ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の見出し「パナソニック 半導体撤退」という記事を拝読しました

2019年11月29日 | 日記
 2019年11月28日に発行された日本経済新聞紙の夕刊一面に見出し「パナソニック 半導体撤退」という記事が載っていました。

 パナソニックは11月28日に、パナソニック系の半導体事業を台湾の新唐科技(ヌヴォトン・テクノロジー)に売却すると発表したという記事です。

 パナソニックの半導体事業子会社の全株式を2020年6月をメドに、2億5000万米ドル(約270億円)で売却するとのことです。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版にも見出し「パナソニック 半導体撤退へ、台湾企業に売却」と掲載しています。



 これまでにもパナソニックは、半導体事業の工場や一部事業の売却などを行って構造改革を進めてきましたが、半導体事業では赤字が続いていました。

 パナソニックは2021年までに赤字事業の構造的な整理を徹底する方針を示していることの一環です。

 実はパナソニックは、このいくらか前に、液晶パネル事業からの撤退も発表しています。電気・電子・半導体系事業の整理を続けています。

 1980年代は、“電子立国日本”との呼び名の下に、米国市場に半導体を輸出し続け、これに困った当時の米国政府は「日米構造協議」との名称で、日本に半導体の輸出規制をさせたほど、日本の半導体産業は強いものでした。

 今は、こうした過去の強みはいつの間には消え失せ、日本企業は韓国や台湾、中国の半導体企業の後塵を拝しています。わずか30年で、日本の半導体産業は事業としては大きく落ち込みました。

 その一方で、日立製作所は11月25日に、グループの中核子会社である化学大手の日立化成の売却を巡って、総合化学メーカーの昭和電工に買収の優先交渉権を与えることを決めたと発表してます。

 日立製作所は、日立グループの「御三家」と呼ばれた日立化成を売却し、“ものづくり”から“デジタル関連事業”を中核とする企業への移行を急ぐという戦略だそうです。日立化成は東証1部上場の会社で、日立製作所が51パーセントの株式を保有しています。日立製作所の近未来像に必要な事業だけに特化する戦略です。

 この企業売却が実現すれば、日本国内の化学業界でも久々の大型再編となります。

 話を半導体事業に戻すと、11月27日に東京大学と台湾の半導体ファウンドリ最大手のTSMCは、全社・全学レベルでの連携アライアンスを締結し、Society 5.0社会の実現に向けて求められる先進的な半導体システムに関する研究開発面で協業を推進していくことを発表しています。

。日本の有力な研究大学の東大が行っている半導体関連の研究開発成果を台湾企業に技術移転するという中身です。

 日本の半導体企業は、東大以外の日本の有力大学と組むという話なのでしょうか。日本の半導体企業の実力が低下する可能性を示す産学連携事例です。

仙台市青葉区川内にある仙台城二の丸跡では、カエデの木が綺麗に紅葉しています

2019年11月29日 | 旅行
 仙台市青葉区川内にある仙台城二の丸跡では、カエデの木が紅葉し、サザンカの木が花を咲かせています。

 この仙台城(通称、青葉城)二の丸跡は、広瀬川の河岸段丘の上にあり、眼下を流れている広瀬川越しに、仙台市の市街地が望めます。江戸時代に仙台藩の行政は、この二の丸辺りで決められてたと推定できます。

 仙台城二の丸跡の端には、仙台城大手門脇櫓跡(やぐらあと)があり、仙台城の本丸への入り口という雰囲気が濃い場所です。



 この仙台城大手門脇櫓跡は、第二次大戦後にたぶん昭和時代に復元された建屋です。

 「仙台城二の丸跡」は、正確には東北大学川内キャンパスの西端にあり、この部分は市民に事実上は公開されています。散策路が公開されています。

 この仙台城二の丸跡には、東北大学百周年記念会館 (川内萩ホールも隣に建っています)という建物が建っています。





 この東北大学百周年記念会館に向かって、背の高いメタセコイアの巨木の並木が続いています。





 メタセコイアの巨木は赤茶けた紅葉をし、葉が落ちています。

 この仙台城二の丸跡の中には、ソメイヨシノなどの桜並木があり、葉が落ち始めています。

 仙台城二の丸跡には点々と植えられたカエデの木があり、葉が真っ赤に紅葉してます。





 メタセコイアやサクラの木々の間に、カエデの木が点々と植えられています。





 パラパラと植えられたサザンカの木が花を咲かせています。







 仙台城大手門脇櫓跡に近い部分に、支倉常長の銅像が立っています。木々に囲まれてあまり目立たない感じです。





 伊達政宗が慶長18年(1613年)に慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)として、支倉常長を副使としてメキシコ経由で派遣した経緯を思い出します。メキシコ経由で、スペインとイタリアに向かい、スペイン国王・フェリペ3世とローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣された使節団です。

 実際には、この当時に日本からメキシコに渡るだけでも大変な船旅だったことと思います。

 仙台藩藩主の伊達政宗は、外国との海外交易によって、仙台藩を繁栄させたいと考えていたそうです。

 まったく目立たないのですが、東北大学百周年記念会館の裏側に三太郎の小道という散策路があります。

 この「三太郎の小道」はたぶん、今はもう忘れられた存在になっている気がします。