Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

声色

2018-07-31 00:10:00 | コラム
声しか知らないひとと初めて顔をあわせたとき、あぁ想像したとおりの顔をしている―と思ったことはないだろうか。

想像したとおりの顔をしている「ことのほうが」多い、、、と勝手に予想しているのだが。

だいたい当たるものでしょう、

がちゃがちゃうるさい感じのひとは、顔もうるさい感じ(?)がするし、

ハスキーなひとは顔もハスキー(?)の傾向にあるし、

アニメ声のひとは顔が声優っぽいでしょうと。


ただ自分自身の場合は、そうでもないようで。


他者が評するに、自分の声は「ややソフト」で「甘い感じ」がすると。

で、そういう顔を想像していたのに、マッチョ坊主がやってきた、、、みたいな。


たしかにいわれたことがある、「声は素敵なのに・・・ねぇ」って。

くそー。


声色で「くそー。」と思ったことが、もうひとつ。

基本的に恋愛において、なかなか諦めないタイプなのだが。

いちどだけ、これは勝算がないと早々諦めたことがあった。

自分はAちゃんのことが好き、Aちゃんは自分と仲のいいBくんが好きであったという関係で、
Aちゃんは、誰とでもよく話し屈託ない笑顔を見せる素敵な子だったが、Bくんと話すときだけ声色が変わったのである。

それがあからさまに過ぎて、なかなかに衝撃的だった。

ここまではっきりしていると、自分のほうに振り向いてくれる可能性はゼロだな・・・そう思って、アタックすらしなかったのだった。


後年―。
「声色まで変わっていたけど、あれは意識的に?」と彼女に聞いてみたらば、

「そうだった? ぜんぜん分からない」と返された。


それが本音だったとして。
無意識下で声色まで変わるくらい惚れていたんだもの、自分が身を引いたことは正解だったとあらためて思うのであった―。


※トップ画像と動画は、「声」から想起した映画『哭声/コクソン』



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明日のコラムは・・・

『俺の塩 + 07月コラムの目次』
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餅は餅屋、なのだろうけれども。。。

2018-07-30 07:36:38 | コラム
ナニゴトも、その道のプロフェッショナルがいちばん―そうあるべきだし、そうじゃないと、世の中いろいろ困ってしまう、、、というのは分かる。

自分も「基本的には」、ここ繰り返すね「基本的には」餅は餅屋という考えかた。

けれども。
ごく稀に、そうした、なんとなく出来上がったルールというか常識を打ち破る存在が出てきて、その世界を発展させることがあるのも歴史が証明している。

北野武の映画監督挑戦が、その好例でしょう。

ただし。
それはあくまでも「ごく稀」であり、ゆえに北野武と同時期に「映画監督、やってみた」系のひとたち―作家・椎名桜子、歌手・桑田佳祐、作家・村上龍、プロデューサー・秋元康―は、映画監督としての能力を発揮出来ず「この世界から、は消えていった」のだった。

松本人志が映画をやり始めたころ、期待値が異様に高かったのは北野武と同じにおいを感じたから、、、ではないのか。

少なくとも自分はそうだった。

しかし、松本映画は北野映画のようにはいかなかった。

「餅屋以外の、おいしい餅」は、このくらい「ごく稀」でいいのかもしれない。


日本のジョシカク(女子格闘技)選手で最も有名であろうRENAが、きのうのMMA興行『RIZIN.11』で敗戦、しばらく休業することが発表された。

RENAは打撃を主体とするシュートボクシングのチャンピオンで、厳密にいえば本業は「立ち技の格闘家」。
MMAとは立ち技だけでなく寝技も含まれる「なんでもあり」の競技であり、RENAにとっては(繰り返すが)厳密にいえば副業にあたる。

同じ格闘技でも細分化が進む現代においては、シュートボクサーがMMAに挑戦しただけで「餅は餅屋」と外野がうるさい。

自戒をこめていうが、格闘技ファンってそういうところがあるんだ。
映画ファンもアイドルファンも似たところがあるかもしれないが、格闘技ファンほど粘着質ではないと思う。
(MMAとプロレスを混同するひとたちに、そのちがいを熱心に説いたりするし)


たしかにRENAは、タックルされ寝技の展開になると「ザル」だった。

本来の能力を発揮出来ないでいた。

しかし彼女がMMAに初挑戦したとき、おおいなる可能性を抱かせてくれたのも事実だろう。


そもそもMMAというのは、なんらかの競技―柔道、レスリング、ボクシングなど―をベースとしたファイターたちが「競技を超えて」戦うために用意されたものだったはず。

餅は餅屋、という理屈なんか通用しないってこと。


いや、そうじゃなくって、いちど負けた対戦相手に半年ほどで再挑戦出来る「好待遇」が叩かれる原因にあったのは分かっている。

たしかに、えこひいきといわれればそうでしょう。

立ち技主体のファイターが半年ほどの練習でマスター出来るほど、寝技はラクじゃない。
付け焼き刃は火傷するだけだよって。


そんなこと、本人だって分かっていたのかもしれない。


しかしだね。
実績を残しているうえに「面白い」試合が出来るジョシカクの選手が、どれほど居るというのか。

RENAのほかに、中井りんくらいしか浮かばないよ自分は。


RIZINのジョシカク部門は、RENAから始まった。

手順を踏まぬ再戦に「物言い」がつくのも分からないではないが、RENAにはそれくらいの特権が許されてもいいと個人的には思う。


そうして浅倉カンナに返り討ちされ、休業を発表するにいたる。


「勘違いしている」「プロテクトされている」「ぜんぜんかわいくない」とか腐してた連中は、これで満足なのだろうか。

RENA不在のRIZINジョシカク部門が、どれほど盛り上がるのかという不安のほうが大きいけれどね自分は。


RENA、とりあえずおつかれさん。

ゆっくり休んで、もしモチベーションが上がるようなことがあれば、また戻ってきてください。

あなたから受けたケツへのキック、2日くらい便座に座れぬほど痛かったんですわよ笑


※彼女への取材は、2009年が最初だったかと



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明日のコラムは・・・

『声色が変わる』
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revenge

2018-07-29 00:10:00 | コラム
まだ自分が実家に暮らしていたころ、スポーツニュースで流れた「リベンジ」ということばに父親が反応し、

「なんか、軽い感じがすることばだなぁ。父さんは、あんまり好きじゃない」

といっていた。


「復讐」だと怨念めいたものに捉えられてしまうので、「雪辱」と訳したほうが適切なのかな。


自分?

割と好きなことばだね、ただ濫用すると、父親がいうとおり「軽く」なってしまうのかも。


本日、MMA興行『RIZIN.11』(さいたまスーパーアリーナ)が開催される。
(地上波では、フジテレビが放送)

メイン/セミ、2試合のテーマはずばり「リベンジ」。

前回の敗者がリベンジを成し遂げるのか、あるいは前回の勝者が敗者を返り討ちにするのか。

4人それぞれにドラマがあり、背負うものがある。


つまり映画としては、背景の描きかたがばっちり。

これで実際の内容がズンドコであったとするならば、これはもう、格闘技の冬の時代はしばらくつづくと考えたほうがいいでしょう。


そのくらい、背景と駒が揃っている。
そのくらい、ファンは期待している。


きょうの興行が、どうか成功しますように。

出来れば、「大」成功であってほしい。

どっちも負けるな、どっちも頑張れ!!




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明日のコラムは・・・

『餅は餅屋、なのだろうけれども。。。』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(256)

2018-07-28 00:10:00 | コラム
え「き」→「き」み(君・キミ)。

44年とちょっと生きてきて、誰かのことを「君(キミ)」と呼んだことがない。

『天国と地獄』(63)の伊藤雄之助じゃないが、「ちょっと、キミキミ」なんてね。

そういえば、呼ばれたこともない(と思う)。


まわりの同世代に聞いたら、みな同じだという。

しかし。
面白いなぁと思うのは、映画のタイトルもそうだが、それよかヒット曲で使用される頻度の多さ。

AKBの曲の多くには「♪ キミに~」「♪ キミが~」という歌詞があるし、宇多田ヒカルやコブクロや平井堅、家入レオにKANなどなどなど、切りがないほど挙げられる。

日常会話では違和感があっても、歌詞や映画のタイトルにするとハマるということか。


以下、「君」が冠された映画のタイトルで想起したもの。

みなさんも、まずは上記2本が浮かんだのではないかしら。


『君の名は』(53)

こっちを観ている若いひとは、もう少ないのでしょうなぁ。



『君の名は。』(2016)

いろいろいわれたけれども、少年少女を映画館に向かわせた功績は評価しましょうよ。




『この窓は君のもの』(95)

やはり日本映画が強いよね、原題もなにもないのだから。

『君の膵臓をたべたい』(2017)

よい映画になる要素は沢山あったのに・・・なぁ。




『耳に残るは君の歌声』(2000)

テノールのアリアより、映画のほうが知られることになった・・・というのも、ジョニー・デップが出演しているからかな。

『君の名前で僕を呼んで』(2017)

連日、満席だった。
LGBTの問題で話題になっている、気持ち悪い顔をした政治家さんに、とりあえず観てほしいな。

『君がいた夏』(88)

映画少年は、ジョディ姉さんみたいなひととの出会いを「いつだって」妄想するものなのです。



『君を忘れない』(95)

(当時の)若手俳優を集め、戦争を重くなり過ぎずに描く。
という意図は分かるが、軽過ぎて、ちょっとね。


次回のしりとりは・・・
き「み」→「み」す。

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明日のコラムは・・・

『revenge』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(255)

2018-07-27 00:10:00 | コラム
くちぶ「え」→「え」き(駅)

可能なかぎり、どこへだってチャリで向かおうとする自分にとっては、電車・駅に縁があるとはいえない。

とはいえ。
この世界にふつうに暮らしている以上、利用することはあるわけでね。


好きな駅は・・・
地元の館林駅、
巨大な横浜駅、
(聖地スーパーアリーナの最寄りなので)さいたま新都心駅、
最も映画を観ていた時代、ほとんど毎日のように利用した渋谷駅、

・・・って、充分利用してんじゃん!!


物語の基本は、出会いと別れにあるといっていい。
駅は「人間交差点」と呼ばれることもあるくらいだから、舞台としては最適なのだよねぇ。


(1)『カリートの道』(93)

夢にまで見た楽園での暮らしまで、あと少し。

あと少し、だったのに・・・。



(2)『風立ちぬ』(2013)

少々やり過ぎ・・・とまでいわれた、主人公とヒロインの再々会。



(3)『フィッシャー・キング』(91)

駅の構内で繰り広げられる、夢のようなダンスシーン。

(4)『ヒューゴの不思議な発明』(2011)

駅の時計台に隠れ住む少年の冒険譚。

さすがはスコセッシ、流麗なカメラワークで駅の構内を紹介。
ただ真のテーマは後半にあり、深い深い映画愛に感動するのだった。



(5)『サイダーハウス・ルール』(99)

車で孤児院を去った主人公は、電車で戻ってきた。

ちょっとだけ登場する駅員さんこそ、原作者ジョン・アーヴィングである。


次回のしりとりは・・・
え「き」→「き」み(君・キミ)。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(256)』
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