Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

下半期マストの映画は、これだ

2012-06-30 00:15:00 | コラム
ミニシアターは昔からであったが、
シネコンの隆盛により予約や入れ替えなどの「制度」が一般的となって以降、立ち見という現象がなくなった。

それは分かるが、どういうわけか満員御礼の現場に遭遇することまでなくなってしまった。

ビッグバジェットの初日でも入りは7割程度、
ひとつかふたつの空き座席を求めてあちこち動き回る観客を見かけなくなったのである。

映画館離れが進んでいる?
いや、そういう年もあるが、日本映画の好調により観客が激減しているということはない。

スクリーン数が増えた?
それは確かにそうで、これまたシネコンの隆盛によるものだ。
ただ増え過ぎて、そろそろ入らない地域のシネコン撤退が始まるのではないか・・・と予測はされている。

いろんな劇場に足を運んでいるが、入らない劇場は土日でも入らない。
平日など、ときとして従業員の数のほうが多いところも・・・。


映画の内容によっては、わちゃわちゃごみごみ? していない、ゆったりしたスペースを確保したうえで触れたい作品がある。
それとは逆に、空調の調節がたいへんなほど観客の熱気に包まれた、満員御礼状態で触れたい作品だってある。

そんな映画小僧が期待する、本年度下半期の公開予定作品をドドドッと。


※順不同

(1)本日公開、
英国からやってきたクールな青春映画『少年は残酷な弓を射る』(トップ画像)。

原題は『WE NEED TO TALK ABOUT KEVIN』といい、久し振りに「いいね!」と思える邦題だなぁと。

(2)『ヘルタースケルター』

試写で観たけれど、もういちど観に行こうかと。

監督は蜷川実花、原作は岡崎京子、主演は沢尻エリカ。
先端的な、ガールズムービーといったところか。

(3)『おおかみこどもの雨と雪』

アニメーター・細田守の作品にハズレなし。

(4)『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』

リュック・ベッソンの最新作。
最近のベッソンに期待するところは「あまり」ないのだが、これは面白そう。

(5)『ダークナイト ライジング』

予告編だけで、やられた。

(6)『Virginia/ヴァージニア』

久し振り、コッポラによるホラー大作。
『ドラキュラ』(92)を観ると、コッポラって恐怖描写が巧いことが分かる。

(7)『桐島、部活やめるってよ』

原作が面白かったので。

(8)『最強のふたり』

東京国際映画祭で話題となった、フランス産の友情物語。

(9)『アウトレイジ ビヨンド』

北野武による最新作。
武にとっての、初の続編。

(10)『悪の教典』

原作は面白くて、二度読んだ。
この手の物語は三池崇史こそ監督に相応しいと思っていたら、ほんとうにそうなった。
しかも二階堂ふみと染谷将太という、『ヒミズ』コンビが出ている。

そして、、、

来年公開予定だが、
タランティーノによる西部劇『ジャンゴ 繋がれざる者』と、スコセッシによる『沈黙』も、このリストに加えておこう。






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ふたつの訃報

2012-06-29 00:15:00 | コラム
女好きとされる男でも、どんな女子だっていいというわけではない―というのに似ていて、
映画小僧を自称する自分だって、苦手とする映画ジャンルはある。(このたとえ、正しい?)

いわゆるロマコメ、ロマンティック・コメディという映画ジャンルを敬遠する傾向にあって、
なにがどう苦手なのかは明解に記せなかったりするのだが、阿呆みたいなこというと、その「観かた」が分からないのだった。

そういう自分でも苦もなく? 触れられるロマコメ系は貴重だと思うのだが、
その一本が89年の米国映画『恋人たちの予感』である。

ビリー・クリスタルとメグ・ライアンが共演、
友人関係だった男女が恋仲になるまでの十数年を描いている。

監督は『スタンド・バイ・ミー』(86)や『ミザリー』(90)を手がけたロブ・ライナーで、公開当時はハリウッドを牽引する中堅のひとりだった。(健在ではあるけれど、当時の勢いに比べたら現在は少し下降気味)

本作の巧さは台詞と省略―つまり脚本にあった。
96分で十数年を描くわけで、話がぽんぽん飛ぶ。にも関わらず、ダイジェストのようにならず「きっちり」と時間の経過を表現出来ている。
高校生だった自分は「さすがロブ・ライナーだなぁ!」と感心したものだが、脚本はロブではなく、ノーラ・エフロンによるものだった。
のちにロマコメ系のヒット作を連発することになる、気鋭の女子クリエイターである。


一昨日の夕刊社会面に、米映画界にまつわるふたつの訃報が「小さく」載っていた。

ひとりがエフロンで、もうひとりがジョージ・ハースト。

ジョージはウィリアム・ハーストの孫。
ウィリアム・ハーストは、オーソン・ウェルズによる怪作『市民ケーン』(41)のモデルとして知られる新聞王である。

映画のオールタイムベストテンを企画すると、必ず上位に位置する『市民ケーン』、
率直にいって「それほどの作品か?」なのだが、
ウェルズの演出力はそーとーなものなんだろうな、、、とは思う。

ジョージはこの映画のことを、どういう風に解釈していたのだろうか。生前、それについて話したことはあったのか。
訃報に触れて哀しみの感情は抱かなかったものの、映画史全体で捉えるとなかなかに感慨深いものがある。

哀しみというかショックだったのが、エフロンの訃報のほうだった。

まず亡くなったことよりも、71歳だったことに驚く。
勝手に、50代くらいかと思っていたから。

その旦那ニコラス・ビレッジも脚本家で、スコセッシ組として『グッドフェローズ』(90)や『カジノ』(95)を執筆している・・・広いようで狭いハリウッド相関図にハッとするが、
『恋人たちの予感』で才能を認められたエフロンは92年に監督デビューを果たし、
『めぐり逢えたら』(93)や『ユー・ガット・メール』(98)などのヒット作を生み出した。

遺作は2009年の『ジュリー&ジュリア』で、監督作は10本にも満たない。

じつをいうと『恋人たちの予感』と『ジュリー&ジュリア』以外は感心出来なかったのだが、
それでも訃報に触れると、このひとの映画をもっと観たかったなぁ、、、という思いを抱く。

このひとの映画であれば、ロマコメ系に対する苦手意識を克服出来るかもしれない―ちょっとだけ、ほんとうに、ほんのちょっとだけではあるものの、そんな風に思ったことがあったから。


ふたりに、合掌。

とりあえず『市民ケーン』と『恋人たちの予感』を、久し振りに観返そうかと。






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ぶっかけと人間仮免中

2012-06-28 01:15:00 | コラム
「なんでもパソコンで触れられるこの世の中で、未だエロ本を創っているひとたちって貴重よねぇ」
と、マツコ・デラックスがテレビ番組でいっていた。

確かにそうかもしれないが、そこが異性装者の甘いところというか弱点で、
視覚的なインパクトにおいて、必ずしも動画が写真を凌駕するとはかぎらない、、、というのは、べつにエロに限定することはなく、一枚の写真が何千万文字の小説や何百分の映画以上にこころを打つ場合があるでしょう。(マツコが「写真」ではなく「本」についていっていることは、百も承知だが)

ともかく。
そういう意味に? おいて、エロ本は不滅だ―と思う。
というか、思いたい。

そんなわけで、エロ本を買い続けている。
エロ本制作に関わっているから・・・というのもあるが、そもそもがエロ本好きなのだ。

市の条例やら町の評判やらで、コアなエロ本を置かない書店が増えた。

しかし、都下で最も治安が悪いとされる町田市はそういった「潮流」に疎いのか、駅前だというのにコアなエロ本をごっそり陳列している書店が存在する。

店の名前は伏せておこうか、そこにモデルの富永愛が子連れでやってきたときは軽く驚いたが、まぁべつに彼女の目的がエロ本コーナーにあったわけではない、
このコーナーをうろつくのは、基本的に自分の世代が中心である。

それにしても。
条例が出来てもしょうがないよな、、、と思うほかない「えげつない」表紙が並ぶ。

表紙くらいは、さわやかに? いきたいものだが。


先月―その書店で、自分のコラムが載った雑誌を手に取り、素早くレジに向かおうとしたのだが、一冊の本が気になってそれも購入した。

卯月妙子の『人間仮免中』(イースト・プレス=トップ画像)である。

現時点における、今年の書籍ベストワンの作品。

この漫画がエロ本コーナーに置かれているのもどうかと思う、中高生は読むなということだろうか。
確かに作者は元AV嬢だが、そういう扱いはあれだ、『ミュージック・ステーション』のVTRで元AKBにして元AV嬢である「やまぐちりこ」を「ぼかし」で流したことに似ている。
犯罪者じゃないんだから、あんまりじゃないか。

朝日の論壇時評で高橋源一郎も記していたが、卯月妙子のイキザマはハンパじゃない。
AVに出たり風俗嬢をやったり「なんとなく」飛び降りたりして顔面が崩壊、もうダメなんじゃないかと思われていたが、いつの間にか漫画家として復活していた。

卯月が出ていたAVジャンルは、簡単にいえばスカトロジーと呼ばれるもの。
ウンゲロミミズな? あれだ。

自分の嗜好は「ぶっかけ」一筋なので、まぁどっちもどっちな変態度ではあるものの、自分の趣味ではなかった・・・が、彼女に一目置いていたところはある。


漫画家としての卯月妙子の個性は、壮絶な内容なのに柔らか過ぎる描線にある。
ものすごいことを、ありふれたことのように「そっけなく」描く―『失踪日記』(吾妻ひでお)もそうだが、そのミスマッチ感により壮絶さが際立つということか。

この漫画を読み終えたころ、前述したように高橋源一郎が朝日新聞で取り上げた。
すると途端に評判となり、現在、けっこう売れているようである。

そして今月―いつものように愛読エロ本を購入しようと駅前の書店に行くと、
エロ本コーナーに「ひっそり」置かれていた『人間仮免中』が、一般書コーナーへと移動され「堂々と」平積みされていた。

おいおい、調子がいい書店だな。

この「手の平返し」感、あまりいい気はしないが、彼女の本が売れるならそれでよし、
あまり批判的なことを書いてコアなエロ本まで撤去? されても困る、とりあえず見なかったことにしておこうっと。






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縮みゆくおとこ

2012-06-27 10:43:54 | コラム
放っておくと、わずか数ヶ月で豚になる体質である。

たとえば『すき家』でアルバイトしていたとき、365日、朝晩と牛肉を喰い続けた結果、10kgくらい増量した。
同じ量の牛肉を体内に摂り入れていた「はず」の相棒はいっこうに増量せず、ほんとうに食べても太らないひとが居るのだなぁと羨ましくなった。

自分の場合は体質ではないのではないか、
きっと産婦人科の先生が自分を取り上げる際、かーちゃんに「太り易い子かもしれません、胸が異常に厚いですから」と“予言”したことが原因だと責任転嫁してみ、、、ても、それは虚しくなるばかり。

ともかくそういう厄介な体質だから、ここ数年はずっと体重維持を課している。
呑み会や帰省で呑んだり喰ったりしたあとは、たとえ酔っていても帰宅後、すぐにジョギングなどをして体重のチェックをする。

食事制限をしたり運動をしたりして、ほんの数日で元の体重(だいたい71kg)に戻すのである。

71kg前後というのは、
170cmに少し足りない男子としては「太り気味」に入る体重だが、
似非ではあるものの格闘家を名乗りたい、さらにいえば、Tシャツ好きのため「それ」が似合うようにするための理想なのだった。

こういう生活も歳を重ねるごとにきつくなってきているものの、
負けそうになったときは、すぐに高校1年時の自分の写真を眺めることにしている。

そうしたら一瞬で食欲も失せるし、なんとかせねば・・・という気が起こるのであった。
(映画『セブン』(95)で最も秀逸なのは、犯人ジョン・ドゥが暴食(=gluttony)の罪で殺した豚男のことを、「アイツを見たすべての人間が、食欲をなくす」といってのけるところだろう)


しかし。
この数日で「逆に」、2~3kg落ちるという異常事態が起こった。

あれ?
ひたすら肉を喰っているのに―と思って、体重計に2度乗り直したくらい。

腰痛によりずっと寝ていたわけで、多少の増量はしょうがない、、、と覚悟していたのだけれど、まさかその逆とは。

まずいまずい、太ることよりはマシかもしれないが、自分の理想はあくまでも71kgだっての。
身体的に最も動き易い体重であるし、繰り返すが、多少マッチョ体型のほうがTシャツは似合うはずで。

80kg以上はもっとイヤだが、イマサラ? 70kg以下になるのもちょっと・・・と思い、食べる量を多くしてみたのだが、あらまぁ不思議、それでも体重は増えるどころか減っていくのである。

結果、現在は67kgに。


どうしたことだろう。

・・・って、数kgのことをイジイジ? とチョメチョメ? と考える柄かオメーが、若い女子かよ! と突っ込みたいひとは、もういちど上部リンクの、高校1年時の自分を見てみろっての。

ああいう感じになっていいと思えるひとだけ、そういう突っ込みは「あり」なんだよ。

いい思い出なんか、ひとつもないものね。


痩せなきゃいけないにしろ、太らなきゃいけないにしろ、そんな自分を励ましてくれる存在は、いつだってデ・ニーロであったりする。
トップ画像の『レイジング・ブル』(80)では、痩せたあとにアイスクリームを食べ続けて太るという役作りをやってのけたが、
ポール・シュレイダーによる脚本も完璧、マイケル・チャップマンによるカメラワークも絶品、モノクロ/カラーの使い分けも超絶的センス、演出のスコセッシにいたっては神の領域に達している、、、

ただこの映画の唯一の欠点は、どう見ても20代に見えないデ・ニーロが、主人公の青年時代を「そのまんま」で演じていることか。

傷がないとされる名画の、たったひとつの傷。
そういう傷って、映画小僧にとってたまらなくいとおしいものなんだよね。


随分と話が逸れたが。

そんなわけだから、太るためにやるだけやってみようと思う。

38年間の人生で、これは初めての感覚、
太ることに対しあれほどの? アレルギーを宿していたはずなのに、まさかこんな日がくるとは。

腰痛といい体重減といい、今年の6月は奇妙な月である。






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シネマしりとり「薀蓄篇」(6)

2012-06-26 00:15:00 | コラム
ひーろーえい「が」→「か」にばりずむ(カニバリズム)。

愛情表現としては「食べてしまいたいくらい、好き」とはいうけれど、
実際にヒトを食べるヒトは「ほとんど」居ない。
「皆無」とはいえないところがミソ、、、ではあるものの、ゲテモノ料理を紹介するテレビ番組だって、「この食材は、ヒトです」といった時点でNGが入る。

ヒトが美味いかどうかは、とりあえず佐川一政(=パリ人肉食事件)に聞くほかない。
しかしこのひとだって実際にヒトの肉を食べたのかは、結局は分からない。自分で食べたといっているだけだから。

というわけで、人肉食(カニバリズム)の話。

まぁどうせ食すのだったら、やっぱり女子のほうがいいよね・・・とは思う。
おっぱいか、ふとももね。

食材として考えると筋肉が締まっている男子のほうが美味のような気もするが、とにかく見た目がさ。

そういえば少し前に、自分の性器を喰わせた日本人がニュースになっていたっけ。
提供したそのひともすごいが、喰ったひとたちのほうがチャレンジャーだなぁ。
「これは自分のムスコの一部です」と、明かされたうえで口に入れたわけだから。


映画『生きてこそ』(93)ではないけれど、
飢えの果てに・・・というのなら、仕方がない面はあるだろう、
しかし嗜好として食すという行為は、そーとーにアブノーマルだと思う。

美味いかどうかの一点だけで捉えれば、どうやら不味いらしいし。
不味いとされるものを敢えて食すというのは、食欲だけでは説明のつかぬ、なんらかの快楽があるということなのだろう。

誰もが想起するカニバリズム映画は、たぶん『羊たちの沈黙』(90)。
キーパーソンとなるレクター博士、「アイツの肝臓を喰ってやった」とかいってクラリスを脅しているし。

実際に起こったとされる事件(人肉パイ)を下敷きにしたのは、ミュージカル仕立ての『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(97)。
ほかに『ラビナス』(99)などもカニバリズムを描いてはいるものの、
決定打といえるのが『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)、そしてトップ画像の『ゆきゆきて、神軍』(87)なのではないか。

ヘンタイ淀川長治がこよなく愛したピーター・グリーナウェイ、このひとを一躍有名にした『コックと泥棒、その妻と愛人』は、
ある種の「罰」として、人肉が提供されている。

そういう物語に興味のないひとでも、ゴルチエの衣装やマイケル・ナイマンの音楽、レンブラント・ライトなど見どころが多く、これはあらゆるひとに薦められる作品、、、なのだが、
『ゆきゆきて、神軍』に関しては、観るひとにはある程度の覚悟が要求されると思う。

ドキュメンタリー映画の大傑作、しかし、
戦争当時の上官を殴る主人公・奥崎謙三のキャラクター性が突出「し過ぎて」いるため、最後まで観ていられないひとがけっこう多いのだ。

ちなみに、うちのとーちゃんは途中で挫折。
友人Hは感銘を受け、映画監督を志し始めた。

いずれにせよ極端な反応ばかりで、「まぁまぁ」という感想はあり得ぬ創りなのである。

そんな悪魔のようなキャラクターが追及する問題こそ、戦争当時に発生したとされる人肉食事件。


好きは大好き、嫌いは大嫌いになる映画だが・・・
ビッグバジェットの映画に飽きたというひと、チャレンジしてみないかい?






次回のしりとりは、
かにばりず「む」→「む」らきよしろう。

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明日のコラムは・・・

『縮みゆくおとこ』

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