田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

空港民営化って何だ?

2016-06-10 22:55:01 | 講演・講義・フォーラム等
 最近新聞等で「空港民営化」についての話題をよく見聞きすることがあった。私にとってそれほど関心がある話題ではなかったが、フォーラムがあると知って、スケジュールも空いていたので参加してみたのだが…。

          
 
 6月10日(金)午後、北海道新聞社が主催する「動き出した空港民営化」と題する道新フォーラムが開催され、野次馬精神で参加してみた。
 フォーラムは、国土交通省の担当課長である宮澤康一氏が「空港経営改革について」と題して、北海道経済同友会の代表幹事である横内龍三氏が「空港民営化問題の課題と地方創生」と題して、それぞれ基調講演を行った。
 続いて、上記両氏に加え、バニラ・エア会長の石井知祥氏と釧路市長の蝦名大也氏の4人が登壇してのパネルディスカッションが行われた。

          

 それほど関心のある話題ではないこともあり、フォーラムを聞いていても十分に理解することはできなかったのが正直なところである。したがって、本日のレポは私の浅い理解やあるいは誤解のもとのレポであることをあらかじめお断りしておかねばならない。

 まずは基礎知識として、北海道内にある13の空港を管理者別に区分すると、①国が設置し、管理する空港は、新千歳、函館、釧路、稚内の4空港である。②国が設置し、市が管理する空港は、旭川、帯広の2空港、③道が設置し、道が管理する空港は、奥尻、中標津、女満別、紋別、利尻、礼文の6空港、④自衛隊との共用空港が札幌・丘珠空港、という区分である。

 そして、現状の空港経営というのは、滑走路の維持管理、空港使用料の徴収などは主として国や道など公が担っている(これを空港本体事業と称するらしい)のに対して、空港ビル、駐車場などは民間が経営している例がほとんどということだ。(だから空港使用料は全国一律のようだ)

          
          ※ LCCのバニラエア会長が示した、バニラエアの経営経費の割合を示すグラフです。

 そこで今話題となっている「空港民営化」というのは、滑走路を含めた全空港施設の経営権を民間に委ねよう(売却)とする考え方のようだ。(ただし、国鉄民営化などのように完全民営化ではなく、滑走路等の所有権は国などが留保しつつ、運営権だけを民間に委ねる方式だという。これをコンセッション制度というそうだ。)
 つまり、全空港施設の運営を民間に委ねることによって、活性化を図り、ひいては地方経済の発展につなげようとする試みだという。

 ここまでの話を聞いていて、私は北海道の空港はかなり厳しい状況にあるのではないか、と危惧したのだった。
 というのも、北海道全13の空港のうち、滑走路などの空港本体事業と空港ビル、駐車時用など関連事業の合計で黒字を計上しているのは新千歳空港だけという実状を知ったからだ。
 このような実状の中で、民営化したところではてして経営が上向きになることなんてあるのだろうか?しかも、北海道の場合は本州などの空港に比べて、冬季の厳しい気候条件も不安要素である。

 国(国土交通省)の主導によって、「空港民営化」実現に向けて舵は切られているようで、北海道においては、国管理の4空港に、市が管理する旭川、帯広、さらに女満別空港を加えた7空港を一括した民営化を模索している現状だと聞いた。
 パネリストのどなたかが言っていたが、利用客の少なさ、自然の厳しさの中でJR北海道の経営が非常に厳しい現状にあるというが、空港民営化もJRの二の舞にならないような慎重な検討・準備が求められのではないか?

 私にとってまったく門外漢の話題ではあるのだが、空港民営化によって地方創生を謳う国の思惑に反して、このことが北海道の沈下に繋がらねば良いが、と願うばかりである。

札幌グルメ紀行 24 大衆食堂 半田屋 西線南七条店

2016-06-09 19:04:03 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 グルメ紀行にカテゴライズするには相当に無理があるが、「食」という共通点から敢えてグルメ紀行に分類した。私たち庶民にはふつうに美味しく、安価で家庭の味が楽しめる半田屋さんは、面白い存在ではないだろうか? 

          

 NHKテレビの「ドキュメント72時間」という番組のファンである。一ヵ所にカメラをおいて、そこを行き交う人々の表情を追う番組である。無駄な演出を廃し、定点観測によって様々な人間模様が描かれていて、見ていて飽きない番組である。
 5月初旬「北のどんぶり飯物語」と題して、仙台にある「半田屋」が舞台となった72時間を映し出した。
 それを見ながら、「あゝ、札幌にも半田屋ってあったなあ」と思い出した。ネットで調べると、我が家からそれほど遠くない電車通りの南7条にお店があることが分かり興味を抱いた。

          

 興味を抱いたら即行動である。(さすがに妻は同行しなかった)
 電車通りに黄色地に赤色文字の派手な看板が目立つ。「24H営業」の文字も目立っていた。
 店の横には駐車場もあり、タクシー運転手などの御用達店らしさも覗かせていた。
 店内に入ると、まず揚物などの惣菜が皿に盛られていた。そこには「あじフライ 100円」、「コロッケ 100円」、「オムレツ 100円」(いずれも税込価格、以下も同じ)と表示され、いずれもがかなり安い感じである。
 そことは別に、小皿に盛られたさまざまな料理がラップに包まれて並べられ、そこから自由にチョイスしていくシステムになっている。(大学などのカフェテリア方式?)

          
          
 さて、私はどうしたかといえば…。昼どきではあったが朝食からそれほど時間が経ってもいなかったので、それほど空腹ではなかった。
 そこでネットでの評判もなかなかのカレーライスを頼むことにした。その価格が税込で300円である。あまりの安さに福神漬も付いていないのではと思い、キュウリの漬物(50円)と、冷や奴(70円)を追加して、〆て420円のランチとなった。(結局、福神漬は付いていたが)

          

 店内は全体に清潔感が保たれており、さまざまな人たちが昼食をとっていた。ちらちらと他の方々の選んだ料理を目にすると、特に若い人が大きな皿に盛られたカレーライスをかっこんでいる人が目立った。その皿の大きさが半端ない大きさに私には見えた。
 店を出るときに、その大盛りカレーの価格を確認すると420円とあった。その安さだと、若い人なら大皿を頼むわな、と思ったものだった。

          

 さて、私が頼んだカレーライスだが、ホテルカレーのような上品さはないものの、普通に美味しいカレーだったし、私には量的にもちょうど良かった。
 24時間営業ということだから、それこそ定点観測をしていると、いろんな階層のお客さんが入れ代わり立ち代わり訪れるのだろうが、印象としては昔よくあった定食屋さんがちょっと清潔になって、チェーン店化したもの、という感じだった。
 価格的には大学などの食堂とも競争できるのではと思われるくらいの安さである。
 独り暮らしの若者だけではなく、最近増えているという都会の独り暮らしのお年寄りにも頼られる存在となっていく食堂なのではないか、と思えた大衆食堂「半田屋」だった。

【大衆食堂 半田屋 西線南七条店 データー】
北海道札幌市中央区南7条西15丁目1-5
電  話  011‐532‐7599
営業時間  24時間営業
定休日   無休
駐車場   有(5~6台駐車可能?)
座 席   55席(テーブル席)
入店日   ‘16/06/04

西郷隆盛の子孫が語る西郷像

2016-06-08 21:56:59 | 講演・講義・フォーラム等
 鹿児島県人のみならず、今なお日本人を魅了してやまない西郷隆盛という人間の基礎を築いたのは、西郷の母・政子である、と西郷の曾孫にあたる西郷隆夫氏は語った。西郷の知られざる姿を隆夫氏は生き生きと語った。 

 6月4日(土)午後、北海道南洲会の主催による講演会がエルプラザで開催され、参加してきた。
 講師は西郷の嫡男・寅太郎の孫にあたる西郷隆夫氏「西郷隆盛の子孫が語る秘話」と題して講演した。

          

 隆夫氏は西郷家の系図でいうと、西郷と妻・糸子の間に生まれた長子・寅太郎の孫にあたる。(西郷隆盛の長男は、西郷が奄美大島に遠島処分にされていた時期に、愛加那との間に設けた菊次郎が長男ということになっている。その菊次郎の孫にあたるのが、陶芸家として有名な西郷隆文氏だそうだ)
 寅太郎には8人もの息子が名を連ねでいるが、隆夫氏の父親・隆正は7男のようである。

          

 講師の隆夫氏は1964年神戸市生まれだが、サラリーマン生活の後、2009年に鹿児島の食品会社に転職し、現在は観光事業企画や講演会、ツアーガイドなどを扱う(株)ナンシュウの代表取締役に就任しているとのことだ。

 隆夫氏は2時間を超える講演時間の中、多岐にわたる西郷の秘話を語った。
 その全てを再現することは到底無理だが、印象的だった話を2~3レポすることにする。

                

 西郷は写真を一枚も遺していない。そこには、西郷が武士として「名を残さず、功を残さず」という思いの表れだということだが、それと共に坂本龍馬の妻・おりょうの「写真を撮らないで」という願いと、そのことに共鳴したこともその理由だという。

 西郷と犬は、東京・上野公園の銅像でも有名だが、西郷は15匹も犬を飼っていたそうだ。犬を愛した西郷の心は、忠実な犬を鑑として自らも生きようとする表れだったという。

          

 西郷隆盛の座右の銘として「敬天愛人」という言葉は有名である。
 天を敬い、自然の恵みに感謝し、神に仕えること。人を尊重して大切にすることであり、自分を犠牲にしてでも、世のため人のために尽くすことを生涯ぶれずに全うした西郷に最も相応しい言葉である。
 西郷は何より人を愛し、人を信頼した人だと隆夫氏は言う。

 リード文でも触れたが、西郷隆盛の基礎を作ったのは母・政子の英才教育に依るところが大きいという。さらには、薩摩の若者を鍛えた「郷中教育」の存在も大きいと隆夫氏は指摘した。隆夫氏は、「郷中教育は知識から知恵に変えていく教育」だったとも語った。
 隆夫氏は、その郷中教育の伝統を受け継ぐ、薩摩の誇りをアピールし、鹿児島を盛り上げていきたいと話を締めた。

 西郷隆盛については、全国に多くの熱心な研究者、崇拝者が存在している。何せ西郷に関する著作を著している人だけでも760人もいるという。
 私ごときが言うべきことではないかもしれないが、敢えて言わせていただければ…。
 グローバル化した現代において、日本の文化やモノの考え方が世界から注目されているとも聞く。その底流には、私たちの中に西郷の生き方に通ずる何かがあるような気がしてならない。
 「時代が違う」と言ってしまえばそれまでだが、混迷する今の世だからこそ、西郷隆盛から学ぶ点も多いのではないだろうか?

北海道低山紀行 58 オロフレ山(1230.7m)

2016-06-07 16:33:16 | 北海道低山紀行 & Other
 オロフレ山は標高1230.8mとそれなりの高さだが、標高930mのところにあるオロフレ峠が登山口のため、標高差は300m程度と比較的楽な山である。しかし、この日二つ目となる私にとっては、頂上直下の急登はかなり辛いものだった。 

 来馬岳を終えた私は約30分かけて、オロフレ山の登山口となるオロフレ峠に移動した。
 オロフレ峠には、登山者に混じって観光客の方もたくさんいて、広い駐車場はほぼ満杯状態だった。

           
          ※ 「ほぼ満杯状態」と記したが、端は満杯でしたが、中央部分は空いてますね。        

 準備を整え、10時25分登山届に記入し、登山口を出発した。
 登り始めは頭上を覆うかのような林間コースの緩やかな上りが続いた。前にゆっくり登るシニアの方がいたので、登山道脇の高山植物を撮影しながらの上りが続いた。

          
          ※ 駐車場の片隅に登山口と登山届記入所の箱がありました。

          
          ※ 私の前を行くグランドシニアの方です。あまりにもスローペースのため我慢しきれず追い越しました。

          
          ※ 高山植物についてはまったく疎い。一応、調べてみるのだが自信が持てない。エゾヘビイチゴ?

          
          ※ こちらはエゾイチゲ? 写真だけでは難しいかもしれないが、教えていただけたら…。

          
          ※ こちらはヤマザクラ。まだ花びらを付けていましたよ。

 やがて、「羅漢岩」と呼ばれる切り立った岩が現れた。その上部を通っていく険しいコースがあったが、これまでの経験に比べてそれほど危険とも感じられなかった。
 そこを越えて、オロフレ山の山頂を目ざすには、その前の第一のピークを越えねばならなかった。そのピークに差しかかるとき、林の中にシラネアオイの大群落が広がっていた。それはもう何万株もあるのではないかと思われる大群落だった。ただ、写真的には林の中のため木が邪魔するため、来馬岳の方が写真になり易い構図だったようにも思われた。

          

          ※ こちらの二枚はオロフレ山の特徴の一つ「羅漢岩」です。

          
          
          
          ※ シラネアオイの大群落です。写真ではその壮観さがとてもとらえきれません。

           
          ※ 手前のピークを越えて、向こうの山頂を目指します。
     
 第一のピークを越えると、いよいよオロフレ山山頂を目ざしての急登に差しかかる。
 この辺りから、来馬岳での疲れがもろに影響し始めた。息が切れてしまい、何度も何度も立ち止まり、一息入れねば登れない状況となった。
 岩場に手をかけ、気合を入れながら登らねばならない急場も何ヵ所かあった。

                      ※ 写真ではそれほどには見えませんが、実際にはかなりの急登でしたよ。
          
           
          ※ この時もかなりの急登でしたが、写真を撮る余裕があります。もっとすごいところが何か所も!

 ガイドブックには「楽な登山」と出ていて、確かに多くの人が登山を楽しんでいたが、初心者にはけっこう我慢を強いられる山ではないだろうか。
 登山開始から1時間25分後、なんとか山頂に立った。
 山頂にはツァーの団体登山のような一行様30名くらい、さらに個人登山の方20名くらいと大変な混みようで、賑やかさも都会並み(?)だった。

          
          ※ 可愛い山頂標識が立てられてありました。

          
          ※ 山頂はご覧の混みようでした。これでも全体のごく一部です。

 山頂からは洞爺湖やその向こうの太平洋が見渡せ、さらには羊蹄山も、そして徳舜瞥岳なども遠望することができた。
 団体客が去ったとき「ようやく静かになりましたね」と私の隣りに腰かけた同年代の方に話しかけられたことをキッカケにいろいろと山の話に花が咲いた。
 その方とは、その後下山も一緒にすることになったが、登山経験は似たりよったりの感じだったが、下山の様子をうかがうと私よりはずっとベテランのようにも思われた。

          
          ※ オロフレ山の山頂から、その前に登った来馬岳山頂が望めました。

          
          ※ こちらは洞爺湖全体とその向こうには太平洋が望めました。

 その方は栗山町在住の方のようだったが、二人して「最高に日に登ることができましたね」と、この日の快晴に感謝したのだった。
 一日に二つの山を登り、疲労困憊だったのは事実だが、何より最高のコンディションの中で山登りができたことが、何より嬉しい登山だった。

          
     ※ サービスショットです。オロフレ峠に向かう途中に、羊蹄山が残雪を残しながら見事な山容を見せてくれました。

【オロフレ山 登山データ】
標 高  1230.1m
駐車場  オロフレ峠に大きな駐車場有り。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
登山口→(85分)→オロフレ山々頂(30分滞在)→(75分)→オロフレ山登山口
時 間  上り(1時間25分) 下り(1時間15分)
天 候  快晴、無風
登山日  ‘16/06/06

北海道低山紀行 57 来馬岳(1040.1m)

2016-06-06 21:54:09 | 北海道低山紀行 & Other
 今日、登別市、白老町、壮瞥町などにまたがる来馬岳とオロフレ山を登山した。絶好の登山日和の中、久しぶりの登山を楽しんだ。まずは来馬岳のレポから…。 

     
     ※ 来馬岳山頂からの大展望です。左側にオロフレ山。その横に近い将来登りたい徳舜瞥山の三つの連なりが見えます。

 脚のバネは伸びきっているが、心のバネは「早く登山に連れてって!」と今にも飛び出さんばかりに思いっ切り縮んでいた。
 スケジュールと天候を睨み、今日二つの山を制覇しようと登別に向かった。

 最初は登別温泉にほど近いサンライバスキー場を登山口とする「来馬岳」だった。
 スキー場へいたる道が分かりづらく、少し手間取ったが6時ちょっと前に無事にスキー場の駐車場に着いた。天気は風もなく、快晴と絶好のコンディション。気温は朝が早いこともあり、車の温度計は5度を指していた。

          

 準備を整え、ちょうど6時に登山届に記入し、スタート。
 最初はサンライバスキー場のゲレンデを上るコースである。ずーっと以前に小樽の天狗岳を夏に山頂から下った経験はあったが、上るのは初めての経験だった。なんだか登山をしているというよりは、つらい体験をさせられているような気分になった。

          
          ※ 登山口から見た来馬岳です。このゲレンデを上がり、山の中に入って行きます。

 最初はスキー場の中斜面程度の斜度だったが、徐々に急斜面に移っていった。急斜面といってもスキー場だから整備されている。大きな石などは見当たらなく、小礫程度の石が全体を覆い、そこに背の低いフキが繁茂しているといった状態だった。
 小礫の中、急斜面を直登しようとすると、踏み込んだ足がズルッと滑ってしまう場面もあり、慎重に登った。

          
          ※ 登り始めの緩・中斜面です。

          
          ※ 急斜面の様子です。

          
          ※ 急斜面を上がる中、二輪ほど咲いていた花ですが、花名は分かりません。

          
          ※ 背後を振り返ると登別温泉方面が…。白い煙は地獄谷?倶多楽湖はまだ見えません。

 スキー場ゲレンデで格闘すること55分、スキー場の最も高い所(リフトの終点)が来馬岳の5合目だった。
 そこからは本格的な登山道になって、しばらくきつい上りが続いたが、やがて緩い斜面となった。ここまでは私も多少の余裕があった。ところが!

          

          
          ※ オオカメノキの花は満開?あるいはちょっと過ぎたあたりでした。

          
          ※ これはミヤマエンレイソウ?

          
          ※ こちらはスミレの一種ですが、詳しくは何というのでしょう?

 徐々に斜度がきつくなってきたな、と思っていたが頂上が近づくにつれ、さらに傾斜は急になった。まるで自分の頭の上を目ざして登るような感じになっていった。
 こうなると私にはまるで余裕がなくなった。パワーをMAXまで上げて奮闘した。天気が良かったせいもあるが、顔の汗が目に入ってくるのが辛かった。

          
          ※ クマザサが生い茂る頂上近くの急斜面です。

          
          ※ シラネアオイの大群落!と思ったのですが、もっと上手がありました。

 5合目から7合目までは表示があったのだが、その後は途切れていた。(私が見落としたのかもしれないが)何時山頂が来るのか、必死の頑張りが続いたが、やがて斜度が緩くなり、登山口から1時間50分をかけて頂上に着いた。

          
          ※ 来馬岳山頂標識と次に上るオロフレ山です。

          
          ※ 写真の真ん中付近に倶多楽湖が小さく見えます。

          
          ※ これぞ本当のシラネアオイの大群落です。

 快晴の空は、頂上からの眺望も抜群だった。この日の二つの目目的の「オロフレ山」も三角形の端正な山容を見せてくれた。
 また、山頂直下にはシラネアオイの大群落があった。これほど見事な大群落を目にしたのは初めてだった。

 頂上で30分間、ゆっくりと眺望を楽しみ、体力を回復させて下山を開始した。下山ではやはりスキー場ゲレンデが大変だった。急斜面は真っ直ぐ下りることができず、ジグを切りながら下りなければならなかった。
 この日はスタートが早かったこともあり、誰とも出会わなかったが、登山口近くになって数人の人が登山を開始したところで出会った。

 9時35分、登山口に降り立ち、下着を替えて、次の目的のオロフレ山に向かった。

【来馬岳 登山データ】
標 高  1040.1m
駐車場  サンライバスキー場の大きな駐車場有り。
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
登山口→(55分)→5合目→(55分)→来馬岳山頂(30分滞在)→(40分)→5合目→(35分)→来馬岳登山口
時 間  上り(1時間50分) 下り(1時間15分)
天 候  快晴、無風
登山日  ‘16/06/06

札幌グルメ紀行 23 北菓楼札幌本館カフェ

2016-06-05 15:55:21 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 二度目のトライで新装開店した北菓楼札幌本館のカフェでのランチが実現した。北菓楼自慢の「オムライス」は牛肉がゴロゴロ入っていて、他とはちょっと変わった味のオムライスだった。 

               
               ※ 大正15年建造の歴史ある石造りの外観をそのまま遺した北菓楼札幌本館です。

          
          ※ 北菓楼札幌本館のエントランスです。

 前回訪れたとき(5/14)には「待ち時間1時間30分」と聞かされて断念して別なところでのランチを強いられた。
 今回も平日だったとはいえ、やはり30分の待ち時間が必要だった。
 席に着くまでの待ち時間を利用して、店内のあちこちを見て回った。
 昨年まで道立文書館別館として使用されていた石造りの歴史的建造物は、外観をそのままにして、内部を建築家・安藤忠雄氏に依頼して改装したという建物である。
 広々とした空間が印象的だった。また2階のカフェ部には前身の文書館のイメージを遺すためか天井まで届く書棚が設けられているのが大きな特徴だった。

          
          ※ 一階部分は北菓楼の和菓子・洋菓子を販売するスペースです。

          
          ※ 二階のカフェへ上がる階段は旧来の階段をそのまま使用しています。

 30分待った後、座席に案内されたが、テーブル&椅子はそれほど凝ったものではなく、いたってシンプルなものだった。
 私たちは北菓楼カフェ一押し(?)の「オムライス」(750円)をオーダーした。オムライスの卵はオーダー時に硬さを指定できるシステムになっていたが、私は普通に、妻は半熟でお願いした。
 ランチメニューとしては、その他に野付のすごい帆立のスパゲッティ950円、キッシュ680円などがある。

          
          ※ 高い天井、そこに備えられた本棚、開放感一杯のカフェです。

 北菓楼自慢の「オムライス」は「天然の飼料と美味しい水を与え、快適な環境の中で育てたこだわりの江別太田ファームの新鮮な卵を使用」と謳っていた。
 やがて出てきた「オムライス」の上に乗っかっている卵焼きを割ると、中から出てきたのは定番のケチャップライスではなく、醤油チャーハンだった。はじめはオッと思ったのだが、北海道産牛の肉と肉厚のシイタケがゴロゴロと入ったチャーハンがなかなか美味しかった。
 さらに上に乗っかった卵もこだわっているだけあってなかなかだったが、こちらは半熟が正解のようだった。

          

          ※ 私たちが食した「オムライス」です。中のライスの色が特徴的です。

          

 今回は食事だけだったが、時間があれば高い本棚に囲まれ、開放感のある空間で食後のコーヒーなどを楽しみながらゆったりするのも悪くない、と思わせてくれた北菓楼札幌本館カフェだった。

          
          ※ 二階の奥のスペースには、この建物の歴史を表す展示コーナーが設けられていました。

          
          ※ この建物は一時、道立三岸好太郎美術館としても使用されていた経過から、三岸好太郎の作品のミニコーナーも設けられていました。

【北菓楼札幌本館カフェ データー】
北海道札幌市中央区北1条西5-1-2
電  話  0800-500-0318
営業時間  10:00~18:00(食事は11:00~15:00)
定休日   ?
駐車場   無(近くに有料駐車場有)
座 席   32席(テーブル席 4×8)
入店日   ‘16/05/30

試写会 162 64(ロクヨン) 後編

2016-06-04 20:16:08 | 映画観賞・感想

 期待に違わず、前編同様最後まで重厚な人間ドラマが描かれていてスクリーンにクギ付けにされた。主演の佐藤浩市はもちろんのこと、永瀬正敏、吉岡秀隆、緒形直人、柄本佑など演技達者なバイプレイヤーが存在感を示した映画でもあった。 

                  

 試写会「64(ロクヨン) 後編」は、昨夜(6月3日)共済ホールで開催された。
 前編はどちらかというと、G県警内の刑事部と警務部との暗闘、県警広報室と記者クラブのせめぎ合い、などに軸足がおかれている感があったが、後編は本来の昭和64年に発生し、未だ未解決の少女誘拐殺人事件の真犯人の追及に軸足が移った感があった。

 映画は結末において原作とは違った展開になるということで、原作を読んだばかりの私はその点に注目してスクリーンに見入った。
 原作では少女誘拐殺人事件を引き起こした犯人を示唆しつつも、完全に解決した形で終末を迎えた形ではなかったが、映画においては三上広報官(佐藤浩市)が刑事魂から犯人を徹底して追い詰めたところまで描いている。
 そのことによって三上は傷害事件を引き起こし、警官の職を追われることを示唆して映画は終わった。
 つまり、原作はこれからも三上の広報官としての仕事は続いていくような余韻を残って終わっているが、映画では一応の終末を描き、三上は失踪した我が娘の行方を一人追うことに専念したい、と彼は語るのだった…。

          

 今回も佐藤浩市の存在感は抜群だった。ある意味、映画「64(ロクヨン)」は佐藤浩市の映画だったといっても過言ではない。
ところが、この映画では佐藤以外の俳優も半端ではないのだ。前編でも述べたが綺羅、星のごとく名優たちが名を連ねているのだ。
 そうした名優たちの中でも、この後編においては誘拐犯役を演じた緒形直人の鬼気迫る演技が印象的だった。名優緒形 拳の息子として注目されながらもいま一つ脱皮できないでいた彼だが、今回の役はかなりの存在感を示すことができたのではないだろうか。
 その他にも、永瀬正敏、吉岡秀人、柄本佑、三浦友和、奥田瑛二、綾野剛など、それこそ綺羅、星のごとく並んだバイプレイヤーの演技が映画を引き締めていた。

          

 主人公の広報官・三上はもともと刑事畑の人間なのだが、自らの意志に反し警務畑の広報官を任じられ、刑事部と警務部の反目する中で、自らをどう処するのか逡巡する中、家庭においては愛娘が失踪するという難しい環境におかれている。
職業人として、一家庭の父親として、思い悩みながらも、誠実に生きようとする三上の人間性が佐藤浩市を通して深く描かれていて、見応えある内容として結実したといえる映画だった。


若々しい指揮が演奏に勢いを?

2016-06-03 22:35:08 | ステージ & エンターテイメント
 円熟した指揮は安心して聴いていられるが、若々しい指揮には勢いが感じられ、それはそれで素晴らしい。「ほくでんファミリーコンサート」で若く勢いのある指揮者のタクトに、札響の音も若々しく聞こえてきた?
 

           

 昨夕、「ほくでんファミリーコンサート」のチケットを入手していた知人のS氏から「体調が良くないので、代わりに聴かないか」という連絡が入った。
 幸い、何も予定がなかったので、喜んでチケットを譲り受けた。
 
 「ほくでんファミリーコンサート」は、北海道電力が社会還元として取り組んでいる事業で、今回が504回目の開催とのことだ。聴衆は全てが招待なのだが、昨日もステージ後方も含めて満員の盛況だった。
 昨日のブログラムは次のとおりだった。

 ◇ドビュッシー/小組曲
 ◇ビゼー/歌劇「カルメン」より 第1幕への前奏曲~序奏、アラゴネーズ ~ 間奏曲 ~ セギディーリャ~アルカラの竜騎兵 ~ ハバネラ~ジプシーの踊り
          《 休  憩 》
 ◇サン=サーンス/交響曲第3番 ハ短調op.78「オルガン付き」

 ドビュッシーの小組曲は、私も若干体長不良(といっても単なる寝不足ということだが)
だったこともあり、集中力に欠けていたこともあり、弦の響きの心地良さを感じながらフアーとした気持ちで聴いていた。
 ところがビゼーのカルメンの耳慣れた旋律を耳にしたとたん、場内はステージも客席も一気に活気づいたように感じられた。
 音を楽しみながら、ステージを凝視すると、指揮者の垣内悠希氏が力強く、躍動するようにタクトを振るっているではないか! その指揮ぶりが今までのどの指揮者とも違って見えた。

               

 資料によると垣内氏は若干38歳で、今春札響の指揮者に就任したばかりで、将来が最も嘱望される指揮者の一人だそうだ。体格も立派で、なかなかのイケメンでもあるようだ。
 ビゼーのカルメンは、垣内氏の指揮により、いつも素晴らしい音を奏でる札響が、さらに若々しさを加味した音を奏でていたように感じられた。

 そして休憩後のサン=サーンスは、奇しくも先日の西区オーケストラと被る曲だった。
 私は西区のときもそうだったが、どうも抑揚に乏しいこの曲の良さを理解できない。(まあ、それがクラシック素人の所以なのだが)「オルガン付き」となっているが、長い曲の中のほんの一部で演奏に加わるくらいで、オルガンの存在感が大きな曲とも思えない。
 このような曲の良さを感じられるようになったら、私の聴く耳が多少は進歩したと自覚できるのかもしれないが…。

 しかし、札響はさすがにプロである。最もプロらしさを感ずるのは、曲の入りなのではないか、といつも思う。どのパートにしても、曲への入りが非常にスムーズである。そこにアマとプロの大きな差をいつも感じている。

 垣内氏の若々しい指揮と、札響のプロらしさを味わうことができた「ほくでんファミリーコンサート」だった。

笑いは健康の源とは言うけれど…

2016-06-02 21:45:48 | 講演・講義・フォーラム等
 笑いは健康の源とは言うけれど…、分かっちゃいるけど実践できない自分がいる。「北海道笑ってもいいんでない会」の笑司長(会長)である伊藤一輔氏の話を聞いた。 

             

 今年度3回目となる「かでる講座」は5月31日(火)午後、開講された。
 今回のテーマは「笑いは健康の源! ~笑いと人とのステキな関係~」と題して、「北海道わらってもいいんでない会」の笑司長の伊藤一輔氏が講師を務めた。
 伊藤氏は勤務医として長く務められ、現在は職を離れて悠々自適という環境の方のようだ。

             
             ※ 「北海道笑ってもいいんでない会」の法被を纏い講演する伊藤氏です。

 伊藤氏は医師として、笑いと健康についての科学的に研究する「日本笑学会」が1994年に誕生したときに学会に加わり、1996年に誕生した北海道の支部(北海道笑ってもいいんでない会)結成に尽力された方のようである。
 その「北海道笑ってもいいんでない会」の設立年月日が平成八年八月八日午後八時八分八秒だったそうだ。お分かりと思うが「ハハハハハハ」と洒落が効いた誕生日だということだ。

 伊藤氏のお話は、医師らしく“笑い”が何故健康の源と言えるかを科学的側面からあれこれと説明してくれた。しかし、科学的とは言ってもそこには笑司長である。絶えず話にユーモアを湛え、笑いを誘いながら共感を得る巧みさがあった。
 伊藤氏の話の中で、特に印象に残った話は、笑うことでNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化し、免疫力が向上することが医学的にも実証されているとのことだった。
 その他、さまざまな面から“笑い”の効用を説いてくれた。

 伊藤氏が説かれることはすごく分かる気がするのだ。しかし、それを実践するとなると、私の場合はどうもいけないのだ。というより多くの人はなかなか実生活において、いつも笑っていることは難しいのではないか?
 そこが問題なのだが…。

 講座は、後半に「笑いヨガ」を実践されている二人の方が登場し、笑いヨガのワークショップが行われた。その要諦は体を動かしながら、ともかく笑ってみる、ということの繰り返しだった。参加者の中にはリーダーの合図でノッテいた方もいたが、私はダメだった。何かが邪魔して、素直になれない私には笑いは無理だと悟らされた。

             
             ※ ワークショップで指導してくれた二人の女性のうちのお一人です。
 
 伊藤氏は言う。「前向きな心が健康を呼び込む」と…。私の場合、せめてこのアドバイスくらいは実践したいものと思った。

 伊藤氏は最後(?)に「笑いの三原則」を示した。それは、
 1.面白いとき笑いなさい。
 2.面白そうなときに笑いなさい。
 3.面白なくても笑いなさい。

 恐れ入りました。さすが「北海道笑ってもいいんでない会」の笑司長の言葉です…。

原作 64 ロクヨン

2016-06-01 20:48:42 | 本・感想

 遅読の私だが、原作の面白さに惹きこまれ、珍しく短時間でこのほど上下巻を読み終えることができた。県警内部の暗闘…、さもありなんと思えるほどリアル感に満ちたストーリーは私を弾き付けて止まなかった。 

 映画「64 ロクヨン」の前編を観て、魅力いっぱいのエンターテイメント映画に感動した私は、その帰途に書店に立ち寄り、文庫本の「64 ロクヨン」を購入したことを拙ブログに書いた。

               

 未解決の誘拐殺人事件を縦糸に、それを追う県警内部の暗闘を横糸に、複雑に絡み合う展開は一つの緩みもなく緊張感を保ったまま最後まで読む者を惹きつけてくれた。
 具体的なストーリーを紹介するには、複雑すぎて手際よくまとめる力は私にはない。
 ウェブ上で、この「64 ロクヨン」の魅力をコンパクトにまとめた文があったので、それを拝借することにする。

 警察職員二十六万人。うち刑事など一握り、大半は縁の下の仕事を遂行する日々だ。その一人、D県警で刑事畑を歩んでいた三上は、警務部への異動を言い渡される。刑事としての自負を捨て切れずにいる彼は愛娘の失踪、未解決の誘拐事件をめぐる刑事部と警務部、本庁の権力闘争、さらにマスコミとの攻防の狭間に立たされる――。横山秀夫さんの7年ぶりの長編『64 ロクヨン』が大きな話題を集めています。D県警シリーズ3作目となる本作では、D県警が最大の危機に直面。それを取り巻く人間たちの熱き戦い、生き様を描いた1冊。

 小説ゆえにデフォルメされて描写されているところもあると思うが、県警内部における刑事部と警務部の対立には外からは窺い知れないところであるが、さもありなんと思われた。また、県警と記者クラブとの対立の狭間に立つ県警広報室(官)の苦労もありがちなことなのだろうと思わせられた。さらに未解決の誘拐殺人事件、そして主人公三上広報官自身の娘の失踪等々、事件の収束はどこへ向かうのかとドキドキワクワクさせてくれる。

               

 実は「64 ロクヨン」の後編のロードショーが6月11日から始まるが、それを前にしての試写会に応募していたところ、幸運にも招待券をゲットすることができた。明後日の6月3日の試写会でいち早く後編を観ることができるのを楽しみにしている。

 原作をどのように映画化しているのか、期待いっぱいである。
 映画「64 ロクヨン」の後編を観終えた後、またレポすることができたらと思っている。