詩の現場

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鳥の羽は、そのものであろうか…

2016-01-17 | 詩を歩く
言葉に力をもらう。
人間は、言葉によって進んでいける生きものだと思う。
だからいろいろな角度で物事を捉えて、
思考を巡らしたい。
言葉は、ある1つのことを言い当てることが
できるだろう、
だけどすぐ横で、別の言葉も生まれている。

1つの言葉の背景には、様々な意味が眠る。
言葉は真理を1つの側面から抽出する記号であり。
魚釣りのようであるなと思っている。
ある部分では、イメージ的な言葉の方が、
真理に近づけるものかもしれない…。

林檎、という言葉で、リンゴを言いえて
しまえるだろうか。
リンゴから立ち上る世界は、沈黙するだろうか。

花や鳥の名前のように、そのものの名前に安心を得て、
満足することもある。
そういう種類の言葉で組み立てていく伝達方法もある。

…一言で名指す言葉に憧れる場合と、
それでは飽き足らず、心の深奥に
少しの哀感と苛立ちを感じる場合がある。

現実には可能かわからないけれど、
一言で名指す種類の言葉で組み立てていく物語が
あったとしたら、
それは私たちの世界を再現するだろうか。
鉄骨が露な建築物のような、どこまでも無機質な、
そしてどこかシュールな世界になるのかもしれなくて。

そして一方で、言い表したい対象の、
もっと柔らかな空気までをも掬い取れるような、
言葉の城のような世界もあると思っている。

鳥の羽は、そのものであろうか。と思ってみる。
そのものを名指すことができそうな言葉は、
天使の羽、鳥の羽 、昆虫の羽、陽炎の翅、…。
と追っていってみる。
…蝶の羽となって、少し立ち止まる。
1匹の美しいいのちの佇まいが、羽という言葉の
外側にはみ出てくるような感覚を覚える。
…言葉としてのほんの印象であるけれど。

そんな感慨をここのところ持っている。
1つの真実の側面として、
…1つの言葉は全てを表せない。
海に糸を垂らし、引き上げる魚、それが言葉。

海にはたくさんの生き物がいるし、
まして1匹の魚で海すべてを語りつくせない。
しかし、海で生まれた魚は、海その物でもあるのだ、
1匹の魚が、海をすべて持っていると言って
過言ではないという仮設が成り立ってもいい。

魚は海である、と。それが詩であり。
詩の言葉は、魚を海にもすれば、空にもできる。
魚は宇宙であるという紛れない真理に、
超特急で到達するのだ。
仏教的な境地みたいになるけれど。
詩の言葉も仏教的真理も宇宙も、
到達点が似ているように思えてくる所以が、
この辺にありそうな。…


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