まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イギリス王ジョージ3世王女 ソフィア

2011-03-27 17:10:16 | イングランド王妃・王女
禁断の愛に生きた(かもしれない)王女
ジョージ3世王女 ソフィア・オブ・ユナイテッドキングダム


1777~1848

ソフィアはジョージ3世とシャーロット・オブ・メクレンブルク=ストレリッツの五女です。

ソフィアも年長の4人の王女同様、母親の側を離れず箱入り状態で成長しました。
王女達は宮廷の外の人々と関わりを持つ事を許されずに育ちました。

幼い兄弟姉妹が仲睦まじく戯れる光景は見ていて微笑ましいでしょうが
あまりに閉鎖的だと、ちょっと問題有りですよねぇ…

家庭的で母性愛あふれる母親だったというシャーロット王妃ですが
まず、王子達は長じるにつれけっこう放蕩になっちゃってます。

長男ジョージ(4世)はエリザベス・カニンガムフィッツハーバート夫人など
数々の愛人がおりましたし、次男ヨーク公フレデリックは愛人を通じて贈収賄スキャンダル、
三男ウィリアム(4世)は女優ドロシア・ジョーダンとの20年の同棲、
四男ケント公エドワードはサン・ローラン夫人と27年の同棲、五男はおいといて…
六男サセックス公オーガスタスは親と議会の承認を得ずに二度の恋愛結婚、てな具合です。
七男のケンブリッジ公アドルファスについてはよくわかりませんが
44歳で初婚だからそれまでは独身貴族を謳歌していたんじゃないかしら…

ちなみに、王子達が一時期にバタバタと結婚したのは
ジョージ4世のたった一人の王女シャーロットが嫡子を遺さず亡くなったので
継承者をつくる必要性に駆られて…でございます。

王女たちも極度の人見知りになったり、婚期が遠のいちゃったりしてますよね。
     

そしてソフィアですが、彼女はさきほど王子のところで飛ばした五男の
カンバーランド公アーネスト(後のハノーヴァー王)との関係が取沙汰されました。
つまり近親相姦ということです。

1800年にソフィアが生んだトマス・ガースの父親は、英国議員ジョン・ガースと
されていますが、本当はアーネストだという噂もありました。
(元も子もないけどソフィアが生んだ子ではないという説もあります)

この噂は熱烈なトーリー(党)支持者だったアーネストを陥れようとするホイッグ(党)によって
バンバン世間に流されました。
アーネストは素行の悪さ、女性関係の問題で有名でしたので
すんなり信じた人も多かったかもしれません。 しかし証拠はありません。

晩年はケンジントン宮殿の姪ヴィクトリア(後の女王)の側で暮らし
1848年にケンジントンのヴィカレージ宮殿で亡くなりました。
彼女の死後、金銭の管理をしていたジョン・コンロイ卿がほとんどの金を
横領していたことが発覚しました。
事実上ソフィアには何ひとつ残っていなかったそうです。

ソフィアの希望でウィンザー城の墓所ではなく、ロンドンのケンサルグリーン共同墓地の
兄サセックス公オーガスタスの側に埋葬されました。
も、もしかして別の兄ともっ?… ということはないと思いますけど…

イギリス王家も次第に国民との関わりが増えていく過渡期にあったと思います。
あまりにも世間知らずに育てちゃった親の罪は大きいですね。

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする