教育文化会館の大ホールは耳をつんざくばかりの大音響のゴスペルソングが響き渡った。ゴスペルソング独特の身体の全てを駆使して発する声量には圧倒させられた。と同時に年老いたお爺にはどこか冷めた感情も生じていた…。
11月23日(祝・水)夜、札幌市教育文化会館において「HEAVENLY WIND GOSPEL LIVE2022」が開催されたが、早くからチケットを入手していた私も駆け付けた。
私はHEAVENLY WINDというゴスペルグループがどのようなグループなのかもよく知らないまま、「ゴスペルライブ」と聞いただけでチケットを求めていた。というのも、過去に私はいつくかのゴスペルグループのステージをみて何度も感動を味わった体験があったからだ。その体験からかなり年数が経っていたことで、再びその感動を味わいたくて衝動的にチケットを購入していた。
その感動のステージとは、2012年12月に聴いた「kiki & ゴスペルクワイヤ」と翌2013年9月に聴いた「Mother Cross」の二つのグループだった。二つのグループともにメンバーは20名前後だったと記憶しているが、彼女らの全身全霊を駆使するかのような歌声は確かに私の魂を揺さぶられた。その後も他のいくつかのゴスペルグルーブのステージを体験しているが、上記二つのグループの体験は強烈だった。その体験を再び味わいたいと教育文化会館に向かった私だった。
HEAVENLY WINDは大編成だった。歌い手だけで100名を超すという。彼ら歌い手の前には何本ものマイクスタンドが立ち並んでいた。その上、バックには大音響を奏でるロックバンドが控えていた。
最初の曲「Baba yetu」が始まった。大変な迫力である。会場内が大音響で包まれた。マイクで増幅された100名の歌声は「凄い!」と思った。次々と大音響の歌声が披露される。
私の前の席の女性の一団は完全にノリノリの様子だった。しかし、私はなぜか以前に感じたような魂を揺さぶられるほどの感動を覚えることができなかった…。どうしてだろう?と考えた。確かに以前とは年齢的にもかなり歳を増している。感動などもはや覚える歳ではないのかもしれない。しかしそれだけではない、とも思った。私の中では、なんだか無理矢理大音量を作り出しているように思えてならなかったのだ。
※ 会場での写真はもちろんNGである。写真はプログラムに掲載されていた昨年の無観客ライブの様子の写真を拝借したものです。
100名を超えるゴスペルの歌であれば、マイクなど通さずとも十分に迫力ある音量となるはずである。さらにバックバンドの音量も必要以上に増幅され過ぎてはいなかったか?そう思った時、なんだか無理矢理聴いている私たちをトランス状態(精神状態が平時とはかけ離れた境地にあるさまを指す)に導こうとしているのではないか、などと思ってしまったのだ。そう思ってしまった途端、私の気持ちはすーっと冷めてしまった。
ゴスペルの歌には先述したように聴いている者の魂を揺さぶられる思いがするほどパワーがあると私は思っている。しかし、必要以上にそこへ導こうとする演出はどうなのだろうか? そんなことを考えること自体、私が歳をとり過ぎたということなのだろうか……。