学校教育を考える

混迷する教育現場で,
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自己肯定感という病

2019-04-13 | 教育

子供の自己肯定感の低さが問題にされることがある。だが、自己肯定感などを問題にする必要があるのだろうか。自分を知ろうとか自己分析しようなどというのは、現代人の病理にすぎないと私は思っている。

そもそも、「自己」など肯定したり否定したりすべきものではない。とくに子供に「自己」など見つめさせるべきではない。子供にとって必要なのは、日々の生活の中で自分の前に立ち現れる問題に対して、なんとか解決策を考えようとする力を養うことであり、「自己」そのものについてどう思うかなどは問題にすべきではない。人間の思考は、もともと他者に目を向けるようにできている。

「自己」を見つめれば見つめるほど自己に対して否定的な傾向に傾くのは、我が国の文化的特性であるかもしれず、そうなると、それを「改善」して自己肯定感を高めようとすることそのものが、自己のもつ文化的特性を否定するという、いかにも自己否定的な考え方であると言わざるを得なくなるのである。



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3 Comments

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Unknown (シャルルマーニュ)
2019-10-31 11:25:09
自己肯定感というものは、結果であって目的にするのは無理があると思います。
時々、教育目標なるものが結果と目的を混同していると感じることがありました。
「後悔しない生活を送ろう」とか。
後悔するかしないかは結果であって、予測不能の未来に生ずる結果を目的にすると、児童には過剰な負担になります。

また、自分探しと称して国内で挫折した青年が海外へ旅に出るというパターンがあるようですが、自分探しなど自己否定感しか生まれないのではないでしょうか?
国内で挫折して、海外でも挫折して憔悴しきった状態で帰国することが多いと聞いています。
自分なんて空っぽがデフォルトだと思って、思考より活動を心がけるのが人間らしい生き方だと思います。
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Unknown (madographos)
2019-12-01 09:45:17
>シャルルマーニュ様、コメントありがとうございます。同感です。青年が旅に出て見聞を広めるのは意味のあることですが、どうしてそれを「自分探し」などと称するのでしょうか? 「自分」は探さなくても、いまここにいます。
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Unknown (tsuguo-kodera)
2020-01-28 12:28:26
 読んでいなかった記事に気が付きコメントします。まとめて、流石に切れ味鋭き文章だと思いました。お元気そうで何よりです。
 論理国語、自己肯定感、プログラム学習、学び合い、生きる力、主体的が言われるのは教師自身が欠乏症だからかも。高級官僚は頭が良いからカーブをなげているのかも。
 先生が他人の足を引っ張るのを見聞きしされて、退任後に考えると、これらは生徒ではなく、教師が心すべき要件だと私は考えます。
 60まで実は私も理解せず、めくらへびに怖じずでやってきました。学校の非常勤を10年やり、上記の課題の大切さを嫌と言うほど学びました。学校の先生が反面教師でした。今は有難かったと思っています。
 この4年ほど、今までの人生を振り返り、正直にブログを楽しんでいます。
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