57年4月29日生まれ・67歳。
イギリス出身。
ナイトの称号を得ているので、正確には「サー・ダニエル・マイケル・ブレイク・デイ=ルイス」。
野卑で狂気的な演技を披露しようとも内面の高貴さは失わず、だから、どれだけ「いっちゃてる」キャラクターであっても、このひとこそ正しいのかも!?と思わせてしまう抗い難い魅力があって。
ゆえに、引退して靴職人になろうとも、スコセッシやポール・トーマス・アンダーソンのような天才がわざわざ彼の自宅まで訪れ、説得し、懇願し、自作に出させようとする。
デイ=ルイス様は、その願いにYESというときもあればNOとしかいわないときもある。
おぉ!
スコセッシにNOといえるひとなんか、ミック・ジャガーとデイ=ルイス様くらいなんじゃないの!?
そりゃあ、イザベル・アジャーニも惚れるわなぁ。
そうなんです、泣いたり叫んだり怒鳴ったりしなければ、フツーにハンサムだしね(^^;)
<経歴>
ダブリンのイメージが強いのは、93年にアイルランドの市民権を得たからでしょう。
父親は桂冠詩人、母親は女優。
姉はドキュメンタリーの監督。
アジャーニとの交際期間は長かったものの一緒にはならず、アーサー・ミラーの娘レベッカと結婚。
息子ローナン・デイ=ルイスの映画監督デビュー作が控えており、
半引退状態であったパパも今回ばかりはスクリーン復帰するそうです^^
オールド・ヴィク演劇学校卒。
映画俳優デビュー作は、71年の『日曜日は別れの時』。
しばらくは舞台をメインに活動し、80年代に入ってから映画に本腰を入れる。
『ガンジー』(82)、
『マイ・ビューティフル・ランドレット』(85)や『眺めのいい部屋』(86)などの渋い英国系作品を経たのち、
88年の『存在の耐えられない軽さ』から映画ファンに知られる存在に。
89年―脳性麻痺の画家を熱演した『マイ・レフトフット』でオスカー主演賞受賞。
走って走って走りまくる『ラスト・オブ・モヒカン』(92)、
初めてスコセッシと組んだ文芸映画の「超絶」大傑作『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(93)、
『マイ・レフトフット』のジム・シェリダン監督と再タッグを組んだ『父の祈りを』(93)と『ボクサー』(97)、
魔女狩りを主題とした問題作『クルーシブル』(96)。
そしてこのころ、俳優業「いちどめの」引退宣言。
実際に靴職人としての修行を開始していますが、徹底した役作りを展開するため心身ともにズタボロになってしまうのですね、だから映画が完成したあと「もういいかな…」という虚無感のようなものに襲われるのかもしれません。
それでも野心家は彼を放っておきません。
2002年、スコセッシのストーカーのようなオファーに負けて『ギャング・オブ・ニューヨーク』に出演。
2007年、今度はPTAにストーキングされ『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に主演し2度目のオスカー主演賞に輝く。
現時点におけるキャリア最高の演技だと思います、最高!
2012年、スピルバーグによる『リンカーン』で3度目のオスカー主演賞。
出れば賞を取る入れ食い状態ですが、映画のキャリア構築に関しては相変わらず貪欲にはなれず、PTAの『ファントム・スレッド』(2017)を最後に再び引退宣言。
今回、それを覆させたのは息子さんであった、、、というわけです。
ファンからすると可能なかぎりスクリーンでの演技が見たいので、息子ちゃんには感謝しかありません^^
次回の列伝は、ダニエル・ラドクリフさんから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『先走り野郎、健在ということで(^^;) + 2024年10月コラムの目次』
イギリス出身。
ナイトの称号を得ているので、正確には「サー・ダニエル・マイケル・ブレイク・デイ=ルイス」。
野卑で狂気的な演技を披露しようとも内面の高貴さは失わず、だから、どれだけ「いっちゃてる」キャラクターであっても、このひとこそ正しいのかも!?と思わせてしまう抗い難い魅力があって。
ゆえに、引退して靴職人になろうとも、スコセッシやポール・トーマス・アンダーソンのような天才がわざわざ彼の自宅まで訪れ、説得し、懇願し、自作に出させようとする。
デイ=ルイス様は、その願いにYESというときもあればNOとしかいわないときもある。
おぉ!
スコセッシにNOといえるひとなんか、ミック・ジャガーとデイ=ルイス様くらいなんじゃないの!?
そりゃあ、イザベル・アジャーニも惚れるわなぁ。
そうなんです、泣いたり叫んだり怒鳴ったりしなければ、フツーにハンサムだしね(^^;)
<経歴>
ダブリンのイメージが強いのは、93年にアイルランドの市民権を得たからでしょう。
父親は桂冠詩人、母親は女優。
姉はドキュメンタリーの監督。
アジャーニとの交際期間は長かったものの一緒にはならず、アーサー・ミラーの娘レベッカと結婚。
息子ローナン・デイ=ルイスの映画監督デビュー作が控えており、
半引退状態であったパパも今回ばかりはスクリーン復帰するそうです^^
オールド・ヴィク演劇学校卒。
映画俳優デビュー作は、71年の『日曜日は別れの時』。
しばらくは舞台をメインに活動し、80年代に入ってから映画に本腰を入れる。
『ガンジー』(82)、
『マイ・ビューティフル・ランドレット』(85)や『眺めのいい部屋』(86)などの渋い英国系作品を経たのち、
88年の『存在の耐えられない軽さ』から映画ファンに知られる存在に。
89年―脳性麻痺の画家を熱演した『マイ・レフトフット』でオスカー主演賞受賞。
走って走って走りまくる『ラスト・オブ・モヒカン』(92)、
初めてスコセッシと組んだ文芸映画の「超絶」大傑作『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(93)、
『マイ・レフトフット』のジム・シェリダン監督と再タッグを組んだ『父の祈りを』(93)と『ボクサー』(97)、
魔女狩りを主題とした問題作『クルーシブル』(96)。
そしてこのころ、俳優業「いちどめの」引退宣言。
実際に靴職人としての修行を開始していますが、徹底した役作りを展開するため心身ともにズタボロになってしまうのですね、だから映画が完成したあと「もういいかな…」という虚無感のようなものに襲われるのかもしれません。
それでも野心家は彼を放っておきません。
2002年、スコセッシのストーカーのようなオファーに負けて『ギャング・オブ・ニューヨーク』に出演。
2007年、今度はPTAにストーキングされ『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に主演し2度目のオスカー主演賞に輝く。
現時点におけるキャリア最高の演技だと思います、最高!
2012年、スピルバーグによる『リンカーン』で3度目のオスカー主演賞。
出れば賞を取る入れ食い状態ですが、映画のキャリア構築に関しては相変わらず貪欲にはなれず、PTAの『ファントム・スレッド』(2017)を最後に再び引退宣言。
今回、それを覆させたのは息子さんであった、、、というわけです。
ファンからすると可能なかぎりスクリーンでの演技が見たいので、息子ちゃんには感謝しかありません^^
次回の列伝は、ダニエル・ラドクリフさんから。
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明日のコラムは・・・
『先走り野郎、健在ということで(^^;) + 2024年10月コラムの目次』