学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

児童生徒による授業評価はやめましょう

2007-12-17 | 教育
「児童生徒による授業評価」などというものを
いったい誰が考え付いたのだろうか?

相当に想像力の欠如した人間の思いつきとしか
考えられない。

教えられる者が未熟な場合,
教える者と教えられる者という立場の転倒が
どのような意味をもつのか
全くわかっていないのである。

だいたい,学校で一斉に児童生徒に
教師の授業の良し悪しを尋ねた結果など,
管理者が教師の序列化と抑圧の道具として使う以外に
使いようがないではないか。

授業改善のためなら,
教師の自主性にまかせて
教師一人一人が独自にアンケートを作って
子どもに聞きたいことを聞けばよいことで,
一斉にやる必要など全くない。

また,子どもの授業批評など
聞く必要がないという判断も
教師のひとつの見識である。

そもそも,評価というものは,
評価する能力がある者がするべきものであって,
評価能力がない子どもに評価させることには
百害あって一利もないのである。

ましてや,匿名で書かせるなどということは
言語道断である。
自由に悪口・陰口を言いなさい,
陰に隠れて人を非難していいですよと
教えているようなものである。

匿名でなければ言えない意見など
言うべきでないし,
聞く必要もないと
教えるのが学校である。

全く正反対である。

ともあれ,最近導入されている
児童生徒による授業評価は,
教師に多大な精神的打撃を与える。

授業内容など関係なく,
容姿や身なり,たわいない癖などについて
誹謗中傷されるのである。

さすがに相手は子どもだと思っていても,
匿名で押し寄せてくる非難には耐え難いものがある。

ネットいじめと同じである。
学校がそれを奨励しているようなものである。

教師としては,対抗策を打ち出すしかない。

そこで考え付いたのが,
「ひどいこと言われちゃいましたコンクール」である。

子どもが書いた内容の中で
どれだけひどいことを書かれたかを
教員間で競い合うのである。

「目が細いのが嫌いです」
「ダイエットしたほうがいいんじゃないですか」
「授業中,私のノートをのぞきこまないでください」
「鼻毛が出ています」
「机の間を歩かないでください。くさいです」
「いつまでこの学校にいるつもりですか」
等々,なかなかひどいことを書かれている。
強敵である。

しかし,私がかつて書かれたことのある
「すべてを変えてほしいです」
に勝てるものはないであろう!

優勝は私のものである!


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29 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
賛成 (ほり)
2007-12-18 01:05:03
こんにちは。

>「すべてを変えてほしいです」

これを書いた生徒さんは、「自分は決して変わりたくない」と言ってるんですよね。
教育を受けることを放棄してるわけです。

だったら、なんで学校に来るのだろう?
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Unknown (madographos)
2007-12-18 06:32:46
>ほり様。コメントありがとうございます。そうかもしれませんね。私も,なかなか変わらないほうなんで,どっちもどっちかもしれませんが・・・。
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こんな評価項目はいかがでしょう (kurazoh)
2007-12-21 00:32:08
先生の学校の授業評価は、完全な自由記述なのでしょうか。
私の学校では裏サイト(掲示板)があって、教員のことを本当に好き勝手評価しています。気の弱い先生には耐えられそうにない批判もあります。
でも、授業改善・学力向上のための評価を実践するとしたら、どのようにしたらいいのでしょうか。
Q・今日の授業で、「考え方」「学び方」の参考になった内容を書きなさい。
Q・授業の中にはいろいろな意味の「おもしろさ」があります。今日の授業の「おもしろさ」はどこにありましたか。
Q・今日の学習で、あなたのこれまでの理解度が不十分だったことに気づいた内容はありますか。それは何ですか。
・・・こんな評価はいかがでしょう?
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はじめまして (学生)
2007-12-21 08:53:27
難しい問題ですね。
個人的中傷などは私から見ても酷い内容ですし、こんな事しか書かれないのであれば授業評価などはしなくても良いと思います。
ただし、単純に「わかり易い」先生と「わかり辛い」先生がいるのも事実であり、教わる側がそれを指摘する機会を持つ事自体は間違いではないと思います。
「評価能力がない子ども」と切り捨てるのは、私はあまり納得がいきません。
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Unknown (madographos)
2007-12-21 22:30:12
>kurazohさま。コメントありがとうございます。私は,「授業改善・学力向上」と児童生徒による一斉授業評価は,全く無関係であると考えています。授業改善のヒントは,そのような授業評価を得なくとも子どもたちとの日常的なコミュニケーションのなかで得ることが十分可能です。逆に授業改善の意志のない教員ならば,授業評価があったとしても,授業改善はしないでしょう。例示していただいた質問も,評価アンケートというよりもむしろ,試験問題にふさわしい問いではないかと思います。試験としては,この種の質問はとても意義深い問いであると思います。子どもの評価能力を過大評価することはとても危険なことだと思いますし,それ以前に,子どもに評価をさせるということそのもののもつマイナスの側面に敏感であるべきだと考えています。
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Unknown (madographos)
2007-12-21 22:39:12
>学生さま。コメントありがとうございます。「わかり易い」先生と「わかり辛い」先生がいるといってしまって本当によいでしょうか。私が問題にしたいのはそこのところです。また,私は,子どもを切り捨てているわけではありません。子どもには,事実として評価能力がないのです。例えば,子どもが親を評価するとか,子どもが地域ボランティアの方たちを評価するとか,子どもが地方行政を評価するといったことはあり得ないでしょう。子どもの意見表明権は認めるべきですが,授業評価における責任ある評価者にはなり得ないと考えるのが妥当なのではないでしょうか?
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先生同士で (文月)
2007-12-22 01:35:10
子供に評価を求めるのは、害が大きいようですね。
とんでもない事を言う子供がいるのですね。

子供に評価を求めるより、教員どうしで評価しあい、悪い所(暴言など)を注意しあって、
お互いに高めあっていくのがいいのではないかなと思います。
とはいっても、私が小学生時代にいた暴言や指導放棄を
授業中に平気でくり返し行ったりする教師(ちなみに女性教師でした)とでは
教師同士、お互いに信頼して高めていくのは
なかなかむずかしいように思います。

私が教師という仮定での話で恐縮ですが、
真面目でやさしくて思いやりのある教員同士ならうまく高めあっていけるのではないかなと思います。
私が経験したような暴言などを平気で言う教師がいたら同じ教師としてしっかり注意していきたいですね。

結局、教員同士お互いに高めあっていけるかは、
教員のお互いの資質によるところが大きいのではないかと思います。
子供の頃の私は、自分がそうだったためか
男女問わず大人しくて、真面目で、やさしくてあたたかい先生と非常に相性がよかったです。
ステキな女性の先生がいました。
おだやかで、気持ちの優しい繊細そうな方でした。
私と性格的に似たもの同士だからかなと思います。
ちなみに若くて結構美人な方でした。
かれこれ20年以上前になりますが、
私が大好きな担任の先生でした。
優しいお姉さんのような感じでしたね。
今思えば恋に近いかも。低学年でも先生に恋をするんだなと感じています。

madographosさんは性格が真面目だと思うので他の教師の皆さんから信頼を得て
いらっしゃるのではないでしょうか。
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Unknown (madographos)
2007-12-22 09:53:39
>文月さま。コメントありがとうございます。暴言を吐いたり指導放棄するような教師を,児童生徒による授業評価で排除することはできません。そのような教師は,授業評価の実施によって,より悪化する可能性が高いからです。そのような教師の出現を防止するためには,教師間の同僚性を高めることが大切はありますが,むしろ校長のリーダーシップが問われるところだと思います。
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その学校が「どこ」を目指すのか (ほり)
2007-12-22 12:00:29
こんにちは。たびたび失礼します。

>むしろ校長のリーダーシップが問われるところだと思います。

これは非常に大きいです。なんだかんだ言って、校長が何を教育目標にモノを言うかは大きいです。
「言う場」は、職員会議であろうと集会時の講話であろうと、保護者に対する説明であろうと、どのような指導をする教員にねぎらいのコトバを与えるかでも。言わば、校長が「空気」を作る存在です。
何せ日本人の集団ですから、「空気」は重要で、校長が何を目指すかで、教員同士のプロ意識も変わり、とんでもない教師の出現を食い止めるのには非常に有効だと思います。
校長が「上」を向くだけだったり、個々の教員を満足させようとしたり、教員の人間関係(プロ集団と言うより、お仲間集団)をよくしようとしたりする人気取り迎合型だと学校は荒れます。
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そんなものですかねぇ… (taketyann)
2007-12-22 12:34:25
高校や大学の講義で生徒による評価が行われているとは聞いていましたが、ひどいもんですね。

小学校で担任が独自に、授業に対する評価を書いてもらうと、結構まともな意見が書かれていて参考になることもあるのですが、なかなかそのようには機能していないようで。

授業改善のための授業評価なのですから、誹謗・中傷の類の意見は即座に排除すればいいとも思うのですが、そのようにはいかないのでしょうか?


思うに、この授業評価はいわゆる「お客様アンケート」からの発想ではないかと思うのです。(居酒屋なんかに置かれているアレです)

ワタミの社長がお客からのアンケートをもとに、幹部に檄を飛ばしている場面を見たことがあります。
「注文どおりの品を運んだはずが、お客から違うといわれた。そういうときはお客が間違っていようが関係ない、全てお客が正しいのだから、だまって向こうに従え!」といった内容でした。

居酒屋の経営者としては全く正しい判断だと思いますが、こういった発想を学校教育に持ち込むといったいどうなるのでしょうか?

生徒は自分の至らなさを棚に上げて、教師批判ばかり繰り返し、管理する側がそれを際限なく取り入れていたら、子どもを教育するという学校本来の機能が崩壊してしまうのではないでしょうか。
経済の論理を安易に教育にも当てはめようという動きの悪影響が、こういうところに現れていると言うべきでしょう。

極論すれば、居酒屋はお客を教育する義務などないし、代金をもらえればそれでいいのですから、だまってお客の言うことに従っていればそれでいいのです。
学校もそうなればいいと思うのなら、教師評価でも何でもすればいいでしょう。

ただしその場合、青少年のモラルの低下などの責任を学校に押し付けたりはしないように。大事なお客様の素行に注文を付けるなど、あってはならないことですからね。
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