まりっぺのお気楽読書

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オーストリア皇帝フランツ1世妃 マリア・テレジア

2010-01-17 01:21:23 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
遊び好きでも良き伴侶かも…
フランツ1世妃 マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジィツィーリエン


1772~1807/在位 (神聖ローマ皇后)1792~1806
          (オーストリア皇后)1806~1807

マリア・テレジアの母マリア・カロリーネは皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの皇女で
しかも、フランツの父レオポルト2世妃マリア・ルイーゼの姪なので
ダブルでいとこにあたります。
名前もおばあちゃまからとったものでしょうね。

          
前妃エリーザベトの死から7ヶ月後、フランツとマリアは結婚しました。
マリアは官能的な容姿をしていたと言われています。
グラマラスだったってことかしら? 肖像画だとちょっと分からないのですが
ともあれ、12人のお子さんが生まれました。

マリアはかなり怠惰な性格で、仮面舞踏会やお祭り大好きな女性でした。
なんでも舞踏会には妊娠中にも欠かさず参加したってことで…
当時はぶぁかもん!な振る舞いに見えたかもしれないけど、適度な運動は大切よね ?

それから音楽界にとっては絶大なパトロンで、公私にわたって援助を惜しみませんでした。
ハイドンは彼女のリクエストで聖歌を書いています。

しかし遊んでばかりいたわけじゃあありません。
政治にも興味があって、ナポレオン批判を繰り返し夫に聞かせていました。

お気づきですか?
タイトルが前回から、神聖ローマ皇帝ではなくてオーストリア皇帝になっているんです。
神聖ローマ皇帝フランツ2世として即位したはずなんですけどね…

フランツという方は、ちょっと政治には不向きな方だったみたいで
戦いが嫌いな、良く言えば平和的、悪く言っちゃえば弱々しい考えの人でした。
だから、ナポレオんがフランス皇帝を名のって、“ 神聖ローマ皇帝 ” なんて生意気な!と
戦いを挑んで来た時「じゃ、撲は降りるんでね」と、さっさと退位しちゃったのね。

そんなフランツに「あーた、フランスと戦争しなさいよ!」とけしかけていたのが
マリアだったわけですが、果たしてどちらの判断が正しかったのかは
今となってはわかりませんね。

遊び好きでかかあ天下みたいにも見えるマリアですが
皇帝との仲はよろしかったみたいです。
優柔不断な夫には、ビシっと言ってくれる妻がいなきゃね!
どっかの首相夫婦みた~い

夫の退位に気落ちしたのかどうかは分かりませんが、オーストリア皇后になった翌年
35歳の若さで亡くなりました。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
コメント (5)
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