田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ひまわりおじさん物語 3

2010-01-17 20:09:32 | その他
ひまわり温泉誕生!

        
        ※ ひまわりおじさんの2冊目の著作「笑いのセールスマン Ⅱ
         ~ありがとう 神戸~」です。 
         
 阪神・淡路大震災はひまわりおじさんのこれまでの生活を一変させるものだった。
 前述したように彼も住宅の被害を受けたのだが、自分より困っている人たちのために彼は走り出したのだ。
  
 彼は自らトラックを駆って避難所への給水活動を開始した。
 給水活動をするうちに避難所の人たちが風呂を欲していることに気がついた。
 そうすると彼は自らの技術を駆使して、車用のスチーム洗車機を改造して温水シャワーを作り(3人が一度に利用できるもの)トラックの荷台に載せ避難所巡りを始めた。その最初の日が1月24日というのだから震災発生から約2週間後である。彼は「自衛隊より早くお風呂の提供ができた」ことを密かな誇りとしているそうである。
 その温水シャワーの仕切り壁に、ひまわりの絵を描いたベニヤ板を利用したことから自然発生的に「ひまわり温泉」と呼ばれるようになった。
 そのベニヤ板は、彼が以前から青少年の育成活動の一環として迷路遊びの迷路を造る際に使っていたベニヤ板だったそうである。
 ひまわり温泉は各避難所を4~5日程度で巡回していたが、若宮小学校の避難所では学校側の理解もあってその後半年間も一ヶ所で避難所住民にシャワーを提供したそうである。
 そうして結局ひまわり温泉を利用した人の数は延べ1万人を超えたと聞いた。

 ところでなぜ彼は“ひまわりおじさん”と呼ばれているのか、また自称しているのかについて触れねばなるまい。
 彼は以前から青少年育成活動に関わっていたが、彼の中では「青少年の健全育成」⇒「明るい街づくり」⇒「太陽の花・ひまわり」という図式の中から、神戸市内にたくさんのひまわりを育成することを提唱し、実践していたのだ。
 そうした中で起こった阪神・淡路大震災は神戸の街を瓦礫の山と化してしまった。
 その状況を見たとき彼は、瓦礫の街にこそひまわりを植えて人の心を明るくしたいと考え「瓦礫のまちにひまわりを!」のキャッチフレーズのもと、以前にも増してひまわりの育成活動を行うようになり、いつしか「ひまわりおじさん」と呼ばれるようになり、自らも「ひまわりおじさん」と自称するようになったのである。

※ 以下、№4に続きます。