AKira Manabe ブンブン日記

enjoy eating fun to cooking

野菜スープ

2012-05-31 00:55:49 | Weblog
利益を最大に、経費を最小に。
経営とは簡単なことだ。
最もシンプルな原則に基づいて事業を経営することだ。
企業経営には、権謀術数が不可欠だと感じている人が多いかもしれないが、そういうものは一切必要ない。
今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。
(稲盛和夫)



◆◆プロジェクト始動

新しいプロジェクトが始まりそうです。

これまで、強みを創ろうと準備してきたことが、七年後に花咲きそうです。

何事も、準備、準備、準備ですね。



◆◆美味いスープ

今日は、毎月一度の思風塾の松山全国大会の打ち合わせで小松本店でご飯でした。

夜、高岡料理長が小松本店のシフトに入っていたので、「夏に向けて美味しい野菜スープを作ってよ」とお願いしたら…


さすが高岡料理長!


バッチリ美味しい野菜スープが上がってきました。

技術力がついたね。


今年の夏はスタミナ補給に、暖かい野菜スープで決まりやね。

現代の名工たち

2012-05-30 01:26:20 | Weblog
◆◆【母を誇りに笑い一筋 右耳は聞こえなくても】
滝川広志さん(49)


13歳の夏、右耳を激痛が襲った。

耳の奥からは異臭を放つ膿(うみ)があふれ出ていた。

診断結果は「真珠腫性中耳炎」

中耳炎を繰り返すうちに組織の一部が真珠のように増殖し、耳の周りの骨を破壊する病気だ。

手術で患部を除去。

足の皮膚を移植して鼓膜の形成手術もしたが、聴力は戻らなかった。

滝川広志さん(49)の右耳は、今もほとんど聞こえない。

周囲に打ち明けると、誰もが「うそでしょう?」と驚く。

難聴のハンディを全く感じさせないからだ。

「広志君、右耳がだめでも左耳がある。何とかなるよ」

そう笑い飛ばした母の強さと優しさに支えられた。

熊本市で生まれた。

幼いころに両親が離婚。

病院の看護助手をしていた母と1歳上の姉の3人家族。生活は苦しかった。

普段の食事はご飯とおかず1品。

月に1度、80円のラーメンがごちそうだった。

「貧しかったけど、それが普通だと思っていたし、不幸だとも思わなかった」

ただ、子どもなりに家にお金がないことは分かった。

小学生のころから自覚症状があった中耳炎を放置したのも、母にお金のことで心配をかけたくなかったからだ。

右耳の手術後、新聞配達を始めた。

母を助けることができるし、欲しいものを買うこともできる。

初めは夕刊を配り、やがて朝3時に家を出て朝刊も配った。

幼いころから中古の白黒テレビが姉弟の宝物だった。

声が筒抜けの2軒長屋。


音量を絞り、テレビにかじりついた。

「サインはV」「柔道一直線」「8時だョ!全員集合」・・・。

歌番組では振り付きで歌手をまねし、姉と批評し合った。

ドラマでは動きに合わせて勝手にせりふを重ねる「当てレコ」に興じた。


はまったときは2人で笑い転げた。

そんなテレビ遊びから生まれた「ものまね」が、目立たない存在だった姉弟を変えた。

中学校の教室。
人前でものまねをする快感を知った。

姉がまず人気者になり、広志さんも続いた。

「滝ちゃん、よか」「よかばい」

教室で、近所のスナックで喝采を浴びた。

歌を覚えるにも、不自由さは感じなかった。

右耳が聞こえない分、左耳に意識を集中し、目で観察した。

「難聴がものまねには良かったのかもしれないですね」

母譲りの楽天的な性格が、その後の人生も切り開いてゆく。


広志さんは今年、芸能生活30周年を迎えた。


芸名は「コロッケ」。


3月には「長年の夢だった」という博多座(福岡市)の舞台に立つ。


人情喜劇とものまね歌謡ショーの1カ月座長公演。


「あきらめなかったからここまで来れた。ようやく九州出身の芸人として故郷に認めてもらったような気がします」


滝川家の家訓は「あおいくま」

焦るな、おこるな、威張るな、腐るな、負けるな

の頭文字だ。


幼いころ母が部屋に張り出した教えを胸に、謙虚に芸を磨く。

(西日本新聞 2010.01.28)



◆◆匠と呼ばれるひと

コロッケさんのような話はよく耳にします。


現代の名工と呼ばれる人は、大工になったときには、仲間のなかで不器用な人が人一倍の努力をして、名工と呼ばれるような技量を身につけるんだそうです。

才能がないと嘆く前に、努力をしなさい!ということだね。

努力は裏切らないからね。

特別講演会

2012-05-29 02:10:25 | Weblog
マネジメントは愛がベースにないといけない。
(檜山長士講師)



◆◆社員と共に学べば会社が変わる

今日は、日創研愛媛経営研究会の特別講演会がホテル奥道後でありました。

檜山講師は三年連続で愛媛に来ていただいていますが、今年も約400名の参加者で会場はいっぱいでした。


マルブンからは…
南高井店の徳永店長。
朝生田店の南川店長、福岡くん、篠浦さん。
新居浜店からは尾上さん、岡本さん、上西くん。
サポートオフィスからは総務部長の由美子さん、小山マネージャー。
合計の9名が参加してくれました。

ありがとうございます。


檜山講師が言われてましたが、これから日本は景気はよくなりません。

大不況は今後も続きますし、市場は少子化でどんどん縮小していきます。

しかし…

こういう経営環境のなかでも、業績をあげている会社はたくさんあります。

業績をあげている会社は、環境の変化に対応しているのです。

・景気が悪い…
・競合店が近くにできた…
・低価格のお店ができて売上が下がった…
・社員が辞めてチーム力が落ちた…

などなど、悪い理由はたくさんありますが、私はなんとも思いません。

簡単なこと、こうした変化に対応すればいいだけのことです。

上記の理由は過去に私が体験したものですが、これまですべて解決してきました。

昔を知る常務や総務部長とよく昔の話をしますが、これまでやってきたピンチで解決しなかったことは一度もありません。


今回の講演会での学びは、これからのマルブンを経営する上で、非常に参考になりました。


私はこれからはもっと、社員やパートナーさんも経営に参加できる仕組みを作っていこうと考えています。

これからの、厳しい経営環境に企業として適切に対応するためには、私ひとりの力では到底無理な話しなんです。

何故なら変化対応のヒントはお客さまがもっており、その情報をキャッチするには現場で、直接お客さまに応対している皆さんの力が必要なのです。


どうか皆さん、私に力を貸してくださいね。

宜しくお願いします。



◆◆嬉しかったこと

今回、講演会に参加された県外からのお客さまが、お昼マルブンに来ていただいたようで、会場でたくさんの方からお声がけをしていただきました。


皆さん、商品やスタッフの応対を褒めてくれました。

檜山講師も昨日のナトゥーレでの食事について、講演のなかで何度も事例として紹介してくれました。

やっぱ!


マルブンで働いてくれている皆さんは素晴らしいと誇りに思いました。

皆さんは素晴らしいですね。

頑張ってくれて、ありがとうございます。

社員スタッフがイキイキが一番嬉しい

2012-05-28 00:33:55 | Weblog

◆◆檜山さん

今日は、明日経営研究会の特別講演会で講師をされる檜山さんが松山に来られました。

檜山さんはマネジメント研修の講師で、愛媛には三年連続で講演に来られます。

今のような大不況期には、マネジメントは欠かせません。

マネジメントができていない会社は、

人材育成も
新商品の開発も
強みの醸成も
利益の確保も

出来ません。

明日の勉強会には、マルブンからも九名のスタッフが参加してくれます。

しっかり学んでくださいね。

学ぶ目的は、自分の未来を創るためです。

自らを育成し、世の中に貢献することが大事です。



◆◆パスタづくり

檜山さんが来られると、毎年料理教室を行っています。

一昨年はピッツァを作り、昨年はカルボナーラで、今年は和風スパゲッティでした。

常務が教えてくれましたが、美味しくできていました。



◆◆HappyBirthday隊

今日はじめて、ナトゥーレのHappyBirthday隊を見ました!

いつもはシャイでおとなしい豊田くんが、ギター片手にBirthday隊の隊長でした。

豊田くんの楽しそうな顔を見て、とても嬉しかったです。

お客さまも喜んでくれてました。

社員やスタッフがイキイキ働いてくれていることが私は一番嬉しい。

飛行機の中で感動に出会った

2012-05-27 02:29:20 | Weblog
点々相連ねて線と成す
戦々相並べて面と成す
面々相重ねて体と成す
(修養団主幹 蓮沼門三)


◆◆感動した

今日、京都から伊丹空港に向かい松山に帰ってきましたが、帰りの飛行機の中で感動した場面を見ましたので共有したいと思います。

飛行機が飛び立つ直前に二人の70歳くらいのおばあちゃんが、はぁはぁ言いながら乗り込んできました。

その一人が通路を隔てて私の隣に座りましたが、興奮状態でぶつぶつ声あげて怒っていました。

「あの人がゆっくりコーヒーなんか飲んでるから遅れそうになったんよ」

「私は足が悪いのに走らされて散々やわ」

「名古屋から飛行機に乗れたのに、あの人が大阪からっていうからこんなことになったんよ」

まぁ~興奮して、よくしゃべる、しゃべる。

私は正直…「品のない、うるさい婆さんだなぁ~。あんたが一番迷惑だ。こんなわがままで自分勝手な大人が多いわ」なんて思ってました。


ところが、その婆さんの隣に座っていた40代前半のサラリーマン風の男性が、「どうしたんですか…」と優しく声をかけたんです。

婆さんは、はじめは興奮したままで、罵詈雑言でしたが、男性が「ふん、ふん。それは大変でしたねぇ」、「ああ、そうなんですか」と上手に聴いているうちに…

婆さん、段々落ち着いてきて、小さな声で普通に話しはじめました。


私は本を読みながら、様子を伺っていましたが、その男性の優しさに大変感銘を受けました。

それと、私もはじめは心の中で、その婆さんと同じように婆さんに向かって無言の罵詈雑言を言っていたことに気づきました。

正直自分がとても恥ずかしくなりました。


ちらりと見ると婆さんは、穏やかな優しそうな表情になり、全く違う人みたいでした。


人は、人に影響を受けて変わる。

自分は経営者として…
人を育成する教育者として…

器の小ささを感じました。

松山空港に着く頃には、通路を隔てて座る二人はまるで親子のような空気でした。

あの男性は、「仁」のある人でしたね。


私より10も若いだろうと思われる男性から、学ばせていただきました。


どんなときでも、あの男性のように「仁」…思いやりの気持ちをもって穏やかな心持ちでいたいですね。


ありがとうございました。

田舞通信より

2012-05-26 09:57:31 | Weblog
◆◆伊與田覚先生の今回のテーマは、講師の自叙伝とでもいうべき内容でした。

子曰く
吾十有五にして学に志し、
三十にして立ち、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知り、
六十にして耳順い(みみしたがい)
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず。

約3時間に近い講義で感動しました。

孔子さんはお母さんに文字を教えてもらいながら学んだそうですが、
立身出世の学問ではなく、立派な人間になるために学ばれたようです。
貧しく、学費を稼ぎながら苦学をされる場面のお話は、心打たれました。

私は可能思考教育や職能教育や、職場内教育で「人間力・考える力・仕事力・感謝力」をお伝えしていますが、まだまだ未熟なだけに、立派な人間になりたいと再度決意しました。
私のような凡人は、まさに死ぬまで勉強です。

孔子は努力の末学び続けますが、やがて年月を重ねると共に、一人二人と「教え」を乞う人たちが現れ、そこで私塾を創ることを思い立ち、身分を問わず色々な人たちを迎えて教えられたのです。まさに自ら立ち上がられたのです。

ところが、世間からなかなか受け入れられず、周囲からの批判もあり、孔子さんは秘かに悩まれたようです。

その苦難や苦悩を自ら学ぶことで解き放ち「40」にして惑わなくなります。

伊與田覚先生は、孔子の言葉
「朝(あした)に道を聞けば夕べに死すとも可なり」は、孔子の呻き声であり、そうした呻きからひらめきを得なければ、真に天命を知ることは出来ない!と述べられました。

また、天命を知るには、己に克たなければならず、己に克つとは、私利私欲から一度離れてみる・・・・
一度自分を投げ出してみることがいるとも述べられました。

孔子は自らを語らなかったが、
「吾十有五にして学に志し、
三十にして立ち、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知り、
六十にして耳順い(みみしたがい)
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず」の言葉は、
まさに孔子さんの人生ドラマであり自叙伝であると教えられました。

本当に、97歳の伊與田覚先生に学ぶことが出来る幸せを感じました。



◆◆第二講座は、伏見工業高校のラグビー部総監督の、山口良治先生でした。

連続テレビドラマ「スクール・ウオーズ」の主人公モデルになられただけに、凄い体験をされていて、参加者全員が涙涙で聞きました。

開口一番のお言葉
「人生は理不尽なことばかりだが、辛抱してきてよかった」

山口先生には、
行徳先生のご紹介でご縁を頂きましたが、すでに30年近くになります。

私が若い頃には自宅にまで来て下さり、長男にラグビーボールにサインをして下さったり、私自身が伏見工高に「太巻き鮨」持って行ったりと、色々な面でご指導を頂きました。


昨年、京都で午前2時ごろまでご一緒にカラオケを歌いましたが、その時に講演をご依頼させて頂きました。

今までにかなりの回数ご講演を聞いていますが、今日は格別の感動でした。


山口先生は、
「強い人間や優秀な人間は放っておいても良い、自分よりも困っている人や弱い人を支援していかなければならない!」と、涙ながらに訴えられましたが、この言葉に中小企業の活性化を再確認しました。

山口先生は体調がすぐれておられません。

癌を患い、脳手術をされたり、体調はガタガタですが、それでも、京大和でたくさんのご受講生とご一緒に懇親会に参加くださいました。

今でも熱き想いで必死にご自分と戦っておらますが、思わないことは実現できない!という言葉を含め、約2時間が、アッという間でした(感激で涙が止まりません)

伊與田覚先生の素晴らしい魅力(言葉に表現できません)
「信は力なり―熱き思いが壁を破る」というテーマでの、山口先生の講演に、本当に、勇気と、希望と、元気を頂きました。

優れたキャプテンは、
 1、チーム愛
 2、思いやり
 3、仲間への念い

明日は明徳塾ですが、伊與田覚先生と山口先生の学びをもって明日に望みます。

それにしても素晴らしい最良の一日でした。
(田舞徳太郎)

京料理を幕末の古の場所で味わう

2012-05-26 00:07:37 | Weblog

人間は心の鏡が清ければ清いほど、自分の醜さが見えてくる。
(伊輿田 覺先生)



◆◆京都の龍馬

今日は、社長塾で京都に居ます。

会場は、あの霊山記念館。

そう、坂本龍馬のお墓があるところで、松下幸之助さんが私財を投じて作った施設です。


社長塾は、論語普及協会の学監である、伊輿田覺先生(97歳)から、論語を学ぶ研修です。

(伊輿田先生の論語は、理念と経営にも連載されていますよね)


五十にして初論語ですが、学べば学ぶほど難解さに頭がついていっていませんが、いつも学びはじめはこんなもんですので、焦らず急がず学んでいきたいと思います。



◆◆泣き虫先生

第二部は、スクールウォーズで有名な伏見工業ラグビー部総監督の山口良治先生のお話でした。

山口先生のお話は、聞いている皆さんの心に語り掛けているみたいで、みんな涙を流しながら話しに聞き入っていました。

ご自分の生い立ちから始まって日本代表になるまでの話しでは恩師の先生の名前を何人もあげられ、一人ひとりの先生との出会いによって作られるご自分の話しを聞き、縁を生かす生き方を学びました。

また先生になって伏見工業高校に配属され、弱小ラグビー部を教育力で強くしていき、日本一になる話からは、いかに夢を共有し、子供達を信じきることで人を生かす育て方を学びました。

山口先生は、思いやりのある「仁」の人であり、正しいことをキチンと伝える「義」の人であり、礼儀を重んじる「礼」の人であり、知識を豊富に持つ「智」の人であり、子供達を信じる「信」の人であり、一歩踏み出す「勇」の人であり、縁を大切にして人を敬う「敬」の人でありました。


あんな70歳になりたい!と思うカッコいい男でした。



◆◆幕末の舞台

研修終了後は、霊山記念館の近くにある、料亭“京大和”さんで山口先生と一緒にお食事しました。

京大和さんは、坂本龍馬はじめ幕末の志士たちが集まり、密会をした、西本願寺の別邸を譲り受けて改築した料亭です。


由緒ある料亭で、美味しい京料理をいただき、窓から見える京の夜景に浮かぶ五重の塔を見ながら、心も身体も癒されました。


明日は、取締役幹部会議ですので朝早く帰ります。


5月もあと6日ですね。

宜しくお願いします。

90年目に入りました

2012-05-25 00:43:43 | Weblog
◆◆創業記念日

今日5月24日はマルブンの創業記念日でした。

無事、89年を過ぎ90年目に入りました。

朝、facebookをチェックしていたら、木村店長がお店の入口にある黒板にメッセージを書いてるのを投稿してくれていて嬉しかったです。

それをシェアしたら、322件の“いいね”と62件の“コメント”をいただきました。
祝福されるのは嬉しいことですね。

マルブンは、今働いてくれているみんなが四代目のスタッフです。

これまで続けてこれたのは、たくさんのお客さまからのご愛顧と、たくさんの支えてくれたスタッフ、たくさんの取引していただいた業者さんや農家さんが居たからです。

これからも、いつまでもおいしいが響きあうマルブンであり続けられるよう、変化に対応しながら、成長発展させていきたいです。


初代文吉、二代秀雄、三代行義&光と続けてこれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

これからも宜しくお願いします。

長崎の龍馬に会ってきたよ

2012-05-24 01:44:14 | Weblog

◆◆亀山社中

今日は朝から、亀山社中に連れていってもらいました。

亀山社中は、坂本龍馬が創設した日本で始めての会社と言われています。


長崎の坂の上にあり、ふぅふぅ言いながら上がっていきました(笑)

残念だったのは、NHKの龍馬伝であまりにきれいに改築されていて、完全に観光地化されていたことでした。

有名な上野彦馬が撮った龍馬の写真ポーズを真似て写真を撮る場所まであったりして…ね。

歴史好きの私には作られた感いっぱいで残念でしたね。

その後、山の頂上まで歩き、龍馬の銅像を見てきました。

長崎の街が一望できる眺めのいい場所でしたよ。


高知の龍馬と同じく海を見つめてました。

今も幕末以来の大変革の時代。

国は乱れていますが、政治は腐り何もできないでいます。

龍馬のように海の向こうを見なければいけない時代だと思うよ。



◆◆皿うどん

お昼は牡丹という、ちゃんぽんが美味しいお店で皿うどんをいただきました。

長崎と言えば、ちゃんぽん、皿うどん、五島うどん、シッポク料理、最近では角煮バーガーなども有名です。

名物がたくさんあるのは、いいことですね。


30年ぶりの長崎、短い滞在でしたが異国情緒を味わうこともなく家路に着きました。

あ~長崎は晴れだった

2012-05-23 01:03:57 | Weblog
◆◆長崎へ向かう

30年ぶりに長崎に来ています。

今朝は、松山から福岡空港に飛び、長崎からクルマで迎えに来ていただきました。

九州は高速道路網があちこち便利にあるようで、どこに行くにも便利です。

焼き物と言えば、有田焼や伊万里焼、鍋島焼などが有名ですが、今日は企業訪問で、波佐見という町にある波佐見焼の窯元に行きました。

波佐見焼は、砥部焼と同じように生活漆器で、庶民が普段生活で使ううつわです。

なかなか面白い焼き物でした。

次の店をやるときには、特注品を作ってもらってもいいかもです。



◆◆長崎に着いた

長崎に着き、夕方からは長崎経営研究会の例会でした。

96名の方が参加してくれて熱心に聞いてくれました。

嬉しいですね。


長崎は学生時代にバイクツーリングで訪れた青春の思い出の地です。

明日は飛行機の時間までに、長崎のお店を見て回ります。