田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ひまわりおじさん物語 6

2010-01-26 19:57:06 | その他
※ 「ひまわりおじさん物語」の中に一部不適切な表現があったために一時投稿を休止していました。これまでの掲載文も修正加除しております。関係者にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げ、今後十分注意しながら連載をあと数回投稿したいと思います。

ひまわりおじさんの本拠地を訪問

        
        ※ ひまわりおじさんの5冊目の著作「神戸から新潟へ 
         足跡がいつか道に」です。        

 Mは集落ぐるみでジャンボひまわりコンテストを催した学校に3年間勤務した。その間ずーっとひまわりの花を中心にした学校づくりを展開した。
 例えば、学校のスローガンは「あふれる笑顔 ひまわりの花咲く OO小」というように・・・。

 そしてMはオホーツク地方では中規模に属する海辺の学校に転任した。
 その学校でももちろんジャンボひまわりを栽培した。しかし海辺ゆえ風が強く、なかなか大きく成長するひまわりを育てることができなかった。
 そんな中、2004年9月にMは和歌山県白浜町に行く用務ができた。「和歌山だと神戸に近い!ひまわりおじさんに会いたい!」とMは思った。
 早速連絡を取ったところ、ひまわりおじさんは快諾してくれ、Mは神戸市を訪れることになった。

 和歌山県での用務を終えた後、Mは神戸に向かい、私たちは神戸市の「人と未来防災センター」で落ち合うことになった。
 「人と未来防災センター」は阪神・淡路大震災を記念して建てられたセンターであるが、そこには大震災の記憶が余すところなく詰め込まれていた。特にジオラマによって地震直後の様子を再現したところはその衝撃を十分に伝えるものであった。
 ひまわりおじさんはちょうど来館者に震災の様子を伝える「語り部」の当番に当たっていて、再会をしたのも束の間、ひまわりおじさんの語りを聴くことになった。ユーモアを交えながら、しかし真剣に震災を後世に伝えようとする気持ちが伝わってくるお話だった。

 センターではまた、ちょうど「ジャンボひまわりコンテスト」も開催されていて、私が写真と共に書き送ったものも掲示されていた。私の育てたひまわりは他の参加者のものに比べるぐっと小さいものだったが、北海道からの参加ということでコンテストが全国的な広がりをもたせることには役立ったのかな?と思って観ていた。
 会場には4m以上にも伸びたジャンボひまわりの本物も持ち込まれていました。

 その後、ひまわりおじさんはMをポートアイランドにあるひまわりなどを栽培している「ひまわりの夢企画」の本拠地に案内してくれた。
 当時はまだポートアイランドも未整備の土地が多く、そうしたところに「ひまわりの夢企画」の方々は積極的にひまわりを植えていたようであった。

 私を案内するひまわりおじさんはとても生き生きとしていて、自分たちがやっていることが楽しくて仕方がない、といった表情が印象的だった。

※ この跡、№7に続く。