通れるはずはなく、就労者の75歳定年制は常例となり、社会保障の仕組みは危うくなるとした。医療費、介護費、保育費の自己負担割合は増加し、国が国民を護ってくれる割合が減じられてくるという。つまり日本の将来、人々の生活は岸氏に言わせると「てめえの身は、てめえで護れ」ということだと述べた。

 その対策として岸氏は大きく二つの提案をした。一つは、自己収入の増加策、そしてもう一つは自己資産の運用、だという。自己収入の増加策とは、個々人のキャリアの中でできるだけ多い収入を得る努力をせよ、ということのようだ。二つ目の自己資産の運用は、文字どおり自らの資産の運用を図り資産を増やせ、ということだ。その自己資産の運用について、岸氏の助言は「長期投資と分散投資を徹底すること」とし、その理由を述べて「ともかく小額から始めてみよう!」と述べ講演を終えた。(その後、会場との質疑応答で2~3のやり取りがあった)

 さて、岸氏の言葉遣いの酷さだが、私には不可解でたまらない。なぜ公衆の面前であのような言葉遣いをしたのだろうか?時折りマスメディアに登場する言論人(と称するに相応しいかどうか議論のあるところだが)の中に、破天荒な言論を展開する方が見受けられるが、それは敢えて自らキャラ立ちすることによって、マスコミ界を泳ごうとする狙いが見て取れるが、まさか岸氏もそれを狙っているわけではないと思うのだが…。

 


札幌麺紀行 134 銀波露 北円山店

2021-02-15 16:23:55 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行

 味がぎっしりと詰まった濃厚なスープは絶品である!そのスープが細麺に絡み、幸せ感いっぱいである。しかし、その濃厚さゆえに年配の私にはやや辛い思いをしたのも事実だった。              

 このところシリアスな話題が続いていたので、時には脱力系の話題を投稿することにしたい。

 江別市を本拠地とする「銀波露」は江別市在住の友人に紹介されて以来、江別本店、月寒店などを食べ歩いていたが、昨年11月末に我が家からほど近い北円山に出店したことで早く体験したいと思っていた。

 昨日、妻と考えが一致して待望の「銀波露 北円山店」初訪問となった。

   

  ※ 「銀波露 北円山店」の外観です。建物の右側に18台が駐車できる駐車場があります。

 北円山店は、ラーメン店「味の時計台」が撤退した後を居抜きで開店したと言われているが、2階に出店していた焼肉店の店舗も「銀波露 北円山店」としたほか、店の横に18台もの駐車場を完備したところが大きな改善点である。(ある週末に訪れようとした際はその駐車場が満杯だったこともある)

   

 ※ 二階席です。私たちが訪れた時は全体が空席だったが、帰るときには数席が埋まっていた。

 この日は日曜日だったが、幸い駐車場には空きがあり、入店すると一階は満員のため、二階席に案内された。壁に掲示されたメニューから、妻は「海苔玉醤油らぁめん」(950円)を、私は「葱玉醤油らぁめん」(980円)を注文した。ちょっと驚いたのは、二階席だしラーメン(ここではらぁめんとは書かない)が出てくるまで少しは時間がかかるだろうと考えていたところ、待つ間もなく出てきたのには驚いた。スタッフがたくさんいるということだろうか?さらには接客のスタッフの対応もほかの店とは違った心配りが行き届いた対応は好感が持てた。

   

   ※ 壁に掲示されていたメニュー表です。

   

   ※ 妻が頼んた「海苔玉らぁめん」です。

   

   ※ 私が頼んだ「葱玉らぁめん」です。

 さて、肝心のラーメンの方だがリード文で表現したとおりである。他のラーメン店とは一線を画したスープの味はぜったいお勧めである。ただ、その濃厚さゆえにお年寄りには最後まで美味しく味わえるか否かは定かではない。(私には最後はややきつかった)

 メニューを見てみると、トッピングなどがあっさりとしたベーシックな「香ばしらぁめん(醤油、塩、味噌)」(730円)を「少な目麺」(-50円)が適当かな?と思えた。次回訪れた際には、それを注文してみようと思う。

        

  ※ 店内のあちこちに、銀波露のこだわりを示すようなポスターが掲示されていました。

 ただ、それはあくまで私たちのような年配者の話であって、若い人たちには「銀波露」の濃厚なスープは大受けなのではないだろうか?とお店の繁盛ぶりからうかがわせてくれた。

【らぁめん 銀波露 北円山店 概要】

札幌市中央区北5条西19丁目

電  話   011-676-7004   

営業時間   11:30~21:00

定休日    無休

座席数    54席

駐車場    有(18台)

入店日   ‘21/02/14


講演会「新型コロナ後の世界と日本を展望する」

2021-02-14 17:45:44 | 講演・講義・フォーラム等

 講師を務めたジャーナリストの長谷川幸洋氏は、魑魅魍魎が跋扈する政界の動きを分かりやすく伝える術には優れていると思えた。しかし、お話の中には頷ける点も多々あったが、「そうかなぁ?」と首を傾げざるを得ないところもあった講演会だった。

          

 昨日午前、ロイトン札幌において「道新資産運用フェア」、「道新不動産投資フェア」が開催され、そのイベントの特別講演としてジャーナリストの長谷川幸洋氏「新型コロナ後の世界と日本を展望する」と題する講演を拝聴した。長谷川氏のことはNTV系列の番組「そこまで言って委員会」の論客の一人として出演されているのを何度か伺ったことがあった。

 お話は、いわゆる前東京五輪組織委員会々長の森喜朗氏の問題発言のことから入った。森発言問題について、長谷川氏は発言そのものについて論評することはなかったが「あの発言は森氏の本音である」とだけ話し、国内の反応はやや行き過ぎではないかと指摘した。

 長谷川氏は森発言を直接問題にすることはなく、今年7月開催予定の「東京五輪はできない」と断言した。それは五輪開催時にコロナ感染の第4波が到来することを理由に挙げ、「ワクチンが来ない、足りない」状況にあるとした。

 ただ、日本は「人類がコロナに打ち勝った証としての東京五輪」と謳い、開催を明言している以上、日本から中止を言い出すことはあり得ない。問題はバイデン米大統領が「東京五輪は科学的に決めるべきだ」と発言したことから、アメリカの動向によって開催断念に追い込まれるのではないか、との見通しを語った。

   

   ※ 会場のロイトン札幌のホールです。   

 続いて支持率の下落を続ける菅政権の見通しについて語った。長谷川氏は「菅政権は首の皮一枚残して続くだろうし、続いてほしい」と見通しと共に、自らの願望も語った。その理由として、野党が一枚岩にはなり難く、自民党が下野することは考えにくいからとした。

 ここで長谷川氏は独特の見解を示した。それはもし菅政権が倒れた場合の後継総裁として名前があがっている諸氏は「帯に短し襷に長し」の存在で、意外な存在として元総裁のA氏の名前を挙げた。それはA氏は「自分の言葉で話せる」人物だからとした。

 講演の最後に、世界を二分しようとしている「アメリカ」と「中国」の存在について触れた。

 アメリカは、バイデン新大統領が「中国は重大な競争相手」として、同盟国、友好国と共に対峙するとしているが、気候変動問題では手を握ることもあり得るとし、トランプ前大統領のような強いメッセージを出しえないとした。

 一方中国は、現世界はアメリカが作った世界であり、その枠組みを中国が中心の世界へと変えようとしている、とした。

 ここまでは納得できたのだが、ここからが長谷川氏の独特の見方ではと思われたところである。長谷川氏は「中国には内部崩壊の兆しが見える」としたことである。その理由として、中国共産党の幹部の多くは汚職による不正蓄財をして米ドルを貯めこみ、老後をアメリカ・カルフォルニアで生活することを夢見ているという。そうしたことが明るみに出て、内部崩壊に至るというのだが…。

 確かに長谷川氏の言うように、汚職が蔓延したり、不正蓄財をしたりという事実が一部にはあるのかもしれない。しかし、それが大国中国全体に蔓延しているとは考えにくいと私は思うのだが…。「中国がいずれ崩壊する」という言説は、もう何十年も前から言われ続けてきたと私の中には刻み続けられている。しかし、いっこうにその気配は見えずに大国の道を歩み続けているように思われる。もし、長谷川氏が言うようなことがまことしやかに日本の中枢で語られているとしたら、それは対中国に対する対策の行き詰まりを自ら語っているようにも見えてくる。

 中国のような一党独裁の国が国民にとって幸せな国だとは思わない。中国が世界の覇権を握ることで世界平和に寄与するとも思えない。世界の民主主義国が小異を捨て大同に就くことで全体主義国の中国に対峙していくことではないか、と思うが長谷川氏に言わせたら「素人が何を言うか」と鼻でせせら笑われるだけかもしれない…。

 のほほんと日々暮らしているお爺ちゃんには久々に頭の体操ができた講演会だった。


続・坂口一弘氏の訃報に接して

2021-02-13 16:27:53 | その他

 故坂口一弘氏のブログ「癌春(がんばる)日記 by 花sakag」に奥さまが投稿された。愛情あふれる素晴らしい一文に私は涙を禁じえなかった。その一文をお借りして掲載させていただきながら、再び坂口氏を偲びたい。

 本日に至っても坂口氏の訃報から立ち直れないでいる私である。そんな私より十倍も、百倍も哀しいであろう坂口氏の奥さまが私たち坂口ファンを慮って、気丈にも坂口氏のブログに一文を寄せてくれた。その一文がなんとも素晴らしい愛情にあふれた一文なのだ。私は何度も読み返し、そのたびに涙した。その素晴らしい一文をここに再掲したい。

 

          

坂口一弘の妻の香奈子です。

皆様に、とても悲しいお知らせをしなくてはいけません。

令和3年2月10日、14時46分、坂口一弘は他界いたしました。

 

夫は、クロスカントリースキーの練習をすると言い10日の朝8時に家を出

て、伊達市大滝区にあるクロスカントリースキーコースに向かいました。

途中で昼食を摂り、12時頃に到着したと思います。

数日前の会話で、8キロコースを3周すると言ってました。

何周目なのかは分かりませんが、コース上で倒れているところを、同じく練習に来ていたと思われる自衛隊の方に発見され、蘇生処置をしていただいたようですが、残念ながら伊達赤十字病院で死亡が確認されたようです。

 

その日の午後7時頃、私のスマホに警察から連絡があり、JRですぐ伊達に向かい夫と対面しました。

 

小さくて寒い個室に1人で冷たくなって眠っている夫の顔は穏やかで、普段の寝顔と全く同じ顔でした。

苦しそうな表情では無かったのがせめてもの救いです。

 

ここに泊ってもいいですか?とお願いしてもダメで、後ろ髪をひかれる想いでホテルに泊まり、全く眠れないまま朝を迎えJRで帰宅しました。

 

 

警察の話では、コース上のスキーの跡や周辺の状況から推測すると、倒れてから発見されるまでの時間は20分くらいだったと思われます。

夫は、一旦、伊達警察署に運ばれ安置して、翌日(11日)の朝に検視のため、札幌の北大病院へ運ばれました。

死因は循環器系疾患(推定)です。

北大病院から、15時に伊達警察署に戻り、そこから葬儀社の車で19時に帰宅しました。

 

 

いつもブログのアップ時間を午後4時と決めていたようで、何度も修正したり写真を入れ替えてみたり楽しそうにブログのアップをしていました。

そして、皆様のコメントとアクセス数が増えてることをとても喜んでいました。

毎日の更新が目標のようで、ネタ切れの時のために、私がキッチンに置いてあった大根菜っ葉の写真撮らせてくれとか、ぬか床とぬか漬けの写真撮っといてなどと言い、ブログネタの在庫も持っていました。

山やスキーに行けない日でも、ブログのアクセス数やランキングの順位を見たり、アウトドア派の夫でもブログのお陰で毎日が楽しそうでした。

それも皆様が毎日ブログにご訪問いただいて、時にはコメントをしてくださったことがとても励みになっていたようです。

いつも「俺は幸せもんだな~~」と言ってました。

夫に代わり御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

登山・スキー・クロカンスキーと毎日、子供のように遊んでいる夫のご機嫌な笑顔を見るのが大好きでした。

 

朝、いつものように家を出て「週末は天気がいいのでどこか安全な山に登って、日曜日に帰ってくる」と言ってましたが・・・・

車の所まで見送り「行ってらっしゃーい、LINEちょうだいねー」と、手を振る私に、運転席から、ほんの少しだけ微笑み左手を上げて返事をする、なんてことのない日常。

それが最後の会話でした。

 

今でも、明日の朝、コーヒを入れてくれるんじゃないかと思っています。

全く実感がないので、長い長い夢を見ているような気もしています。

壮大なドッキリだったらいいのにな。

来月の喜寿のお祝いもこっそり考えて、少しずつ貯金もしていたのに、「ありがとう」も「さようなら」も言えなかったことが心残りです。

しかし、常々「死ぬときは入院したりしないで、遊んでる最中にコロリと逝くピンピンコロリがいいなー」と言ってたので、本人にしてみれば良かったのかも知れませんが。

 

 

このブログは毎日更新していたようですので、1~2日更新が止まって、皆様にご心配いただいている事が気がかりでしたが、

葬儀が終了した翌日の新聞に、葬儀終了という形でお悔やみ広告を掲載する予定でした。

そのタイミングでこのブログでもお知らせをしようと思っておりました。

しかし、前の投稿のコメント欄を見て、すぐにでも皆様にお知らせをした方が良いと思いました。

皆様への訃報のお知らせが大変遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

様々な都合で変則的ですが、13日納棺、14日出棺・葬儀・告別式・取越法要(一日葬)となります。

コロナ禍ですので葬儀は家族葬で行いたいと考えているため、今回のご参列はご遠慮いただけますと幸いです。

 

 

コロナの感染状況などを考慮して、後日、お別れの会を行いたいと思います。

今のところ未定ですが、日程などが決まり次第、こちらのブログでお知らせ致します。

ありがとうございました。

※何よりも山が大好きで、本人もお気に入りのこの写真を遺影にしました。

坂口香奈子

 

 どうでしょうか?このような素晴らしい一文に出合うと、涙せずにはいられません。坂口氏はなんと素晴らしい奥さまに恵まれたのでしょうか。

 特に「登山・スキー・クロカンスキーと毎日、子供のように遊んでいる夫のご機嫌な笑顔を見るのが大好きでした。」の一文に奥さまの坂口氏への愛情が溢れているように感じ、坂口氏が幸せに包まれながらアウトドアを楽しんでいたことを伺わせてくれる。

 まだまだやりたいことが山のようにあった坂口氏でしたが、残念ながら途中リタイアという形になってしまった。しかし、これまた奥さまの一文にある「死ぬときは入院したりしないで、遊んでる最中にコロリと逝くピンピンコロリがいいなー」と言っていたという一文に接したとき、まさに坂口氏の望みどおりの最期となったことに僅かな救いを見る思いである。

 私もいつまでもくよくよしてはいられない。坂口氏のアクティブで、濃密だった素晴らしい人生に、私も少しでも近づけることを誓って、今夜は乾杯したい!

 ありがとう!ブラボー!ミスターサカグチ!!!


坂口一弘氏の訃報に接して

2021-02-12 20:49:15 | その他

 え――――――っ!? なぜ? どうして? という言葉以外私の口からは出てこなかった。あの若々しい、あの強健な坂口氏が…。ブログのコメント欄から悲痛な叫びが聞こえ始め、信じがたい思いだったのだが…。しかし時間が経つにつれ、それが現実となってきてしまった…。

 連日発信を続けられていた坂口氏のブログ「癌春(がんばる)日記 by 花sakagが2月9日の投稿を最後に投稿が途絶えてしまった。「あれっ?前日はスキーをしていたのに、体調を崩されたかな?」と思ったが、「いや、坂口氏なら病床からでも発信するはずだがな?」と思いながら、氏の投稿を待った。

 翌々日の11日になっても投稿されず、コメント欄を見てみると「嘘だよ」とか「心配です」というコメントが出て、私も俄かに心配となりコメントを発した。

 ところが、続くコメントに「信じられないけど信じなければならない?」とか、「大変お疲れさまでした」というコメントに接し、覚悟しなくてはと思っていたところに「突然の訃報に」というコメントを見るに及び、観念しなくてはならなかった。

 そこで坂口氏が数年前に函館市の退職校長会の会長をされていたことから、函館市の退職校長会の事務局に問い合わせたところ、逝去されたことが間違いないことを確認したのだった。

 私が坂口氏と知己を得たのはそれほど古い話ではない。今から6年前、2015年のことだ。私が東根室の原野を三日間かけて歩き通す「北根室ランチウェイ」を完歩した際、先行者としての坂口氏の存在をブログ上で発見したことに始まる。

 そして坂口氏が北海道退職校長会の副会長をされ、私が本部事務局の一員を務めていたことから、同じ会議に出席した後に二人で懇親の場を持ったのが、坂口氏とのお付き合いの始まりだった。

 その後、坂口氏が札幌に来られるたびに声をかけていただき、交友の場を持たせていただいた。坂口氏が自ら称する「函館弁のマシンガントーク」は、いつ聴いても心地よく、氏の山旅や歩き旅のこと、時には氏の現役時代の教師生活についてのお話に耳を傾けた私だった。

 近年はコロナ禍のために交歓することもままならなくなり、最後に交友の場を持たせていただいたのは、昨年10月に私が「白神山地の旅」に向かうとき、函館市内で一献持たせていただいたのが最後となってしまった。

 私は坂口氏のお話に刺激を受けながらも、そのレベルの違いからとても同行をお願いすることは憚られ、私独自に私に合った山に登り、私の体力に応じた歩き旅を続けてきた。しかし、そこにはいつも坂口氏の影響を受け続ける私がいた。

 私が坂口氏に唯一お役に立てた(?)のが、道民カレッジの「かでる講座」の講師に推薦したことだ。昨年10月21日、コロナ禍のためにリアル講座ではなかったが、you tube配信で「ほっかいどう山楽紀行」と題する講座を実現することができた。

 坂口氏の思い出を語り出すと僅か6年と少しの交友期間だつたのにきりがないほどである。それほど坂口氏との出会いの日々は濃密な一日一日だったと云える。

 氏は80歳を迎えた後の山旅の夢を語っていた。今春には東北の被災地を巡る「みちのく潮風トレイル」を歩く夢を語っていた。

 さぞかし無念なことだろう。しかし一方では、普通の人の何倍もの濃密な日々を過ごされた氏は一点の悔いもなく天国に旅立たれたと思われる。

 短い年月のお付き合いではあったが、坂口一弘という素晴らしい生き方を提示してくれた方との出会いは、私にとって大きな宝物である。

 どうぞ安らかに眠ってください。合掌。


丸亀製麺にハマっています❣

2021-02-11 15:53:56 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行

 昨年末、丸亀製麺を体験以来、丸亀製麺のうどんにすっかりハマってしまった。私がハマってしまったのは「釜揚げうどん」である。なんともチープな話なのだが、メニューの中で最安値の「釜揚げうどん」が好みなのである。

   

   ※ 「丸亀製麺 札幌伏見」店の外観です。

 昨年11月26日に丸亀製麺の「ランチセット」が500円ということで体験したのだが、そこで丸亀製麺のうどんが私の好みにハマってしまった。店内で製麺し、打ち立て、茹で立ての、モチモチ感たっぷりのうどんがたまらなくなってしまった。

   

   ※ 店内に入るとオープンキッチン(厨房)でうどんを茹でる湯気がもうもうと立っていました。

 私が特に好みとしているのが「釜揚げうどん」である。「釜揚げうどん」並の価格は、なんと本体価格264円、税込み290円という安さである。「釜揚げうどん」はただうどんを茹でて、冷水でしめずにそのまま濃い目のタレに付けていただく仕組みである。タレにはたっぷりの刻み葱とおろし生姜を加えて…。これが私にはシンプルでうどん自体の美味しさを最も実感できると信じている。実は「丸亀製麺」の店舗の看板には店名の前に「讃岐 釜揚げうどん」と銘打っているように「丸亀製麺」の代名詞でもあるのだ。

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   ※ この日は12時過ぎの昼時とあって、店内はお客さんで大賑わいでした。   

 「釜揚げうどん」には、並、大、徳、とうどんの量に応じて三種あるが、私は「並」が好みである。試みに「釜揚げうどん」の「大」を注文してみたが、私にはやや量が多すぎて飽きがくる感じがした。一方、「かけうどん」に各種てんぷらをトッピングしてみたが、どうもうどんの美味しさが消されてしまうようでイマイチの感じがした。それ以外にも丸亀製麺には多様なメニューが用意されているが、私には丸亀製麺のうどんの良さが消される感じがしてしまう。私はあくまでシンプルに「釜揚げうどん」にこだわりたい思いなのだ。 

   

   ※ これが噂の(?)「釜揚げうどん」の「並」です。

 私のハマり度は今年に入って顕著になってきた。週に2回は通っているだろう。私の丸亀製麺のホームグランドは「丸亀製麺 札幌伏見」、セミホームグランドが「丸亀製麺 イオン札幌桑園」である。いずれも車で5~10分程度のところにあり、気軽に赴ける。

   

   ※ 私が店を出る頃は、少し客席がまばらとなっていました。

 私は時折り食品に関してマイブームに陥ることがある。かなり重度のハマり具合なのだが、ある一定期間を過ぎると、スーッと興味を失って「どうしてあんなに夢中になったのだろう?」と振り返ることが度々ある。

 さて、丸亀製麺の「釜揚げうどん」にはいつまでハマり続けるだろうか???すぐに飽きてしまうのかもしれないが、自分に興味津々である。

【ラーメン 丸亀製麺 札幌伏見店】

札幌市中央区南十六条西19-1-10

電  話   011-511-3750

営業時間   11:00~22:00

定休日    無休

座席数    88席

駐車場    有

【ラーメン 丸亀製麺 イオン札幌桑園店】

札幌市中央区北8条西14-28 イオン札幌桑園1F

電  話   011-233-0151

営業時間   9:00~22:00

定休日    無休

座席数    フードコート内の座席多数

駐車場    有

 

 


映画 ドクトル・ジバゴ №300

2021-02-10 15:16:12 | 映画観賞・感想

 上映時間197分という長編である。ロシア革命の前後にロシアに生きた医師:ユーリー・ジバゴの愛と苦悩の日々を描いたものである。長編ではあったが、まったく飽きることなく楽しむことができた作品である。

※ 映画タイトルの後にナンバーリングを付けているが、この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の映画の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

          

 映画は1965(昭和40)年、アメリカ、イタリアの合作によって製作された作品である。日本公開年は昭和41年とある。私が大学2年生の時であるが、確かその時私は映画館で観た記憶がある。とはいっても記憶に残っているのは、耳に心地よいバラライカの響きが印象深い主題歌の「ラーラのテーマ」音楽と、ラーラの美貌だけなのだが…。

 長い間、再び観賞したいと思っていたが、1月22日(木)午後、BSプレミアムで放送されたので録画しておき、昨夜ゆっくりと観賞することができた。

  時はロシアの19世紀末、幼くして両親を失ったユーリー・ジバゴ(オーマー・シャリフ)は親戚の夫妻に引き取られ、愛情いっぱいに育てられ医学生となり、卒業時には医師免許を取得し、開業医を目ざしている。そしてユーリーには育てられた親戚の夫妻の娘トーニァという婚約者がいた。一方、ラーラ・アンティポヴァ(ジュリー・クリスティ)は、洋品店を営む母アメリアと暮らしていた。そしてラーラには共産党運動に傾倒するパーシャという恋人がいた。

      

 ※ ユーリー役のオマー・シャリフ(右)と、ラーラ役のジュリー・クリスティ(左)です。

 ここからの展開は目まぐるしく、一言での説明は難しく映画を観ていただくしかないが、ユーリーとラーラはある偶然からロシア内戦の戦地で巡り合うことになる。二人は互いに惹かれ合うのだが、両者ともにすでに結婚していることもあって理性を保ちつつ別れ別れとなる。

 時は流れロシア革命が勃発し、資産家だったユーリーの親代わりの親戚夫妻の家は没収同然となった。そのため夫妻やユーリーの家族(妻・幼い息子)はモスクワを離れ夫妻の別荘があるというもモスクアから列車で10日間もかかるウラル地方の田舎町ベルキノへ移住する。ところが別荘も没収され、一家は小さなぼろ屋で暮らすことを余儀なくされる。そうした中で、ユーリーとラーラは再び奇跡の再会を果たす。ラーラはベルキノの近くの街の図書館に勤めているという設定だが、この再会はやや無理な設定では?とも思われるのだが、ストーリーの展開上致し方ないというところか?

         

 二度目の再会にユーリーとラーラは禁を破り愛し合うことになる。しかし当時のロシア国内は激動に揺れており、二人の運命は時代の激しい波の中で翻弄され、二人ともにけっして幸せな最期を迎えたとは言い難い終末となる。

 映画はユーリーの一生を描く形で進行するが、雄大なロシアの大地を背景にして、ロシア革命という歴史の転換点において翻弄されるロシア市民の姿を描いた壮大なドラマであった。

 なお、映画「ドクトル・ジバゴ」は1965年のアカデミー賞「脚本賞」、「撮影賞」、「作曲賞」、「美術監督・装置賞」、「衣装デザイン賞」の5部門を受賞したという。


札幌でしかできない50のこと〔33〕やわらぎの里 豊平峡温泉

2021-02-09 15:37:12 | 札幌でしかできない50のこと

 噂に違わぬ美味しいインドカレーだった。週末だったこともあり、温泉客、食事客で大賑わいの中、インドカレー名物のナンと共にインドカレーに舌鼓を打った私たちだった。

「札幌でしかできない50のこと」№33はやわらぎの里「豊平峡温泉」である。ガイドマップ上では№28にリストアップされている。そこには「湯上りはカレーでしめる。」と題して次のような紹介文が載っている。「100%温泉かけ流しで、露天風呂がある。この温泉で人気なのは、インド人とネパール人が作っている本格的なカレー。温泉とカレーという異色の組み合わせだが、日帰りで訪れる価値のある美味しさだ。札幌駅からバスで約80分の場所にある。」とある。

   

   ※ 普通の民家にも近いような入口の様子です。

   

※ 前庭のちょっと離れたところには大きなかまくらが造られていました。中ではジンギスカンなどの焼肉が供されるようです。この時も食事中の看板が出ていました。

 実は一昨日(6日)、「定山渓 雪灯路」を見学に行く前に「豊平峡温泉」を訪れ、カレーを食すことにした。温泉の方は以前に訪れた経験もあったことから、今回はパスした。その温泉であるが、特に露天風呂はなかなか野趣豊かな温泉だったと記憶している。

   

 ※ レストラン入口横のキッチンの様子です。インドやパキスタンから来たスタッフのようです。

 さて、カレーの方だがレストランと称しているが、雰囲気としてはお世辞にもオシャレなレストランというよりは、大衆食堂的雰囲気が漂うセルフ方式の食事処だった。この日は週末の上に、「雪灯路」が開催されているとあって、温泉の方も、レストランの方も大賑わいだった。

   

   ※ レストランの客席です。ごく普通の食堂といった雰囲気です。

 私たちは妻が「シーフードカレー」(980円)、私が「ポークカレー」(1,000円)を注文し、先に会計を済ましてナンバーカード受け取る方式だった。インドカレーの名物「ナン」付きである。

 やがてしばらくすると、ナンバーが呼び上げられカウンターから受け取るシステムである。焦げ目が付き、香ばしそうなナンが美味しそうである。

   

   ※ 妻がオーダーしたシーフードカレーです。

   

   ※ 私がオーダーしたポークカレーです。

   

   ※ 籠からはみ出さんばかりの香ばしいナンです。

 金属製のトレーに載ったカレーを一口、口に含むと甘味を帯びたカレーが口の中に広がった。私は思わず「旨い!」と声に出していた。ナンもとても美味しい!妻の方も満足そうな表情である。さすがに本場の本格的なカレーである。私たちは「わざわざ遠くまで来たかいがあったね」と話し合った。

        

        ※ いかにもインド店らしい壁に掛けられた彫刻です。    

 本場の本当の味は味わったことがないが、おそらく本場の味をそのまま提供しているのではなく、日本人の好みに調整しながら提供しているのではないだろうか?そう思えるほど私には美味しく感じた「豊平峡温泉」のカレーだった。

   

   ※ 帰りに再びキッチンにカメラを向けると、スタッフが陽気にポーズを取ってくれました。

 なお、HPを拝見するとここのカレーはキッチンカーを仕立てて、札幌市内各所でも販売しているらしい。それくらい札幌の名物となっているということな のかもしれない。   

《やすらぎの里 豊平峡温泉 概要》                                                            

〔住  所〕札幌市南区定山渓608-2

〔電  話〕011-598-2410

〔開館時間〕入浴利用時間 10:00  ~ 22:30

      レストラン営業時間

      インド料理 11:00 ~ 21:00 

           和 食   11:00  ~ 14:00  

                                            17:00  ~  20:00 

〔定休日〕 年中無休

〔座席数〕 ?(かなり多数が着席可能)

〔駐車場〕 有り(第二駐車場もあり)