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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

沖縄の離島から還って Ⅳ

2009-03-04 16:32:07 | 道外の旅

与那「国」の末裔は…

 今回の沖縄の離島への旅は、私に多くのものを与えてくれましたが、一方では心残りとなったこともありました。

 私は旅に出る前に綴った「沖縄の離島を目ざす」シリーズのPart Ⅱで、次のように大みえを切ったのです。(くわしくはこちら

 沢木が視て、そして感じたのは、与那国島の島民が外敵に翻弄される小島の悲哀を味わいつつも与那「国」の末裔としての誇りを感じたのではないだろうか。

 それから37年もの時間が流れている。
 沢木が抱いた感慨は今や欠片も残っていないのかもしれない。
 しかし、私はかすかな欠片を感ずることができるのではとの思いに惹かれ『視えない共和国』のコピーを片手に与那国島に行ってみよう!と思ったのです。

 結論から先に述べると、私はその欠片を感ずる前に、欠片に手をかけながらみすみすそのチャンスを逃してしまった、と言えるかもしれません。

 そのチャンスとは、沢木耕太郎著『視えない共和国』に登場する蒿西昇先生のご子息に出会ったときです。しかし、彼はこのとき職場の昼休みのために多くの時間を割くことはできませんでした。

 二つめのチャンスは、租納市街にあった私設「与那国民俗資料館」を訪れたときでした。資料館の館主「池間苗」さんは、訪れた私にとても親切丁寧に資料を説明してくれました。彼女は90歳を超える高齢でいわば島の生き字引のような方です。私はもっともっと彼女から話を聴くべきだったと、今になって悔やんでいます。
        
        ※ 「与那国民俗資料館」の館長 池間苗さんです。

 三つめのチャンスは、宿の主人です。
 彼もこの与那国島に生まれ、育った人のようでした。彼の家は、「沖縄の離島を往く」シリーズの№20(そのレポートはこちら)で紹介した1億円のお墓の持ち主の親類筋にあたるということでした。しかしその宿に2泊する間、主人と話をすることはほとんどできませんでした。

 言い訳になってしまいますが、与那国島には当初3泊予定していたものを、計画段階で2泊に変更してしまいました。その時私は「このことで旅そのものが変質してしまうのではないか」と記しました。まさにそのことが現実になったような思いです。
 私は無意識のうちに「早く見どころを見終えなければ」と焦る気持ちがあったようです。
 これがもう一日あれば「地元の人の話をじっくり聴いてみたい」という思いが湧いてきたはず、と思ってしまうのです。

 悔いていても仕方がありません。
 私の中に微かに残った手がかりである蒿西義明氏に『視えない共和国』のコピー本を送り、彼との交流を図ってみたいと考えているところです。