わざわざ遠くからウォーキング大会に馳せ参じる人たちはなぜ“歩く”という単純な行為に夢中になるのだろう。私はまだ夢中というレベルではないが、4日間の「でっかいどうオホーツクマーチ」に参加しながら考えてみた…。
ウォーキング大会に参加してみると全国各地から参加されている方がとても多いのに気付く。(私は道内の大会しか経験がないが…)もちろん北海道から全国各地の大会に参加されている方も多いと聞く。
参加層のほとんどはシニア層である。女性が目立つのも特徴の一つだ。
なぜ多くの費用をかけ“歩く”ために遠くからやってくるのだろう?
今大会の三日目、四日目に一緒に歩くことになったウォーキング大会の参加経験が豊富なベテラン氏は、その話題になったときに、「そこに山があるからじゃないが、そこに道があるからだろうね」と話していた。かの有名な登山家マロリーが遺した言葉を引用したものである。
ベテラン氏が言いたいのは「明確な理由などないよ」ということなのだろうか?
そういうことかもしれないが、私は敢えてその理由を考えてみたいと思った。
※ スタート直後はこのようにたくさんのウォーカーが見えるが…。
私の場合で考えてみた。
現職の頃は、こうした大会の存在自体すら知らなかった。
“札幌を知る”ために札幌市内のコースをウォークしているうちに大会の存在を知ることとなり、好奇心から札幌市で行われた大会に参加してみた。
すると、ふだん取り組んでいるウォーキングより数倍長い距離をこなす大会は私にとってかなりの負担となるものだった。
しかし、そのことがかえって私を奮起させたようだ。その後散発的ながら道内の大会に参加し続けている。
なぜ負担となり、苦しい思いをしてまで大会に参加し続けているのか、と自分に問うた時に、一つは自分が「健康である」ことを確認できたという歓びであるような気がした。そしてもう一つは「生きている」実感を感じ取れることではないだろうか、と思っている。
※ 大会の楽しみの一つ、歓迎レセプションの様子です。写真は
北見会場で焼き肉を楽しんでいるところです。ちなみに網走は
海鮮バーベキューでした。
他の多くの参加者はどうなのだろう?
ベテラン氏が言うように明確な理由などないのかもしれない。
しかし、大なり小なり私が思うようなことをウォーカーたちはどこかで感じているのではないだろうか…。
各地の大会に参加し顔を真っ黒にしている人。私よりははるかに高齢なのに元気そうな人。脚を故障しながらも杖を頼りに懸命にゴールを目ざす人。
そうした参加者を見ていると、「生きていること」「健康であること」を実感し、歓びを味わうために参加し続けているのではないかという気がしてくる。
またそのことを後押し、参加者を奨励する日本ウォーキング協会の表彰制度も巧みである。私はまだ十分には理解していないがさまざまな表彰制度があるようである。大会参加者の中にはその表彰を楽しみに参加し続けている人も多いようだ。
大会から二日が経過しているのに、私の体はまだ筋肉痛から解放されていない。
今大会の完歩賞4枚を前にしながら、これからも「生きていること」「健康であること」を実感するために時折大会に出てみようかな、と思っている私である。
※ かわいい完歩賞を4枚いただきました。