詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
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綺麗ばかり、追いかけていることが多いのだけれど、

2016-12-12 | 詩を歩く
綺麗ばかり、追いかけていることが多いのだけれど、時々立ち止まってみる。そそくさと通り過ぎてしまいがちな、目を引かぬものたちの不思議に、足を止めて見たくなる。

…綺麗とか綺麗じゃないとかを見つける場合、それはある角度であって、タイミングであるのだと思う。そのものとの出会いは、一瞬の閃きのようなもの。説明ではなくて、バランス感覚が大きいのだと思うけれど、その後は、経験によって記憶された個人の感慨や主観によるものだと思う。

…物と主観、そこに生まれる印象の狭間に立ち返り、無意識裡に紛れてしまおうとする控えめなモノたちの神秘に触れたい、そんなふうに思う時がある。綺麗なもの、綺麗じゃないものと一瞬で判断しない世界には、何が見えてくるのだろう。興味が沸くのだ。

それは、そのもののカタチが浮き上がってきて、とても細胞的なミクロ的な世界で、時間の移ろいを感じることかもしれないし、逆に宇マクロな宙的な視点から、刹那の美を見つけられることかもしれない。…

…物の綺麗さには、善悪の価値はないと思うのだけど。…茶色くくすんだ落ち葉を一枚手に取ってみる。葉脈が深く溝を切り、葉の形は臨界に深淵なる線を刻み、外界と葉をくっきりと隔てて、そこに流れる生命の時間を造形している。不透明な色と形を持ったモノは、外界にとっては平等の造形の痕跡なのだと思い。

…綺麗の外側には、なんて多くのモノたちがあることか…。綺麗が引き立つ背後には、大きなバックグラウンドが横たわっているのだと感じる。そんなふうに思えたら、またなんだか安心して、綺麗なものを見つけたくなり。…"綺麗"を摘み取る時には、横にはその他のモノも一緒に呼吸している、そう感じて。



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