まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『ブレイスブリッジ邸』挿絵があって良かった

2009-12-17 01:26:11 | アメリカの作家
BRACEBRIDGE HALL 
1822年 ワシントン・アーヴィング

そうですねぇ… 完全に今を忘れて
タイムマシンにでも乗った気分で楽しむしかないですね。

語り手がアーヴィング自身だとしたら、アメリカから英国へやって来て
「古きことは良きことかな」なんて思いながら過ごした日々を綴った1冊です。
ブレイスブリッジ邸にはモデルもあったみたいです。

語り手は、ブレイスブリッジ邸で行われる結婚式に客人として呼ばれました。

邸には昔気質の主や、皆に頼りにされるまめまめしい老人をはじめ
古い時代から続く折り目正しい使用人たち、偏屈な家畜番など
ひとりひとりに物語が作れそうなメンバーが揃っています。

さらに、客として大金持ちの心優しい未亡人と堅苦しい侍女のペアだとか
保守主義の将軍である老ダンディもお出でになります。

そしてそして、近隣に名の聞こえた農場主とその息子や
長い放浪から帰って来たけれど放浪癖が抜けない校長先生だとか
村に居座ってなにかと悪事を働くジプシーの一団なども色を添えます。

各章短くて読みやすく、小気味よくはあったのですけれど…
エピソード、舞台、登場人物のキャラクター、どれをとりましても
中途半端に古めかしい気がするんですよねぇ

2世紀も前の話しだからしかたないじゃん! と言えばそうなんですが
小説には時代のギャップを感じさせないものも多いでしょう?
いつの世も人間性は不変だ、と感じさせてくれる物語。

あるいは歴史ロマン。
壮大できらびやかな舞台、独特な雰囲気、伝説的な逸話、
そんなものを醸し出してくれる物語。

そのどちらでもないわけなんですよ。

今『カンタベリー物語』を読んでいるわけなんだが
7世紀も前の物語なのに、時の隔たりはあまり気になりませんがね…

面白くない、というのではありません。
使用人の心意気とかミヤマガラスの生態について書かれたところなんか
とてもロジックで、かつコミカルで良かったです。
でも、物語として心に残ったかというとそうでもない…という感じ。

物語じゃないのかしら? エッセイなのかしら?

どちらか分からんが、昔好きの私にしては入り込めない1冊でありました。
かなりたくさん挿入されている、古典的な挿絵に救われたような気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神聖ローマ皇帝レオポルト1世妃 エレオノーレ

2009-12-17 01:25:53 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
宮廷を修道院にしてしまった皇后
レオポルト1世妃 エレオノーレ・マグダレーナ・フォン・プファルツ


1655~1720/在位 1676~1705

エレオノーレの生家ヴィッテルスバハ家は名家で、しかもプファルツ選帝侯家です。
妹のマリア・ゾフィアはポルトガル王ペドロ2世に、
マリア・アンナはスペイン王カルロス2世に、それぞれ嫁いでいます。

       

レオポルト1世が二人目の妃クラウディアと再婚した1673年には
エレオノーレも再婚相手の最有力候補に挙がっていました。
なぜなら彼女の家系は多産でしたし、関係を強化したい家柄ですからね。

そんなわけでクラウディアが亡くなるとさっさと縁談が持ち込まれました。
エレオノーレはたいして乗り気ではなさそうでしたが承諾しました。

実は彼女、超ド級のカトリック信者で、ずっと修道女になりたいと思っていました。
だから両親大喜び!!
(でも中世の王侯子女には、修道院長になる人が少なくないですよね。
 けっこう権力があって贅沢ができたらしいのです)
気が変わらないうちに…かどうかは知りませんが、その年のうちに結婚しました。

エレオノーレはすぐに家政に腕を振るい始めます。
夫の旅には同行し、子供たちは自らの手で育て、そして宮廷内では節約に努めます。
彼女の信仰心は、どちらかというと苦行の傾向があったみたいで
しばしば黒ずくめの装いになったりしていました。

清貧、簡素をモットーとする厳格なカトリシズムは宮廷内を支配し始め
「なんだか、ずっと喪が明けないみたいじゃなくて?」なんて言い出す人も…
だって、それまできらびやかに生きてきたんですものね?
ほんの8年前には最初の妃マルガリータの盛大な誕生祝いがあったというのに…

エレオノーレは政治的にもレオポルト1世に影響力を持ちます。
例えば…彼女が重要な政治書類を受け取って開く様を
レオポルトは側で立って見守っていたりして、まるで秘書のようだったそう。
政治的判断力がにぶい皇帝に我が道を行く皇后… お似合いなのかもしれませんが
国にとっては良かったのやら悪かったのやら。

1705年にレオポルトが亡くなります。
後を継いだヨーゼフ1世が1711年に亡くなると、弟のカール6世が皇帝になるまで
エレオノーレは摂政になりました。
新皇帝を決める会議では女主人を務め、カール6世の選出に貢献しています。
会議、まだやってたの? とも言えますけど…

カールがスペインから帰国すると摂政から退き、宮廷からも身を引いて
慈善と信仰の日々を送り1720年に亡くなりました。

良妻とはどんな妻のことを言うのでしょうね?
例えば、マルガリータは、日々の苦労が多い皇帝を癒し、喜びを与えて
ねぎらうことができたという意味で良妻かもしれません。
でも政治的には何もフォローしていませんね?

エレオノーレは、もしかしたらレオポルトには怖い妻だったかもしれません。
気が休まるなんてことはなかったかもしれないですよね?
しかし皇帝とともに戦い、肩の荷を分け合おうという姿勢は良き妻にも思えます。
しかも、ハプスブルク家待望の跡継ぎを含む11人の子供を産んでいらっしゃる。

うーん… 難しいですよね。
やはり相手と状況次第、ということになるのでしょうか?

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする