Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

袋か、おふくろか

2013-05-31 00:15:00 | コラム
「映画の箱」ときたら、次は「袋」だろうと安易に過ぎる発想が浮かんだわけだが、ふたつの作品はすぐに浮かんだけれど、そのあとが続かない。

だから「箱」のときと同様、袋を拡大解釈しハンドバッグやリュックサックも含めることにした、、、ものの、それでも10作品は埋まらない。

自分で企画したことなのに、なんとなく嫌気が差してきて、袋から連想する「映画とはまったく無関係なこと」を考えたりしていた。


壱、SPEEDの島袋寛子(hiro)とか。

自分は上原多香子が好きだったが、ちょっと美人が過ぎて近寄り難い雰囲気がある。
その点、hiroって「ちょうどいい」感じがして、話しかけ易いなぁって。


弐、おふくろ、という呼びかたとか。

自分はそう呼んだことがなく、また、記したことも発したことも「ほぼゼロ」にちかく、まったく馴染みのないことばで。

そう呼ぶ地域でなかった、さらに、そう呼ぶ世代ではなかった―ということなんだと思う。

なんと呼んでいたかというと、上京前までは「おかあさん」、上京後は、なぜかちょっと甘えた感じで「かーちゃん」だった。


参、シンナー吸引であるとか。

自分?

やってなかったよ、もちろん。
やっているヤツの目が完全に「向こう側」に行っていて、ああはなりたくないと思わせてくれたからね。


四、玉袋筋太郎とか。

漢字を入れ替えて、筋袋玉太郎とやったのは、たしか松本人志だったか。


さて。
逃げ続けるわけにもいかないので、広義の意味における「映画のなかの袋」、その個人的な5傑を展開してみよう。


(1)『アメリカン・ビューティー』(99…トップ画像)

全世界の映画小僧にアンケートを取ってみても、おそらくこの映画がベストワンに輝くはずである。


風に舞う、舞い続けるビニール袋。




(2)『ツイン・ピークス』(90)

ビニール袋で「ぐるぐる巻き」にされた、ローラ・パーマーの死体。

(3)『ピースメーカー』(97)

リュックサックのなかに、核兵器?

(4)『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(95)

花火を観に行くだけなのに、修学旅行のノリで「ばかでかい」リュックを背負ってくるクラスメイト。

(5)『グロリア』(80)

手には銃、肩には「出来る?」女性らしく、バッグをかけるジーナ・ローランズの勇姿。

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箱の中身

2013-05-30 00:15:00 | コラム
映画のなかの名言―ということになっているけれど、「そうかな、自分はピンとこないな」と思うのがひとつだけあって、それは『フォレスト・ガンプ』(94)の、

「人生はチョコレートの箱みたいなもの。開けてみるまで中身は分からない」。


いや、いっていることは分かるのだけれども。

でも果たして名言なのかなぁって。

同作には「馬鹿なことをするヤツを、馬鹿っていう」というのもあって、個人的にはこっちのほうが名言だと思う。


きょうのテーマは映画の名言―などと予想させておいて、ガンプ母のいう「箱」のほうで特集を組んでみる。


箱? って突っ込まれそうだが、そう、箱。
広義の意味における、箱。

だからダンボールだけでなく、アタッシュケースなんかも入れちゃう。

印象に残る「映画に登場する箱」の10傑、ではいってみよう。


(1)『バートン・フィンク』(91)

コーエン兄弟、前期(といっていいのか、どうか…)における到達点。

箱の中身は予想出来るが、最後まで明かさないのが憎い。

(2)『RONIN』(98)

「あるケース」をめぐる、壮大な争奪戦。

前半でデ・ニーロが「ケースの中身は?」と聞くが、リーダーはそれに答えない。
結局は明かされないまま物語は終わる、、、のだが、だからといってモヤモヤ感は残らない。

モヤモヤ感を生じさせないほど、アクション描写が刺激的だったから。

(3)『セブン』(95)

「中身を見せない」映画がつづく。

奥さんの首が入っていることは、ブラッド・ピット以外は信じているので「見せる必要なし」。

露悪趣味のある監督であれば、ホイホイと見せてしまうところだが、フィンチャーはそんなことしないし。

(4)『パルプ・フィクション』(94)

ケースの中身は、たぶん宝石。
ティム・ロスが見惚れてしまうほどの輝きを放つ。

(5)『マルホランド・ドライブ』(2001)

トップ画像は、ヒロインふたりと監督リンチ。

青い箱。
この箱を手に入れたことにより、ヒロインたちの世界が反転する。

(6)『グレムリン』(84…文末動画参照)

初登場シーン。

(7)『ヘル・レイザー』(87)

ルマルシャンの箱と呼ばれる、一種のパズルボックス。

ちょっとだけブームを起こした特殊なホラーだが、自分は好きよ。

(8)『ニキータ』(90)

プレゼントがアレっていうのは・・・と、ヒロインに同情してしまった。

リュック・ベッソンの映画では、いちばん好きかもしれない。

(9)『ブラック・レイン』(89)

贈り物のワイシャツの下に、偽札原版が。

米国人的発想で、ちょっと悔しかった。

(10)『ポゼッション』(2013)

アジャーニ版「怪作」のほうではなく、新作米国映画のほう。

ある「箱」によって美少女が悶え苦しむ・・・う~~ん、ある意味で理想的な設定。


※ギズモが歌う場面。かわいー!!




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The Freakshow

2013-05-29 03:00:00 | コラム
「ひとんち」や「ひとさま」についてアアダコウダいえるような人生を送っているわけではない。
ないが、
昔、柳美里の『石に泳ぐ魚』問題というのがあったけれど、「書きたがり病」を患うものは、ほんとうに「なんだって書きたがる」傾向にあり。

というわけで、こんなことを書いてみる。


高校1年、夏の出来事である。

シナリオ書きとマスかきに青春を捧げた自分は、その日も自分の部屋にこもり、デヴィッド・リンチをパクッた物語を紡ぎつつ、エロ本を見てシコシコやっていた。

深夜2時ごろ―若い女子ふたりが口論する声が聞こえてきた。

ほとんど悲鳴にちかい怒鳴り声。
物を投げつける音も聞こえる。


そーとー激しい喧嘩だな・・・って、待てよ。○○さんの家から聞こえてくることは確かなのだが、ここの家に若い女子はひとりしか居なかったはず。

いったい、誰と誰が喧嘩しているのだ?

怒鳴り声の内容はきちんと聞き取れなかったが、ときどき「姉さん!」といっているのは分かった。

姉と、妹?

どうなっているのだ、ワケガワカラン。

口論は2時間ちかくに及び、田舎特有の静寂が戻ったのは早朝になってからだった。

そうして。
この日からほぼ毎日、口論が展開されることになる。

夏の暑さにも負けず。
冬の寒さにも耐えて。
台風の夜は、台風に負けぬ音量で。


数ヵ月後―かーちゃんから、信じ難い話を聞いた。

「光永、きのうの晩もひどかった?」
「うん、ひどかった。眠れなかったよ、ぜんぜん」
「注意してもどうにもならないみたいだから・・・耐えられる?」
「どうにもならない?」
「・・・ひとり、らしいのよ、やっぱり」
「ひとり?」
「うん、○○さんちの●●さん、ひとりで喧嘩しているみたいなの」
「・・・!?」

いわゆる、多重人格。

精神をやられた彼女は「ある部屋」に閉じ込められ、そこから出されることはなかった。

深夜になるときまって「ある人格」つまり「自分のなかで創りあげた姉」が顔を出し、妹である自分と喧嘩をする。
自分で物を投げつけ、自分で「姉さん!」といっている。

映画の世界の出来事が、ほんの数メートル先で実際に起こっている。

最初は興味津々だったが、毎日こうだと、こっちの精神もやられちまう。

しかし彼女の症状はやむことがなく、ほぼ毎日、自分が上京するまで続いたのだった。

なぜ入院させない?
誰もが思うことだろうが、世間体というもの? を気にして、○○さんちは閉じ込めることに決めたようなのである。


上京した自分は年1度のペースで帰省している。

19歳の夏も20歳の秋も、21歳の正月も22歳の春も、「彼女と彼女」の口論を聞いた。
さらにいえば。
症状はやむどころか悪化し、深夜だけだったはずの「そのアクション」が、日中にも展開されるようになっていたのだった。

もっといえば。
人間の恐ろしいところというか、まぁ自分だけかもしれないが、所詮はタニンゴト、
毎日の「騒音」と捉えれば迷惑な話でも、年に1度の帰省となると、なんとなく「楽しみのひとつ」になってしまった―じつはこのことこそ、本コラムのメインテーマである。


あぁサイテーだよ。
否定なんかしないし、出来ない。

カエルの合唱とともに聞こえてくる、「彼女と彼女」の口論。
あぁやってるやってる、そうか自分、帰省しているんだな、、、と実感する。

ちょっと意味はちがうが、風物詩、的な。


今年もそんな感じで帰省した―しかし、「彼女と彼女」の口論が聞こえてこない。

死んでしまった、とか?

聞くと、やっとのことで精神科に入院したらしい。
ある日の「彼女と彼女」の口論がひど過ぎて、警察に通報されたのだそうだ。

そして入院した途端、その環境に順応し、体調も精神も回復したというのである。

自分が高校生のころ、彼女はたしか20代後半か30代前半だったはず。

いちばん「はっちゃける」ことの出来る年齢。
繰り返すが「ひとんち」のことについてアアダコウダいえるものではないけれど、それはつまり「失われた時間」なのではないか。

そういう意味できょうのトップ画像をマクマーフィー(=『カッコーの巣の上で』)にしてみたが、
ジョン「エレファントマン」メリックにしても、よかったのかもしれない。

なにがいいたいかっていうと、自分にとって彼女とは、ある意味でミセモノであったと。

怖いけど、見たい。
怖いけど、知りたい。

そんな感じ。

血のつながるものであればミセモノ化を避けるために「あらゆる手段」を取るだろうが、つくづく人間って残酷だなぁと。


「ひとさま」から、自分の本性が見えてくる。

ただ最後になって自己弁護するわけではないが、彼女が回復傾向にあることを聞いて、ちょっとホッとしたところがある。

「失われた時間」を取り戻すために、思いっきり「はっちゃけて」ほしい。

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エロスを求めて三千里

2013-05-28 00:15:00 | コラム
帰省した際のエピソードを二夜連続で展開してみたい。

東京に戻る前日―。
自分が少年期を過ごした家が取り壊されることを知らされる。

トップ画像は、その玄関で撮られた保育園時代の自分。
まだナニをナニすると気持ちいい、、、ことさえ知らぬ、汚れ・穢れのない瞳をしているのが救い? だ。


さて。
3.11のパワーは群馬でも凄まじかったようで、赤い屋根の、小さくて可愛い平屋をおおきく揺らした。
屋根瓦が吹っ飛び、応急処置はしたものの危険度がゼロになったわけではない―というのが取り壊しの理由だが、
東京で「自分ひとりで生きてきた」みたいな感じでノホホンとやっている自分が意見をいえる立場ではない、
だから賛成だとか反対だとかいうつもりはないけれど、聞いた瞬間は軽く動揺したというか、一抹の寂しさを覚えたわけで。

初めてアルバイトした映画館が取り壊されたり、パン工場が閉鎖されたり、前住居も取り壊されており、
つくづく「取り壊し」や「閉鎖」に縁のある人生だなぁと。


実家で過ごしていたころ、最も印象に残っていること、、、というわけではない話を敢えて記してみようと思う。
少年のひたむき? さ、阿呆さが際立ち、結果的に普遍性を得ているような気がするので。

高校2年生のころの話である。

学校を終え、いつものようにチャリで自宅に戻ってくると、縁側付近に見知らぬ男が3人立っている。

見知らぬと書いたが季節は晩秋、時刻は18時を回っていた。
自宅から漏れる灯りだけが頼りだから、誰だか分からなくとも不思議ではない。
ないのだが、「よぉ、まっき~、久し振り!」と声を聞いてもピンとこなかった。

「ん?」
「“ん?”って、三中で一緒だったAだよ」
「俺、B」
「俺はC」

と、丁寧に自己紹介してもらい、敵? でないことで安心はしたが、中学時代の同級生とはいえ、それほど・・・いや訂正、ぜんぜん親しくなかったものだから、逆に訝しがる自分。

「どうしたの?」
「・・・いや、ね、まっき~のお母さんには、まっき~の部屋で待ってなさいといわれたんだけれど」
「うん」
「用事が、用事だから」
「なに?」
「あのさ俺たち、裏ビデオ観たいんだけど」
「・・・へ?」
「凄く観たいんだ」
「・・・」
「まっき~、そういうの持ってるんだろ、裏ビデオ」
「・・・持ってない、、、といえば嘘になるけど」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「俺たちの高校で有名人なんだよ、まっき~って」
「俺が!? 太田東で?」


高校名を出しちゃったけれど、まぁいいか。
ともかく太田東は自分の通う西邑楽(にしおうら)よりも偏差値が高く、そんなハイレベルな高校で自分が「エロで」有名になっているなんて、ちょっと信じられなかった。

「裏、貸してくれる? 裏」
「裏、観たいんだ、裏」
「オモテは何度も観てるんだけれどね、裏はまだ」

そう裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏と、連呼されても。

「ひとつだけあるけど、それ、いまクラスメイトに貸しちゃってる」
「えっ、ひとつだけ?」
「うん、ひとつだけ」
「なんで?」
「・・・と、いわれても(苦笑)」
「100本くらいあるって、噂で聞いた」
「俺も聞いた。だから、まっき~の家を知っている俺が、きょうコイツらを連れてきたの」

100本って、あなた。

あれか、その昔、キン肉マン消しゴムを1000個持っているとホラを吹いたから、そのバチが当たったということか。
それともあれか、ガンダムの劇場版で「ジオングに足がつく」とホラを吹いたから、騙された同級生が仕返しのためにデマを流しているのか。

どっちにしてもサイテーなガキであるが、
自分、いまもそうなのだが想像することが好きでね、モザイクがあったほうが興奮する性質の持ち主なのだった。

それを丁寧に説明し、「オモテなら50本くらいある」といってみる。
すると白けた感じで「オモテはなぁ、、、」などと返され「じゃあ、帰るわ」と。


世の中の不幸、そのすべてを背負ったかのような、背中。
自分の家までそーとーな距離があったはずで、収穫ゼロで帰すのはちょっと気の毒ではあったが、ないものはない。

つーか、ヨソの高校で、しかもエロで有名になるとはなぁ。

どえらい美女と付き合っているとか、そういうので広まりたかったけれど。


・・・と、ここまで記してきて、取り壊される家そのものは、ほとんど出てきていないことに気づく。


しかし、この家でナニをナニすると気持ちいい、、、ということを覚えたわけでね、
現在の自分はナニをナニすると気持ちいい、、、ということを原動力に生きているようなところがあって、
つまりあれだ、自分の性の原点であったと。


こんなオチでは天国のかーちゃんも悲しむような気がするが、イマサラ格好つけてもしょうがないものね、
一抹の寂しさが性の想い出とリンクするところに自分自身を見た気がして、なんとなく感慨深くなるのだった。


※そんな自分の、性春のアイドル・・・朝岡実嶺




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帰省のための「逃げ」コラム、つまり再録(6)

2013-05-27 00:15:00 | コラム
生まれ故郷の館林から帰還しましただ。

きょうから出来立てホヤホヤのコラムをボンボコ生み出していってもいいのだけれど、
トシなのか、さすがに疲れている? ので、きょうまでは再録を。

ちなみに。
きょうのトップ画像は、『グッドフェローズ』撮影時のスコセッシとデ・ニーロ。

黄金コンビ、復活しないのかな。


≪映画気狂いの、オールタイムベスト100 その六≫

制作国には偏りがあるものの、
ジャンルとしてはバランスがよく、なかなかのチョイスなのではないかと。


<51>『ゴーストワールド』(2001)

<52>『激突!』(71)

<53>『マルホランド・ドライブ』(2001)

<54>『近松物語』(54)

<55>『六月の蛇』(2002)

<56>『巴里のアメリカ人』(51)

<57>『悪魔のシスター』(73)

<58>『わが谷は緑なりき』(41)

<59>『ウエスト・サイド物語』(61)

<60>『愛を乞うひと』(98)

<61>『エクソシスト』(73)

<62>『おとうと』(60)

<63>『エド・ウッド』(94)

<64>『用心棒』(61)

<65>『フェイク』(97)

<66>『太陽がいっぱい』(60)

<67>『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)

<68>『サイコ』(60)

<69>『ジャッキー・ブラウン』(97)

<70>『絆』(98)


※『ジャッキー・ブラウン』より、格好いいにもほどがある! オープニング・クレジット




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