田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ひまわりおじさん物語 5 

2010-01-21 16:44:28 | その他
ひまわりおじさんと私の出合い
 
※ いよいよ私Mの登場です。

        
        ※ ひまわりおじさん4冊目の著作というよりは、神戸で地震
         に関する国際学会があったとき、その参加者に配布するた
         めに3冊目の著作「瓦礫のまちにひまわりを」の英訳して発 
         行したものです。    
 
 Mは、北海道のオホーツク地方で小学校の教員をしていた。
 1998年、Mは小さな集落の児童数わずか9人という小学校に赴任した。
 集落も学校も急激に進む過疎化にひっそりと静まりかえっているようであった。
 Mはそんな集落や学校をなんとか元気づけられないものかと考えていた。

 ある時Mが学校の記念誌を繰っていたところ、学校にたくさんの子どもがいて賑やかだった頃、「ひまわりは太陽の花、ひまわりのように明るく、強く!」と子どもたちに語りかけ、学校の周りにはたくさんのひまわりの花が植えられていたことを知った。
 Mは「これだ!」と思った。そして学校の周りにひまわりをたくさん植えた。それと同時にMはいろいろと資料を調べ始めた。
 Mの記憶では、確か「農山漁村文化協会」というところが発行した「そだててあそぼう」という絵本のシリーズの中に「ヒマワリの本」という本があった。
 その本を繰っていると、後の方のページにジャンボひまわりのことが載っていた。そして、その片隅に「希望者には種をお分けします」という記事をMは見逃さなかった。その種を配付していたのがひまわりおじさんが代表をしている神戸市の「ひまわりの夢企画」だった。

 Mはさっそく「ひまわりの夢企画」に「ひまわりの種を譲ってください」と手紙を書いた。
 すると、秋になって「ひまわりの夢企画」からたくさんのジャンボひまわりの種が送られてきた。そこには、「ジャンボひまわりの成長の写真とひまわりの高さを連絡してほしい」また、「収穫した種の一部を夢企画に送ってほしい」との添え書きがあった。
 翌年、Mは送られてきた種を学校だけで育てるのは惜しい。集落全体に配付して、集落のジャンボひまわりコンテストをしようと考えた。
 それは集落のほとんどの家庭が参加する楽しい「ジャンボひまわりコンテスト」の催しとなった。
 その結果が当時の学校だよりに載っている。それによると・・・、
◇第1位 Iさん 3m49 ◇第2位 Hさん 3m42 ◇第3位 学校 3m52
と第10位まで記載されている。
 ちなみにMが家庭で育てたのは第8位に入っていて、高さは2m92という記録が残されている。

 Mはその秋、ひまわりおじさんからの要請もあり、第3位までの写真と記録を「ひまわりの夢企画」に収穫した種の一部と共に送ったのだった。
 それ以来、私Mとひまわりおじさんの交流は細く長く続いている。

※ 以下、№6に続きます。