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少子・高齢社会の日本の行く末は?

2016-11-14 23:34:18 | 講演・講義・フォーラム等
 講師の牧野東大大学院教授は、「これからの社会の大きなテーマは、社会的であること」と主張する。「社会的であること」とは? 教育学者が説く我が国のこれからの在り方について耳を傾けた。 

 11月10日(木)、道立生涯学習推進センターが主催する「生涯学習推進専門講座」に参加した。この講座は市町村の社会教育を担当する職員など行政職員を対象としたものだったが、講座の冒頭の基調講義だけは一般市民にも公開されたために受講した。

 その基調講義は、東大大学院教育学研究科教授の牧野篤氏「学び:自分と世界をつくり出す運動 ~地域に必要なコーディネーターのあり方~」と題して講義した。

                    

 牧野氏は講義の冒頭で、劇作家の平田オリザ氏の「下り坂をそろそろと下る」という著書の中の一文を紹介してくれた。その一文とは…、司馬遼太郎が著した「坂の上の雲」を模して次のように日本の行く末を示唆したという。
 「まことに小さな国の衰退期には三つのさみしさに耐えること」として、「もはや工業立国ではない」、「もはや成長は望めない」、「もはやアジアの先進国ではない」と断じたという。そして「もうこの社会の希望はさがし出せない」とし、「新しい社会をつくる文化 = 生き方を生み出す」ことが必要だと指摘したという。

 牧野氏がこの一文を紹介したということは、牧野氏自身が平田氏の考え方と軌を一にすることを物語っている。つまり、日本の行く末、いやもう差し掛かっている「高齢社会」、「少子化社会」、「人口減少社会」という日本の現実を直視し、その現実を受け止めたうえで日本の将来を語るべきではないか、という問題提起と受け止めた。

 よく言われることであるが、今後我が国においては、これまでの成功モデルが通用しなくなった、ということが良く言われるようになった。つまり良い大学を出て、良い会社に入って、etc、etc …。このような図式が産業社会(工業社会)の終焉とともに崩れてしまい、価値観が転換したと牧野氏は指摘する。
 その価値観とは、個人の人格を完成し、自我を形成して、国家へ帰属する(大きな会社、大きな組織に属する)ことを普遍の原理として社会が統合していたのが日本社会だったが、その考え方が成り立たなくなったというのだ。

 すると人々はどう対応すれば良いのか、というと…。牧野氏は次のように言う。
 「学習」による自己価値の実現をベースに、「学習成果の活用」による社会参加を促し、「生涯学習を通したまちづくり」へ国民が参加することだという。

 牧野氏の処方箋はやや弱い気もするのだが、教育学者として価値観の転換を教育的立場からどう考えるかとしたときには当然の帰結とも言えるかもしれない。
 牧野氏の指摘を誤解を恐れずに、私流に言葉を変えて表現するなら、これまでの「学習」はどこかに所属するため、だれかに認められるための学習であった。しかし、これからの「学習」は自らの自己実現のために学習し、その成果を社会に活用するようなシステムにしていく必要があるとした。それはまた、一時期だけの学習ではなく、生涯を通した学習によって、子どもも、若者も、老人も全てが「まちづくり」に参加するような社会を目ざす社会でありたい、と指摘したと受け止めた。

 牧野氏の講義は、もっともっと多岐にわたったのだが概略上記のようだったと理解した。そして講義題との整合性だが、価値観の転換によって「学習」の質が転換するにあたって、生涯学習を支援する立場の社会教育関係者は、地域の住民が学習するにあたってのコーディネーターとしての在り方を見直そう、という趣旨だったと理解した。