ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

長野県東御市にある湯の丸高原では、レンゲツツジが見ごろを迎えています

2017年06月19日 | 旅行
 長野県東御市新張湯の丸にある湯の丸高原の湯の丸スキー場では、レンゲツツジ祭りが開催されています。

 湯の丸山(標高2101メートル)の山麓にある湯の丸スキー場では、レンゲツツジが見ごろを向かています。



 湯の丸スキー場の第一リフトの下側部分に群生しているレンゲツツジが花を咲かせています。





 実際には、東御市側の湯の丸スキー場からさらに北上し、下り坂を少し進むと、レンゲツツジの大群生地に出ます。







 このレンゲツツジの群生地は、群馬県吾妻郡嬬恋村側にあります。

 今がちょうど、見ごろです。シラカバ林の中で、レンゲツツジが花をたくさん咲かせてます。

 東御市市街地から北上し、湯の丸高原に向かう途中は、きつい上りのくねくね道を進みます。

 そのきつい上りのくねくね道沿いには、ちいさな滝のようなものがいくつかありました。



 湯の丸高原の森は、豊かな雨量がつくり出していると感じました。

 湯の丸高原の地蔵峠から池の平湿原に向かう南東方向の途中の山道からは、北アルプスの白い峰々がいくらか見えました。



 北アルプスのどの辺りの白い峰々なのかは分かりません。

 湯の丸高原では、ヤナギランなどはまだ芽生えたばかりです。

日本経済新聞紙の「タカタ、失われた10年 甘えの構造、危機意識に蓋」を拝読しました

2017年06月19日 | 日記
 2017年6月17日に発行された日本経済新聞紙の朝刊の一面に掲載された見出し「タカタ、失われた10年 甘えの構造、危機意識に蓋」を拝読しました。

 欠陥エアバック問題によって迷走を続けてきたタカタが民事再生法の適用申請をすることで最終調整に入ったと伝えています。

 最初に米国でホンダがタカダ製エアバックでリコールしたのが2008年と10年も前です。そして米国で原因不明のエアバックの異常破裂が相次ぎ、調査目的のリコールが広がったのが2014年です。

 記事は、最初のトラブルを軽視せずに、本格的な調査や消費者への徹底したアピールをすぐに始めていれば、現在井のような悲劇が絶えない状況にならなかったと指摘する声は多いと伝えています。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版でも、見出し「タカタ、失われた10年 甘えの構造、危機意識に蓋」と伝えています。



 タカタがエアバック問題に対応する経営改革に遅れた要因の一つが、日本式の「ケイレツ」の甘さだと指摘します。

 タカタはエアバックの世界シェア第二位という事業規模から、タカタからエアバックの供給が受けられなければ、自動車メーカーが苦しむと考えてしまいました。

 日本の自動車部品メーカーは、自動車メーカーとの密接な関係を維持し、非常時の対応力などでは威力を発揮してきました。しかし、今回の問題の舞台は米国であり、日本では大目に見てもらえるケースも、米国では消費者保護意識が高く、訴訟社会の米国では糾弾され、甘えが浮き彫りになってしまった。

 慶応大学大学院経営管理研究科の識者は「早期に対応していれば、問題はかなり小さくて済んだ。経営ガバナンス(統治)を唯一効かせられるはずだった自動車メーカーへの対応もまずかった」と指摘しています。

 繊維メーカーだったタカタが自動車部品事業に乗り出したのは、創業者の高田武三氏が日本初の2点式シートベルトを開発し、ホンダ車に採用されたのがきっかけだった。1980年代には、当時最先端技術だったエアバックの量産化に着手します。そして、ホンダの高級セダン「レジェンド」に日本車で初めてエアバックが搭載され、優良な自動車部品サプライヤーとしての地位を築きます。

 自動車では安全分野でのハードルが格段に上がり、環境対策なども強く求められるようになった現在、ステークホルダー(利害関係者)からの厳しい目が注ぎます。

 エアバックという安全関連部品で先頭グループとして走っていたタカタが、ユーザー対応を誤り、脱落したことになると指摘します。日本流の部品メーカーとしての振る舞いから、米国というグローバル市場での対応という真の国際化に対応できなかったことが原因です。

 現在、タカタのリコール費用は約1兆3000億円になると見込まれていますが、その大半を自動車メーカーが負担しているそうです。米国司法省は、今年1月に「タカタは10年以上にわたって、安全よりも納期や利益を優先し、安全に関わる重要な試験データの情報を繰り返し、偽ってきた」と断罪しています。

 タカタは日本企業として日本国内では成功しましたが、グローバル市場では対応を誤りました。現在、日本の自動車メーカーはグローバル化に対応し、成功を収めていますが、日本の自動車部品メーカーは必ずしも、グローバル化には成功してません。日本の電機メーカーの凋落ぶりを考えると、自動車分野でもグローバル化への対応をしっかり考え、適応する時に入っています。