◆◆チームワーク
お客さまに喜んでもらえるお店であり続けるために必要なことは、チームワークであるということは、社内セミナーや経営方針発表会で何度もお伝えしています。
また、マルブンが活用している外部研修会社でも、協働の自発性で共に勝つことの大切さを伝えています。
しかしながら、現場では頭ではわかっていても中々うまくいかないこともあるのが現状です。
これは働いている人の使命感の概念のレベルによって違いがあるのではないかと感じます。
使命感を下位概念で理解して働いている人は、技術を覚えたい、料理を覚えたい、サービスを覚えたいなど、自分中心に価値を考えるひとです。
使命感を中位概念で理解して働いている人は、できれば仲良く働きたい、人に喜んでもらいたいなど多少は自分から離れていて社会観がでてきます。
使命感を上位概念で理解して働いている人は、私たちは食を通してお客さまに幸せな時間を提供(販売)していると思って働いている人です。
この上位概念のレベルで働いている人は、お客さまに喜んでいただくためなら、場所や部署など、仕事を選びません。
仕事とは、世の中の役に立つことであり、人は仕事を通して成長することを知っています。
下位概念で働いている人は、いわゆる職人気質の人で社会観という哲学はもっていません。
また下位概念で働いている人は、違いを受け入れず相手の意見を聞かず、排除しようとします。
あの人が気に入らないなどと感情で判断し、自分をはじめ人間は完璧でないにもかかわらず、人に対しては完璧を求めて攻めるのです。
今、ニュースを賑わせている、いじめ問題も同じような構図です。
確かに学校の先生や親にも問題はあると思いますが、勝ち誇ったように報道するマスコミやfacebookやツイッターでの投稿を読んでいると、いじめる側と同じような匂いを感じてしまいます。
人はそれぞれに違う個性や性格をもっているからこそ、お客さまに対して様々なサービスや対応ができるのであり、大切なのは違いを攻め合うのではなく、違いを理解して、力を合わせることではないでしょうか。
私はどんな人であれ、この世に生を受けたならば、何某かの役割、すなわち使命があると思うのです。
この使命を発見して、役割を果たすことが人生においては一番大切なことだと思うのです。
以下に心が揺れる文章がありましたので、読んでみてください。
◆◆大分県川崎小学校二年生の阿部未来さんが、作文コンクールで最優秀の県知事賞を受賞した時の作文
「人はそれぞれちがっていいんだよ」
私は、三歳のころからまゆ毛まつ毛もありません。
免疫しっかんによる脱毛症というびょう気だそうです。
月に1回びょういんに通っています。
お父さんとお母さんは、わたしのびょう気のためならなんでもしてくれます。
高いかつらも買ってくれました。
でも、わたしは「どうしてみんなとちがうのかな。なぜみんなはかみの毛があるのかな」と思いました。
この間、きゅう食のときに、クラスの友だちから「毛なし」と言われました。
クラスの友だちからそんなことを言われたのは、はじめてでした。
わたしは、びっくりして何と言ったらよいかわかりませんでした。
そのとき、近くにいた友だちが「そんなこと言ったらいけないよ」と、かばうように言ってくれました。
わたしは、いやなことを言われたのはかなしかったけど、友だちがかばってくれたことがうれしかったです。
このことがあったあと、クラスのみんなで話し合いました。
ななこちゃんが「バンダナをかぶってても、みくちゃんはみくちゃんだ」と言ってくれました。
あみちゃんは「ほいくえんのときから、やさしくしてくれたからうれしい」と言ってくれたことが、うれしかったです。
先生は「かみの毛があってもなくても、みくちゃんはみくちゃんだよ」と、言ってくれました。
とても、うれしいです。
先生が「みんなちがってみんないい」という童謡詩人、金子みすゞの詩のお話をしてくれました。
先生が「いろんな人がいるんだよ」と言いました。
わたしは「みんなとちがってもいい。自分は自分だ」と思いました。
手や足がなくても、人とおなじじゃなくてもいいということです。
「なぜかみの毛がないの」と言われてもわかりません。
なりたくてなったわけではないからです。
かみの毛がなくてもわたしはわたしなのです。
でも、三年生になったら、ぜったいなおりたいです。
もしも、ほかの人が、気にしていることを言われたり、されたりしているのを見たら、わたしもたすけてあげようと思います。
「そんなことはやめて。人はそれぞれちがっていいんだよ」と。
お客さまに喜んでもらえるお店であり続けるために必要なことは、チームワークであるということは、社内セミナーや経営方針発表会で何度もお伝えしています。
また、マルブンが活用している外部研修会社でも、協働の自発性で共に勝つことの大切さを伝えています。
しかしながら、現場では頭ではわかっていても中々うまくいかないこともあるのが現状です。
これは働いている人の使命感の概念のレベルによって違いがあるのではないかと感じます。
使命感を下位概念で理解して働いている人は、技術を覚えたい、料理を覚えたい、サービスを覚えたいなど、自分中心に価値を考えるひとです。
使命感を中位概念で理解して働いている人は、できれば仲良く働きたい、人に喜んでもらいたいなど多少は自分から離れていて社会観がでてきます。
使命感を上位概念で理解して働いている人は、私たちは食を通してお客さまに幸せな時間を提供(販売)していると思って働いている人です。
この上位概念のレベルで働いている人は、お客さまに喜んでいただくためなら、場所や部署など、仕事を選びません。
仕事とは、世の中の役に立つことであり、人は仕事を通して成長することを知っています。
下位概念で働いている人は、いわゆる職人気質の人で社会観という哲学はもっていません。
また下位概念で働いている人は、違いを受け入れず相手の意見を聞かず、排除しようとします。
あの人が気に入らないなどと感情で判断し、自分をはじめ人間は完璧でないにもかかわらず、人に対しては完璧を求めて攻めるのです。
今、ニュースを賑わせている、いじめ問題も同じような構図です。
確かに学校の先生や親にも問題はあると思いますが、勝ち誇ったように報道するマスコミやfacebookやツイッターでの投稿を読んでいると、いじめる側と同じような匂いを感じてしまいます。
人はそれぞれに違う個性や性格をもっているからこそ、お客さまに対して様々なサービスや対応ができるのであり、大切なのは違いを攻め合うのではなく、違いを理解して、力を合わせることではないでしょうか。
私はどんな人であれ、この世に生を受けたならば、何某かの役割、すなわち使命があると思うのです。
この使命を発見して、役割を果たすことが人生においては一番大切なことだと思うのです。
以下に心が揺れる文章がありましたので、読んでみてください。
◆◆大分県川崎小学校二年生の阿部未来さんが、作文コンクールで最優秀の県知事賞を受賞した時の作文
「人はそれぞれちがっていいんだよ」
私は、三歳のころからまゆ毛まつ毛もありません。
免疫しっかんによる脱毛症というびょう気だそうです。
月に1回びょういんに通っています。
お父さんとお母さんは、わたしのびょう気のためならなんでもしてくれます。
高いかつらも買ってくれました。
でも、わたしは「どうしてみんなとちがうのかな。なぜみんなはかみの毛があるのかな」と思いました。
この間、きゅう食のときに、クラスの友だちから「毛なし」と言われました。
クラスの友だちからそんなことを言われたのは、はじめてでした。
わたしは、びっくりして何と言ったらよいかわかりませんでした。
そのとき、近くにいた友だちが「そんなこと言ったらいけないよ」と、かばうように言ってくれました。
わたしは、いやなことを言われたのはかなしかったけど、友だちがかばってくれたことがうれしかったです。
このことがあったあと、クラスのみんなで話し合いました。
ななこちゃんが「バンダナをかぶってても、みくちゃんはみくちゃんだ」と言ってくれました。
あみちゃんは「ほいくえんのときから、やさしくしてくれたからうれしい」と言ってくれたことが、うれしかったです。
先生は「かみの毛があってもなくても、みくちゃんはみくちゃんだよ」と、言ってくれました。
とても、うれしいです。
先生が「みんなちがってみんないい」という童謡詩人、金子みすゞの詩のお話をしてくれました。
先生が「いろんな人がいるんだよ」と言いました。
わたしは「みんなとちがってもいい。自分は自分だ」と思いました。
手や足がなくても、人とおなじじゃなくてもいいということです。
「なぜかみの毛がないの」と言われてもわかりません。
なりたくてなったわけではないからです。
かみの毛がなくてもわたしはわたしなのです。
でも、三年生になったら、ぜったいなおりたいです。
もしも、ほかの人が、気にしていることを言われたり、されたりしているのを見たら、わたしもたすけてあげようと思います。
「そんなことはやめて。人はそれぞれちがっていいんだよ」と。