「旅には適齢期というものがあるかもしれない」と沢木耕太郎はその著書『旅する力』の中で語っている。
確かにそうだろうと思う。しかし、敢えて私は40年前のノスタルジーに浸る旅に出ようと思う。
沢木はその章の中で次のように語っています。
「つまり、あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。もちろん経験は大きな財産だが、未経験もとても重要な財産なのだ。本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ。」
きっと沢木の言うとおりなのだと思います。
40年前の私には見るもの、触れるもの全てに驚き、感動していたように思います。
しかし40年後の今、もはや私にそのような瑞々しい感性が残っているとは思われません。
沖縄の離島で初めてのものを見たり、触れたりしても40年前のような感動を得ることはもはや難しいことだと思っています。
それでもなお40年前のスタイルにこだわりながら旅立とうとするのは・・・。
「さまざまな経験を経たからこそ見えるもの、感ずるものもあるはずだ」との思いがあるからです。
沢木は次のようなフォローをしながらもダメダシをします。
「もちろん、三十代には三十代を適齢期とする旅があり、五十代には五十代を適齢期とする旅があるはずだ。(中略)
しかし、二十代を適齢期とする旅は、やはり二十代でしかできないのだ。五十代になって二十代の旅をしようとしてもできない。残念ながらできなくなっている。だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ。」
(沢木の言う二十代の旅とは深~い意味があってのことなのですが・・・)
二十代の旅はもはやできないことは承知ですが、二十代の旅を思い起こしながら六十代の旅をしてこようと思います。
なんだか出発前にずいぶん格好をつけてしまいましたが、本音のところでは気楽に旅を楽しんでこようと思っているだけなんです。
それでは明日から楽しんできます。
ああ、それなのに・・・。
この空模様はなんて皮肉なんでしょう・・・。
明朝、無事に新千歳飛行場を飛び立てるのやら、足止めを食らうのやら・・・。
まあ、例えアクシデントがあったとしても、それさえも楽しむくらいの気持ちでいきましょうか。