田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌麺紀行 82 らー麺「こぶし」

2009-03-11 18:03:10 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 珍しくも味噌ラーメンのスープをほとんど飲み干してしまいました。

 らー麺「こぶし」には地下鉄を利用して向かいました。
 地下鉄東豊線「北11条東」駅で下車後、6ブロックくらい歩き、目ざす「こぶし」に到達しました。周辺は比較的古くから拓けた街らしく住宅や商店が混在しています。そうした中に突然マンションが聳え立っているというような街並みでした。
        

 「こぶし」はカウンターが横長に8席並んでいるこじんまりとした店で、若夫婦が切り盛りしている店のようでした。ここの店の一押しは「特製味噌ラーメン」のようでしたが、
私はそのベースとなっている(?)「味噌ラーメン」(700円)を注文しました。

 出てきた味噌ラーメンのスープを例によって一口含みました。「ん?」・・・。
 濃厚な豚骨スープを謳っている割には、他の店の豚骨スープとは口あたりが違うように感ずるのです。なんともいえず飲み口があっさりしているのです。
 資料によると、使用する味噌も3種類を練っているということですが、そのこともこれまで経験した味噌のスープの味と違っていたのかもしれません。
        
        ※ 入店したときメガネが真っ白に曇りました。カメラのレンズ
         も曇ったまま撮影したようです。ほやけてしまっています。        

 麺はちぢれ麺で、鹹水のやや強い黄色が濃い麺ですが、スープには良く合っていたように思います。(私自身は鹹水は薄めの方が好みです)
 チャーシューはロース肉とバラ肉と両方が載っていて、どちらもほどよく軟らかな肉でした。ゴマがトッピングされていて良い意味でアクセントになっていたように思います。

 さてスープですが、飲み進んでもいっこうに飽きがきません。普通、味噌の場合途中でその濃厚さにギブアップしてしまうのですが・・・。
 もともとスープ大好き人間の私はとうとう最後までスープを飲み干してしまいました。(体に悪いとよく言われますけどね・・・)

 ちょっと交通の便は悪いかなぁ~とは思いますが、穴場の一つですよ。

らー麺「こぶし」 データー
札幌市東区北10条東4丁目 カトレアビル1F(地図)
電話    011-753-6511
営業時間  11:00~16:00 17:00~22:00
定休日   水曜日
駐車場   有
座席    8席(カウンター)
入店日   ‘09/02/07

札幌麺紀行 81 本格さぬき風手打ちうどん「かがわ軒」

2009-03-10 19:00:51 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
【札幌麺紀行】とは、イエローページKKが2007年12月に発行した『一日一麺 札幌極旨麺図鑑』に写真付きで掲載されたラーメン店40、そば店22、うどん店12、その他の麺店20の計94店全てを食べ歩いてレポートしようと私自身が企てたものである。しかし、飲食業界の栄枯盛衰は激しく、現在分かっているだけですでに6店が廃業に追い込まれている。したがって実際に私が目標とするのは88店である。


※久しく麺紀行のレポートから遠ざかっていましたが、その後も順調(?)に食べ歩きを続けて、このプロジェクトもラストコーナーに差しかかってきました。
 今月中にはなんとかゴールテープを切ることができるかな?と思っています。
 それでは「札幌麺紀行」の続編をどうぞ~!

 久しぶりのさぬき(風)うどんでしたが、セルフ方式のサービスとも相まって庶民的な味を満腹に味わいました。

 本格さぬき風手打ちうどん「かがわ軒」は、菊水の環状通沿いの飲食店が集まっている一角にありました。うどん店も何軒かあるようで少々迷った末に見つけました。
 駐車場は満杯で、店内も満員状態でした。
 店内はいかにも街の食堂といった感じで、おしゃれ度ゼロといった感じが逆に心地良い感じがします。
                

 店はうどんだけがさぬき風なのではなく、サービスもセルフ方式とさぬき風です。
 ベースのうどんは、温かいか冷やかでオール399円だったように思います。
 それからのトッピングが多彩です。数えませんでしたが、資料によると40種類とか。
 私は安かったこともあってかけうどん(399円)に、なす天、ちくわ天、さつま芋天、それにきつねと4種も載せてしまいました。それでもしめて659円でした。
 有料のトッピングとは別に、ネギ、天かす、ショウガは載せ放題です。さらに生たまご、茹でたまごがサービスとして提供されていました。
        

 うどんの方はさぬき特有のコシの強さが感じられて、食べ応え十分です。汁も甘くなく辛くなく適度な美味しさでした。天ぷらもそれぞれボリューム十分でした。
 欲を言えば「天ぷらが揚げたてだったらなお良かった」と思いますが、「価格を考えてものを言え!」とおしかりを言われそうですね。 

 店主の明るい応対とともに、美味しく楽しくいただきました。

本格さぬき風手打ちうどん「かがわ軒」 データー
札幌市白石区菊水6条3丁目6-46(地図)
電話    011-874-3691
営業時間  11:00~15:00(土日は17:00~20:00も営業)
定休日   月曜日・第3火曜日
駐車場   5台
座席    25席(カウンター・テーブル)
入店日   ‘09/02/01

球春到来! コンサの春

2009-03-09 18:13:50 | スポーツ & スポーツ観戦
 心待ちにしていた2009バージョンのコンサドーレ札幌が札幌ドームに登場しました!
 黒星発進は残念でしたが、アグレッシブに戦う若きコンサイレブンの姿に可能性を感じ、今期の戦いに期待を抱かせる戦いぶりでした。

 昨日、私は朝から戦闘服?(レプリカユニフォーム)に身を固め、妻に冷やかされながら出陣を待ちました。
 「ちょっと早いかな?」と思われたけれど、キックオフ3時間前の午前11時に家を出ました。

 地下鉄を乗り継ぎ、ドームに着いたのが12時少し前、するとドームの前は長蛇の列です。かつてのコンサのゲームで経験しなかった光景に驚きました。長い間、シーズンインを待ちわびていたサポーターの一刻も早くドーム内へという気持ちが働いたのでしょうか?
 北口のホーム側があまりにも長い列だったのであきらめて、南口のアウェイ側に回ってみましたが、そこにもまったく同じ光景が広がっていました。
        
        ※ 空いていると思われた南口でもこのような混雑ぶりでした。

 結局、南口の最後尾に並び、およそ15分くらいかかってようやく入場でき、アウェイ側のSB席に陣取りました。
 ホーム側応援席ははるか彼方、久しぶりの「コンサドーレコール」や応援歌を遠くから聴くことになりました。
        
        ※ 選手入場時、会場はご覧のように赤黒に彩られました。

        
        ※ そして熱烈サポーター席には北海道の地図が描かれました。

 試合は若手中心に切り替わった石崎コンサドーレがアグレッシブに攻め立てますが、フイニッシュに甘さがあり得点には至りません。対するベガルタはチームが熟成されているためかチャンスは少なくても危険な匂いを放っていました。
 そうした展開の中、後半20分わずかなスキを突かれベガルタに先制を許しました。
 先制を許したことでコンサイレブンはさらにアグレッシブに攻め立てましたがゴールを割ることはできませんでした。
        
        ※ 遠来の仙台サポーターも熱烈応援です。

 「惜敗」と言っていいでしょう。
 可能性のある若手と、力のある外国人勢が融合し、チームとしての熟成が進んだときにJ2においては相当な闘いが期待できると私は見ましたが・・・。

 それにしてもこの日は、入場時だけでなくトイレも長蛇の列。
 ドーム内でファンクラブのポイントを刻印してもらうにも長蛇の列。
 飲食ブースで食べ物を購入するにも長蛇の列。
 もちろん帰りも大渋滞の長蛇の列。
(おーっと、こんなことを書いたら、今度試合を観戦しようと思っている人が二の足を踏んじゃうかな? でもやはりライブはいいですよ~! ぜひスタジアムで応援してくださいね!)
 どこへ行っても長蛇の列でほとほと疲れましたが、良い試合を見せてくれたという充足感と今後への期待感を感じながら帰途に就いたのでした。
        
        ※ 帰りもご覧のような超ラッシュ状態でした。

沖縄の離島から還って Ⅷ

2009-03-08 17:20:54 | 道外の旅

なぜ南の島なのか?

 北の人は南を目ざし、南の人は北に憧れる。どうも人間は異境に興味があるようですね。

 刺激的だった沖縄離島の旅は、いくら書いても話題が尽きないくらいです。日本最西端、最南端に立ったこと、南十字星を目撃したこと、などなど…。しかし「いつまでも沖縄でもあるまい」とも思います。
 ここらで一区切りをつけて、ホームグラウンドである札幌へ戻らねばなりません。そこで今回の投稿を「沖縄の離島から還って」シリーズの最終回としたいと思います。
        

 私が今回の旅先をなぜ「沖縄の離島」にしたかついては、「沖縄の離島を目ざして」シリーズの中で触れましたが、そこで①温かいところへ行きたい。②未体験地域へ行きたい。③違う文化を自らの目で確かめたい。④ゆったりした時間の流れに身を置きたい。という4つの理由をあげました。
 まとめると、寒い北海道を離れ温かくて、非日常性を感じられるところということになるでしょう。
        

 期待は裏切られず、私は十分に温かさを、非日常性を堪能することができたと思っています。
 旅をしながら私が「北海道から来た」と明かすと、「北海道からの人はけっこう多いですよ」という答えが返ってくることが多かったように思います。
 そして沖縄の人からは「北海道に行ったことがありますよ」という人にもけっこう会いました。
        

 どうも北海道と沖縄では惹き合うものがあるようです。
 それは互いに寒さを避ける、暑さを避けるという意味と、互いの地域が離れているだけに異境性を感じるからなのだと思います。
 
 地元の人と会話をしていて、「沖縄を訪れる九州の人って案外少ないんですよねぇ」という言葉が、人が異境性を求めるということを裏付けているような気もしました。

 次回がいつになるかは分かりませんが、次もまた私は南を目ざすことになるのでしょう。
 これにて「沖縄の離島から還って」シリーズを完結といたします。


(余話)
 球春到来!
 今日、札幌ドームでコンサドーレの開幕戦、対ベガルタ仙台戦が行われました。
 もちろん観戦しました。
 試合は黒星発進と残念な結果となりましたが、今後に希望を抱かせる内容でした。今年は楽しませてくれるものと期待したいと思います。
 観戦記は明日アップすることにします。


沖縄の離島から還って Ⅶ

2009-03-07 15:54:24 | 道外の旅

八重山諸島は音楽の島?

 島の中を歩いているとどこからともなく三線の音が聴こえてきます。特に石垣市内には沖縄民謡を聴かせるライブハウスや飲食店が数多く、人々の生活に音楽が根付いているようでした。

 沖縄というと「三線(さんしん)」と言われますが、今回の旅をする中でも三線の音色を絶えず耳にしました。

 石垣市に入ったその夜、私はまず沖縄民謡の島唄ライブハウス「安里屋」に行きました。
 ここでは八重山民謡界の大御所と称される安里勇さんの三線と唄を楽しみました。
 年輪を重ねた歌声には味があり、ツボを心得た語りは笑いを誘い、大いに楽しませてくれました。
        

 石垣市の最後の夜は、フォーク系の歌を聴かせるライブハウス「まじゃ」に足を運びました。
 ここの最初のステージを務めた「石垣島のブーさん」と称するブルースシンガーの歌声はとても味わい深く、とても気に入ってしまいました。
そのブーさんと親しくなり、いろいろとお話をさせてもらいました。
 ブーさんによると、石垣市は民謡をはじめとして歌がとても盛んな地域だとのことでした。何せ人口わずか4万5千人の石垣市の中に私がネット上で数えただけでも10軒近くのライブハウスがあるのです。その他の飲食店でも三線を聴かせるところが数多くあるようです。(観光地ということもありますが、それにしても多い!)
        

 そうした土地柄ですから、ビギンや夏川りみをはじめとして、たくさんのシンガーやグループがデビューしているとのことでした。
 ブーさんもあるいは将来メジャーデビューなんてこともあるかもしれません。

 そしてぶーさんは言います。石垣をはじめとして八重山地方では、フォーク系の音楽が好まれているということでした。ここでいうフォークとは必ずしも現代のポップス系のフォークを指すのではなく、フォーク音楽の本来の意味である民謡や土着の音楽といった意味にとらえたほうが良いようです。
 そこで合点がいきました。というのは、今回離島を巡っていて飲食店などでかかっている音楽がどこか懐かしい音楽をかけている店が多かったのが印象的に思えたからです。

 そうした歌を聴かせる専門店ばかりでなく、音楽が住民に根付いている例を2~3あげてみましょう。

 例えば、波照間島ではディケアセンターのようなところでお年寄りのリハビリとして三線を用いて合奏のようなことをしていた光景に出合いました。
 また、与那国島では民家の中から三線の練習をしているのか、その音色が聞こえてきたこともありました。

 石垣市内でバス会社の近くを歩いているときでした。バスガイドがなにやら見慣れぬケースを持って歩いています。興味を抱いた私は「何ですか、それは?」と聞きました。すると至極当然のような顔をして「三線です」という答えが返ってきました。
 バスガイドにとって三線は必携品のようです。事実、私が乗った島一周の観光バスでは男性ガイドが実に7曲もの島の民謡を三線を演奏しながら披露してくれました。

 もちろん水牛車による観光をしたときも、案内兼水牛使いの人が三線付きで島唄を披露してくれました。

 このように八重山地方では音楽が人々の生活の中にしっかりと根付いている、という印象をもちました。


沖縄の離島から還って Ⅵ

2009-03-06 18:12:10 | 道外の旅

民 宿 考

  民宿は旅のスタイルによっては楽しくかつリーズナブルな手段であるが、高齢者などが利用するには慎重な選択が必要だとも思いました。

 私の記憶では、私が民宿を利用するのはおそらく初めての経験だったと思います。
 今回の旅は、40年前のスタイルにこだわりバックパッカーに徹しようと考えていましたから、民宿の選択もいわば当然のことでした。

 ところで民宿の定義を一応ウィキペディアで確認しました。すると…、
 《民宿は主に民間が経営する、多くの場合小規模かつ、客室が和室であるなど設備が主に和式である宿泊施設のこと。観光・レジャーによる利用を主体とし、多くは家族単位の経営である》
とありました。

 私の今回の旅では、竹富島1泊、波照間島2泊が民宿で、与那国島2泊は[旅館]と称したものでした。(石垣市の2泊はビジネスホテル)
 竹富島、波照間島で宿泊した民宿は、定義にあるとおり小規模で、和式であり、家族による経営でした。それに対し、与那国島の旅館はやや大きく従業員も雇って経営しているようでした。

 利用した二つの民宿は、六畳程度の和室が何部屋か並んでおり、布団は部屋の隅に積まれてありました。(自分で敷いて、自分で片づけるスタイルです)
 洗面所、トイレ、シャワー室(風呂はない)は共用で、数ヶ所用意されていました。
 食事は食堂で宿泊者全員が揃って朝夕いただきます。

 つまり民宿は最低限のプライバシーは確保される(? 部屋の鍵はかからない)ものの、基本的には宿泊者同士の共同宿泊のような形です。(民宿によっては相部屋を要請されることもあるとか)
 ですから、宿泊者同士が知り合いになる機会も多いのです。私も前日まで見ず知らずの人たちと夕食後には毎夜のように酒を酌み交わしました。特に竹富島では真夜中を過ぎてもまだおしゃべりをしていたほどです。これを沖縄では「ゆんたく」と称するそうです。
 もちろん中には「ゆんたく」に加わらず部屋に引っ込む人もいます。
        
     ※ 宿泊者同士がゆったりとおしゃべりを楽し
      む沖縄の民宿の「ゆんたく」の様子です。    

 民宿の特徴は、なんといってもその低価格と素朴な家族的なサービスにあります。そのことが宿泊者同士の交流を促す面もあります。
 食事はけっして豪華ではありませんが、地元食材を使った手作りの心温まる食事が提供されました。量的にも十分です。

 しかし、プライバシーの確保やいろいろなサービスを望む人には不向きかもしれません。
 低価格であることに割り切って宿に過剰な期待をしない人、宿泊者同士の交流を望む人にはお勧めの宿泊形態といえるでしょう。

(余話)
 沖縄の離島で灼けた腕の表皮が2~3日前から剥がれ出していました。
 そうしたところ昨日になって手の甲の皮まで剥け始めました。
 手の甲の皮が剥けるなんて記憶にないほどです。
 年齢を重ねた肌をいじめすぎました・・・。
 


沖縄の離島から還って Ⅴ

2009-03-05 18:01:14 | 道外の旅

離島の学校

 色とりどり花に囲まれた離島の学校では、子どもたちが明るく輝き、すくすくと育っている印象を受けました。

 旅の途中でも報告しましたが、今回の旅で私は訪れた三つの島でそれぞれ三つの小学校を訪問させてもらいました。
 やはり昔(?いや、つい最近のことか)取った杵柄、どうしても学校が気になります。そして今の仕事にも多少は関わりがあることから、いずれの学校ともプライベートだったとはいえ快く訪問を受けてくれました。

 訪れた学校は、与那国町立比川小学校、竹富町立竹富小中学校、竹富町立波照間小学校の3校です。
 竹富小中学校だけは放課後の訪問だったため、子どもたちに直接は会えませんでしたが、他の2校は授業中の様子を参観させていただきました。
 特に比川小学校では子どもたちに直接お話しさせていただき、短時間でしたが授業のようにして「北国の生活」についてお話させていただいたり、質疑応答の時間を作っていただきました。4人の5・6年生はどの子もはきはきと受け答えをしてくれ、伸びやかに育っていることをうかがわせてくれました。
        
        ※ とてもはきはきと明るかった比川小学校の5・6年生です。

 お話の中で「北海道の雪はさらさらで固まらず、雪合戦が難しいんだよ」と話をすると驚いていましたが、少しオーバーだったでしょうか?

 先生方からは離島の教育の特徴を伺いました。
 島で伸び伸びと育った子が、島外の高校に進学したときに壁にぶつかり、中退する子がけっこう多いというお話でした。
 また、どの学校も小規模校だったのですが、交流学習をしようとしても予算が十分でないため、島外の子たちとの交流が十分に出来ないという悩みを聞かされました。

 施設的な意味で特徴は、廊下が教室の外についていて屋根があるだけ、教室から直接外に出られるようになっているところです。
 また、3校ともグランドは全面芝に覆われていたことも特徴的なことでした。

 しかし、教育の内容などには北海道と大きな違いはなく、日本の教育システムの優れた(?)一面を見た思いでした。

 波照間島の集落を歩いているときでした。路で出会った中学生の男の子が大きな声で「コンニチワ!」と私に挨拶してくれました。
 旅人である私にまでも挨拶ができる純真な気持ちをいつまでも失ってほしくない、と願ったのでした。


沖縄の離島から還って Ⅳ

2009-03-04 16:32:07 | 道外の旅

与那「国」の末裔は…

 今回の沖縄の離島への旅は、私に多くのものを与えてくれましたが、一方では心残りとなったこともありました。

 私は旅に出る前に綴った「沖縄の離島を目ざす」シリーズのPart Ⅱで、次のように大みえを切ったのです。(くわしくはこちら

 沢木が視て、そして感じたのは、与那国島の島民が外敵に翻弄される小島の悲哀を味わいつつも与那「国」の末裔としての誇りを感じたのではないだろうか。

 それから37年もの時間が流れている。
 沢木が抱いた感慨は今や欠片も残っていないのかもしれない。
 しかし、私はかすかな欠片を感ずることができるのではとの思いに惹かれ『視えない共和国』のコピーを片手に与那国島に行ってみよう!と思ったのです。

 結論から先に述べると、私はその欠片を感ずる前に、欠片に手をかけながらみすみすそのチャンスを逃してしまった、と言えるかもしれません。

 そのチャンスとは、沢木耕太郎著『視えない共和国』に登場する蒿西昇先生のご子息に出会ったときです。しかし、彼はこのとき職場の昼休みのために多くの時間を割くことはできませんでした。

 二つめのチャンスは、租納市街にあった私設「与那国民俗資料館」を訪れたときでした。資料館の館主「池間苗」さんは、訪れた私にとても親切丁寧に資料を説明してくれました。彼女は90歳を超える高齢でいわば島の生き字引のような方です。私はもっともっと彼女から話を聴くべきだったと、今になって悔やんでいます。
        
        ※ 「与那国民俗資料館」の館長 池間苗さんです。

 三つめのチャンスは、宿の主人です。
 彼もこの与那国島に生まれ、育った人のようでした。彼の家は、「沖縄の離島を往く」シリーズの№20(そのレポートはこちら)で紹介した1億円のお墓の持ち主の親類筋にあたるということでした。しかしその宿に2泊する間、主人と話をすることはほとんどできませんでした。

 言い訳になってしまいますが、与那国島には当初3泊予定していたものを、計画段階で2泊に変更してしまいました。その時私は「このことで旅そのものが変質してしまうのではないか」と記しました。まさにそのことが現実になったような思いです。
 私は無意識のうちに「早く見どころを見終えなければ」と焦る気持ちがあったようです。
 これがもう一日あれば「地元の人の話をじっくり聴いてみたい」という思いが湧いてきたはず、と思ってしまうのです。

 悔いていても仕方がありません。
 私の中に微かに残った手がかりである蒿西義明氏に『視えない共和国』のコピー本を送り、彼との交流を図ってみたいと考えているところです。


沖縄の離島から還って Ⅲ

2009-03-03 16:59:21 | 道外の旅

祖先崇拝の島

 沖縄(離島)には祖先崇拝の文化が脈々と息づいていることを感じさせる光景に出会うことの多い旅でした。

 石垣島一周観光バスのガイドの説明の中で「沖縄は祖先崇拝の島なのです」という説明に我が意を得たりという思いでした。
 具体的に描写してみます。

 与那国島を巡っているときでした。
 三つある集落で最も大きな租納の集落に浦野墓地群というところがあります。
 そこはもうかなり大規模な団地ができそうなくらいの広大な土地です。
 そこに沖縄独特の亀の甲羅を形取ったような大きな亀甲墓がずらーっと並んでいるのです。お墓は大小さまざまありますが、平均すると10㎡くらいはあるでしょうか。
 人口わずか1,600人の与那国島の一つの集落の墓地群でこの規模なのです。
(与那国島のそれは特に大規模に感じたことも確かですが・・・)
 このお墓の前で故人の命日や、お祭などには親族が集い酒食をしながら祖先を弔うというのです。
        
        ※ 浦野墓地群ではこうした亀甲墓の光景が見渡すかぎり
         広がっていました。

 また、波照間島の民宿に泊まったとき、民宿の食堂に島の祭事スケジュールが張り出されていました。2009年上半期のスケジュールと記されていましたが、10回をくだらない祭事スケジュールだったようです。
 月に1~2度は住民の手でなんらかの祭事が催されていることになります。

 そして、「沖縄の離島を往く」シリーズ№32(そのレポートはこちら)にも記しましたが、島の中には御獄(うたき)という農業の神、海の神、家内安全の神など、さまざまな神を祀った建物(祠?)がそこここに存在するのです。
 小さな竹富島の中だけで26もの御獄があると聞きました。

 このように沖縄の離島では祖先を敬い、祖先が継承してきた祭事を大切に守っていることをうかがい知ることができました。
 ただ、やはり島からの人口流出などによって、祭事などの維持が大変になってきているとの声も聞こえてきました。
 どの地域でも人口減少はさまざまな問題をはらんでいるようですが、祖先を敬うという日本社会が失いつつある良き伝統を、島の隆盛を図ることによって維持・継承されていってほしいと願ったものでした。


沖縄の離島から還って Ⅱ

2009-03-02 16:57:39 | 道外の旅

 今回の沖縄離島の一人旅は、私に一人旅の醍醐味を呼び覚ましてくれたように思います。

 今回、旅から還って私の中では「一人旅最高! 沖縄の離島最高!」という言葉が自然に浮かんできました。

 私は「沖縄の離島を目ざす」シリーズの最後に「40年前のノスタルジーに浸る旅に出ようと思う」(その記事はこちら)と記しました。
 40年前のヨーロッパ・アジアの一人旅で私の中に宿った一人旅のDNAは、私の中でひっそりと生き続け、それが忽然と目を覚ましたようなのです。

 何をするにも自己決定・自己責任で処理し、
 アクシデントも、思わぬ喜びも自分の中で消化する。
 足の向くまま、気の向くまま、予定変更も日常茶飯なことで、
 けっしてリッチな旅ではないけれど、それだけ地元の人たちとの触れあいの機会も増える。

 確かに体力はそれなりに衰えを感じたけれど、
 確かに瑞々しい感性はどこかに置き去られてきてしまったけれど、
 私の中に40年前のあの感覚がどこかに残っていたのは確かでした。

 「水を得た魚」という言葉があるけれど、今回の8日間の私はまさに水を得た魚のごとく一刻一刻を楽しむことができました。
 体力が続くかぎり、事情が許すかぎり、また一人旅に出てみたいと思っている今の私です。

        
        ※ 日本最南端の碑の前に立ったとき、周りには人一人
         いませんでした。これも一人旅の醍醐味の一つです。