Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(233)

2018-01-11 00:10:00 | コラム
えこん「て」→「て」れび(テレビ)

軽量化、そしてブラウン管から液晶画面への移行により、テレビのデザインが突然「お洒落」になった。

お洒落というのとはちがうかもしれない、
洗練というかクールというか・・・

いや結局それは、お洒落だということじゃないか。

映像を映す画面、それを支える「ふち」といったらいいのか、あのスペースが小さければ小さいほど家電製品として格好よく見えるとは、意外っちゃあ意外、
現代の視点からブラウン管テレビを捉えると、ひじょうにダサく感じるのだものね。
(それはもちろん、パソコンでも同様である)

しかし映画のなかにテレビが登場する場合、昔の製品のほうが小道具として面白いというか味わい深いというか、そんな風に思えてくることもある。

視覚的に映画との差別化も図れることから、今後も映画の世界のなかでは、昔のテレビは重宝されるかもしれない。


以下が、個人的に印象に残る「映画のなかのテレビ10傑」。


(1)『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(92…トップ画像)

映画史上で、最もテレビに喧嘩を売っている作品。

だってこのショットは冒頭であり、このあと、いきなり斧でテレビが壊されるのだもの。

(2)『ネットワーク』(76)

とはいえ「映画が描いたテレビ」といえば、絶対にこの作品がトップにくると思う。

すでにクラシックだが、まったく古びないメディア論になっている。



(3)『スピード』(94)

デニス・ホッパーの犯行を手助けしてくれるのは、テレビカメラたちなのだった。

(4)『マグノリア』(99)

クイズ番組の天才少年、生放送中に反抗期を迎える。



(5)『ブロードキャスト・ニュース』(87)

テレビ局の報道部門で働く面々の人間模様。

『ネットワーク』とはちがって泥臭さはないが、まぁ重点は恋愛のほうにあるからね。



(6)『アルマゲドン』(98)

別れた旦那(パパ)が、救世主のひとりになったことをテレビを介して知る。

(7)『誘う女』(95)

ニコール・キッドマンの色香にやられて思考能力はゼロになってしまう・・・のだが、巧妙なメディア批評になっていて感心する。

(8)『カメレオンマン』(83)

特異体質の男を、ニュースフィルム風に捉えていく。



(9)『コミック雑誌なんかいらない!』(86)

マイク1本を持って、「恐縮です」を繰り返す芸能リポーター。

最初は呆れもするが、過激な映像を欲しているのは我々自身だということに気づき、ゾッとさせられる。

(10)『クイズ・ショウ』(94)

クイズ番組の「やらせ問題」を描く―といっても監督はレッドフォードなので、スキャンダラスな方向には走らず、どこまでも上品なつくり。

そこが物足りないといえば、そうなのだけれども。。。


あすのしりとりは・・・
てれ「び」→「び」なんびじょ。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(234)』
コメント (3)
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