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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

徳川家康 読了!

2010-01-08 16:41:19 | 本・感想

 「とうとう」・・・。いや、「よ~~やく」と言った方がぴったりくる。
 講談社文庫の山岡荘八著「徳川家康」26巻をよ~~やく読み終えることができた! 
        
        
        ※ 山岡著「徳川家康」の最後の24・25・26巻です。        

 私のブログを振り返ってみると、昨年7月11日の投稿で「徳川家康を読み始めた」とありますから、ちょうど半年間かかったことになります。
 そしてたまたまですが、その間がちょうど26週ですから、1週に1冊のペースで読み進めたということになります。

 徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉と同時代を生きた武将だから、山岡荘八氏の「徳川家康」は織田、豊臣の時代も含めた壮大な歴史読み物となったようです。そう考えると、山岡荘八氏が著した「織田信長」や「豊臣秀吉」は「徳川家康」の序章的な位置づけにも見えてきます。
 さらに山岡氏がそのような手法をとったのは、三人がいずれも天下統一を目ざしていながら先の二人は完全な統一を成しえないまま生涯を閉じることになってしまいました。そのことを目の当たりにした家康が、二人の生き方や手法を反面教師として慎重な上にも慎重に、深謀遠慮を施した上で真の天下統一の成し遂げたということを書き表したかったのだと私は解釈しました。

 それにしても歴史物を読むということは、現代物を読むのとは違った難しさがありますね。
 歴史物初心者の私としては、まず人物の相関図を把握するのが大変です。戦国時代は政略結婚が当たり前ですから、そのことによって生ずる複雑きわまりない相関関係を理解することは私のような者にとっては難解至極です。
さらにそのことを困難にするのが、一人の人物が次々と名前を替えたり、いくつもの名前を使うことです。その上、その名前がまた一筋縄では読めないような名前が多いのです。
 集中して読む時間があるのなら、少しはその点の克服も可能かと思われるのですが、私のように短い時間をつぎはぎするように読み進める者には、誰が誰だか混沌としてわけが分からなくなってくるのです。
 おかげで読み進める端から内容の忘却がはじまるという有り様でした。(トホホッ…)

 そんなことなので、「徳川家康」の読後感想を記そうと思っても、気の効いたことなど何一つ記すことができません。
 ただ一つ云えることは、山岡荘八はこの時代の歴史を徹底して徳川家康の視点から捉え、「泰平の世」の実現のために家康の全ての思考・行動があり、家康を不世出の名君として表現したということでしょう。
 この「徳川家康」が世に出た時(昭和25~42年にかけて新聞小説として)空前の“家康ブーム”が巻き起こったということです。私も読み終えた今、家康に対して心のどこかで尊敬の念を抱いていることに気づきます。それほど山岡壮八の筆致は優れ、家康の人物は偉大だったのでした。 

 最後に私が26巻の中でたった一ヶ所だけメモした家康の言葉を紹介して、この項を閉じたいと思います。

 「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとくじゃ。急ぐべからず、・・・不自由を常と思えばさして不足はないものよ。こころに望みおこらば困窮したときを思い出すべし・・・」
    
 「堪忍は無事長久の基(もと)、怒りは敵と思え、勝つことばかり知って負くることを知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるにまさるものぞ」 
 

※ 山岡本は「徳川家康」を終えてまだ48巻、100巻読了までの道はまだ遙か遠い道です。さっそく次の「毛利元就」を予約しました。