2007年度のカンヌ映画祭の審査員特別賞グランプリを獲得した作品だという。しかし、正直言ってこの映画の感想をレポートするのに戸惑った。それはこの映画の良さがいま一つ私には伝わってこなかったからだ。
映画を見ながら眠くてしかたがなかった。
それは私が映画の中に入っていけていないという何よりの証拠だった。
なぜそんな思いになったのか、考えてみた。
6月15日(水)札幌市生涯学習センターで月例(?)の「ちえりあ映画会」があり、カンヌ映画祭受賞作の「殯の森」が上映されるということで友人を誘って出かけた。
昼間の開催、しかも無料となればシニア層が対象である。この日もシニアの人たちで会場はほぼ満杯だった。
映画は妻を早くに亡くし痴呆症を患っている老人の男と、子どもを不慮の事故で亡くした介護福祉士の交流を描いたものである。映画のキャッチコピーは「人間の生と死を厳かに見つめる人間ドラマ」とあった。
私が映画の中に入っていけなかった理由の一つは、映画が劇映画でもあるにかかわらずドキュメンタリータッチに描いたためかセリフがクリアでなかったことがある。つぶやくような声であったり、周りの声と重なったり、まるでセリフは重要ではないとさえ思われるような映画に思えた。
理由の二つ目は、ストーリーの説明が十分でなかったことだ。例えば冒頭に映画の舞台となった奈良地方に伝わる葬送のシーンが延々と続く。作者(監督)は「人間の生と死」というテーマを暗示しようとしたのだろうが、そのシーンが私にはストーリー全体の中でどれだけの必要性があったのか理解できなかった。
私には葬送の列を追う映像の中で麦畑が風にそよぐシーンとか、痴呆の男と介護福祉士が茶畑で戯れるシーンなどの美しい映像が印象に残ったが、残念ながら映画が主張しようとしていたことは伝わってこなかった。
映画はエンターテイメント性を伴いながら、その中に作者(監督)の思いや主張、あるいは芸術性を織り込みながら提供するメディアではないだろうか。また、そのことを期待して私たちは映画館に足を運ぶのではないだろうか。
しかし、この映画には私たちが映画に求めるエンターテイメント性が欠けていたように私には思えた。その思いは一緒に観賞した友人たちにも共通の思いだったようだ。
ネット上の評判も全く両極に分かれているようだ。
ある映画評論家が「河瀬直美という監督の映画は、普通の人が何気なく見るにはまったく適していないということだ。世界でもっとも適さない監督の一人と断言してもよい」と言っている。
私はその普通の人の一人だったようだ…。