◆◆先輩のメールから
あるお坊さんに聞いたお話ですが、お寺での修業時代、何が一番辛かったかというと、過酷な座禅や滝に打たれるような修行よりも、毎朝の“そうじ”だったそうです。
毎朝早く起きて、決められた掃除場所を綺麗にしていくのですが、そのときは誰も監視していないので、サボろうと思えばサボれる状況だったのです。
誰も見ていない中、寒い冬もはやく起きて掃除をし、誰も評価してくれない中やり続ける! これが一番の修行だったと言います。
日々、指導者が見てくれている時は大丈夫だと思いますが、誰も見ていないときこそ頑張れるか?サボるのか?
この差が“やらされる人(二流)”と“やる人(一流)”の差になっていくのですね・・・
◆◆幸之助翁
経営の神さまと言われる、松下幸之助翁も、同じようなことを言われています。
誰も見てないのではない。
天が見ている。
そう思って頑張られたそうです。
私は理念が、使命が見ています。
理念や使命に恥じぬよう行動しなければなりません。
あるお坊さんに聞いたお話ですが、お寺での修業時代、何が一番辛かったかというと、過酷な座禅や滝に打たれるような修行よりも、毎朝の“そうじ”だったそうです。
毎朝早く起きて、決められた掃除場所を綺麗にしていくのですが、そのときは誰も監視していないので、サボろうと思えばサボれる状況だったのです。
誰も見ていない中、寒い冬もはやく起きて掃除をし、誰も評価してくれない中やり続ける! これが一番の修行だったと言います。
日々、指導者が見てくれている時は大丈夫だと思いますが、誰も見ていないときこそ頑張れるか?サボるのか?
この差が“やらされる人(二流)”と“やる人(一流)”の差になっていくのですね・・・
◆◆幸之助翁
経営の神さまと言われる、松下幸之助翁も、同じようなことを言われています。
誰も見てないのではない。
天が見ている。
そう思って頑張られたそうです。
私は理念が、使命が見ています。
理念や使命に恥じぬよう行動しなければなりません。