学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

自分なりの考えをもつことの意味

2008-09-28 | 教育
子どもたちが,
自分なりの考えをもつことを,
今の学校教育は重視している傾向にある。

しかし,気をつけなければいけないことがある。
本当は,
自分なりの考えをもつことが大切なのではなくて,
理にかなった考え方ができるようになることが
大切なのである。

「考える」ことについては,さまざまなルールがある。
読み取りのルール,比較のルール,関連付けのルール,
引用のルール,批判のルールなどなど,
そのルールを教えることこそが学校教育だといってもよい。
このルールは,「型」と言い換えてもよい。
その多種多様なルールを確実に身につけさせることを怠ったまま,
自分なりの考えをもつことが大切だなどと教えてしまうことは,
たいへん危険である。

よく授業で,
自分なりに考えさせる場面があるが,
自分なりに考えたことをもって,
よしとしてはならない。
さまざまな考え方の良し悪しを
十分に吟味させなければならない。
ルールにのっとらない考え方や
合理的でない考え方は採用されないということの意味を
子どもたちに学ばせるべきである。

自分なりに調べたことをもってよしとしてはならない。
テーマについて,
適切で必要十分な情報を収集できたかどうかが
十分に吟味されるべきである。
テーマにとって無駄な情報は意味がないということを
子どもたちに学ばせるべきである。

教師は,子どもの調べたり考えたりしたことを
きちんと吟味し,子どもの取り組みの良し悪しを
適切に判断し指導しなければならないのである。

そのあたりが
あいまいになっているような気がしてならない。








最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
合理的であるかないかの判断はだれが? (kurazoh)
2008-09-28 10:43:33
>合理的でない考え方は採用されないということの意味を子どもたちに学ばせるべき

「自分なりの考え方」が合理的であるかないかの判断は、だれが下すのでしょうか?
たとえば自分の進路選択。
行政の政策への意見。
学校・学級自治で検討される内容。

「合理的か、そうでないか」の

吟味を行うプロセスが大切

であり、そのためにはまず「合理的でない考え方はだめだ」というより、「自分の考えをもち」「他人の考え」と比較・検討・質疑・討論等を行うことが大切である、というのが一般的な考え方なのではないかと思いました。
「考え方の良し悪しを十分に吟味」というのはそれを指しているのでしょうか。

こちらの内容と同様な趣旨の記事を私も何度も書いていますが、前回の記事でなぜ「まるごと受け入れ,理解させる訓練」について違和感をもったかというと、「考えの良し悪しの吟味」をどのように行うのかということが不明だったからです。

この記事でもその方法が見えないので、個人的な疑問としてお示しいたしました。
返信する
Unknown (madographos)
2008-09-28 11:19:03
>kurazoh様。「合理」とは,道理にかなっていることや論理の法則にのっとっていることを指していますから,客観的に判断可能です。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。