早すぎた再婚の相手
レオポルト1世妃 クラウディア・フェリチータス
フォン・エスターライヒ=ティロル
1653~1676/在位 1673~1676
愛妻マルガリータを亡くしたレオポルト1世は、悲しみにうちひしがれていて
再婚どころではなかったのですが、後継者は必要だしスペインのこともある、
というわけで、宮廷中の期待を背負って再婚相手探しに乗り出し
6ヶ月後に義理の従妹にあたるクラウディアとの結婚が決まります。
たぶん親戚だからマルガリータのことも
レオポルトが彼女を熱愛していたことも知っていたと思うのよね。
でも20歳の若さで魅力もあるクラウディアは「きっと自分を好きになる」と思って
嫁いできたと思うのよ。
若さを過信するってことはよくあることです。
それに “ 神聖ローマ皇后 ” の称号には虚栄心をくすぐられますよね。
クラウディアはその年のうちにウィーンへ嫁いできました。
しかしレオポルトは相変わらず「彼女は愛しいマルガリータではない」と
嘆き悲しんでばかり。
そんなこと言われたってさぁ…
レオポルト1世という人は優柔不断で意志薄弱な皇帝だったそうで
政治的にも断固とした態度がとれずハプスブルク家を窮地に陥れたみたいですが
再婚についても人に言われるまま早まってしまったのではないでしょうか?
もう少し悲しみが薄らいでからでも良かったと思うんですけどね。
クラウディアは女の子をふたり生みましたが夭逝し
彼女自身も2年後に22歳の若さで亡くなりました。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
レオポルト1世妃 クラウディア・フェリチータス
フォン・エスターライヒ=ティロル
1653~1676/在位 1673~1676
愛妻マルガリータを亡くしたレオポルト1世は、悲しみにうちひしがれていて
再婚どころではなかったのですが、後継者は必要だしスペインのこともある、
というわけで、宮廷中の期待を背負って再婚相手探しに乗り出し
6ヶ月後に義理の従妹にあたるクラウディアとの結婚が決まります。
たぶん親戚だからマルガリータのことも
レオポルトが彼女を熱愛していたことも知っていたと思うのよね。
でも20歳の若さで魅力もあるクラウディアは「きっと自分を好きになる」と思って
嫁いできたと思うのよ。
若さを過信するってことはよくあることです。
それに “ 神聖ローマ皇后 ” の称号には虚栄心をくすぐられますよね。
クラウディアはその年のうちにウィーンへ嫁いできました。
しかしレオポルトは相変わらず「彼女は愛しいマルガリータではない」と
嘆き悲しんでばかり。
そんなこと言われたってさぁ…
レオポルト1世という人は優柔不断で意志薄弱な皇帝だったそうで
政治的にも断固とした態度がとれずハプスブルク家を窮地に陥れたみたいですが
再婚についても人に言われるまま早まってしまったのではないでしょうか?
もう少し悲しみが薄らいでからでも良かったと思うんですけどね。
クラウディアは女の子をふたり生みましたが夭逝し
彼女自身も2年後に22歳の若さで亡くなりました。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)