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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

沖縄の離島から還って Ⅰ

2009-03-01 18:39:22 | 道外の旅

 今回の旅で思いもかけなかった出会いがあり、私は一人で興奮しています!        

 8日間の沖縄離島の旅から還り、さまざまなことが私の中を駆け巡ります。
 これからしばらくは旅の後日談的なことをレポートしていこうと思いますが、何をさておいても次のことを先ず報告しようと思います。
 
 「沖縄の離島を往く 10」の中で(こちらです)私は「どうやら劇的な出会いかもしれません」と書きました。
 それは日本最西端之地・西崎(いりざき)を訪れたときのことでした。
 西崎の岬の崖っぷちのところで一人弁当を食べている人がいました。
 周りには誰もいなく、二人だけだったので会釈を交わした後、私のほうから話しかけました。
 その方は地元の方で、一年前に三十数年ぶりに故郷に帰ってきて地元の牧場で働いているとのことでした。

 話好きな方で(私も話好きですが…)いろいろ話が弾むうちに、その方の父親が地元の小学校の校長先生だったことが判明しました。
 そして私はその父親の名前を尋ねたのです。すると「たけにしのぼると言います。たけにしのたけは、山かんむりに高いと書く嵩という字です」と聞いて、私にはピーンと来るものがありました。

 それは確か沢木耕太郎が与那国島をルポルタージュした『視えない共和国』の中に出てくる先生の名前だったように記憶していたのです。(私は『視えない共和国』を旅の供にすると言っていながら、それを忘れてしまう失態を演じてしまいました!)
 そのことを話すと、嵩西昇校長の息子の嵩西義明さんは「そうかもしれないですね」と話されました。
 私は「帰ってから本の内容を確認し、事実だったら連絡します」と話し、住所を交換したのです。

 帰ってきて早速『視えない共和国』を繰ってみました。
 すると、『視えない共和国』の前半に次のような記述がありました。
《 帰りがけに先生をひとり紹介してもらった。嵩(たけ)西(にし)昇という与那国中学の先生だ。(中略)嵩西先生は予想に反して、かなりの年配の、しかも教頭だった。(後略)》
 この後、沢木と嵩西教頭との交流の記述がしばらく続きます。

 間違いなく私が出会ったのは『視えない共和国』に出てくる嵩西昇先生のご子息だったのです!

        

 私は今回の旅に出る前にレポートを続けた「沖縄の離島を目ざして」の中で、「今回の旅は沢木耕太郎著『視えない共和国』に触発されての旅である」と記しましたが、思わぬ形で沢木耕太郎と私を結びつけてくれたことに感謝する思いでいっぱいなのです。

 写真は比川小学校の校長室に掲げられていた第12代校長嵩西昇氏の写真です。