Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

きらきらひかる:映画監督篇

2014-10-31 07:24:20 | コラム
久し振りに、日本映画『太陽を盗んだ男』(79)をスクリーンで鑑賞した。

理科を教える中学教師、自称「9番」が原子力発電所からプルトニウムを強奪、自宅で、たったひとりで「被曝しながら」原子爆弾を完成させる。

俺、これ持っているからさ、なんだって出来るわけよ。でも、おかしな話なんだけどさ、なにをしたらいいか、分からないんだ―この闇雲なエネルギーを前に、いつだって思考停止になっちまう。





原案は外国人―『タクシードライバー』(76)を著したポールの実弟、レナード・シュレイダーによるもの―とはいえ、創ったのは日本の映画監督、ゴジこと長谷川和彦である。

すごい男が居たものだ。

広島出身、現在68歳。
76年、親殺しの青年を描いた『青春の殺人者』で監督デビューを果たす。

脚本の世界で注目されていたとはいえ、製作のひとりにイマヘイ今村昌平、脚本に田村孟、撮影が鈴木達夫、美術は木村威夫と最高のスタッフが集まっている。
新人としては異例の待遇であり、この男がモノスゴ期待されていたことが分かる。

しかし『太陽を盗んだ男』を最後に、ゴジは映画監督業を中断してしまっている。
(けっして辞めたわけではない)

監督キャリア、たったの2本。
連合赤軍の映画を撮りたいといい続けて30年、しかし撮る気配もなく古希を迎えそうなのである。

なんらかの問題を抱えているのかもしれないが、ファンとしては「なにやってんだよー、早く撮ってくれよぉ」と切に願う。

そこできょうは、ゴジを筆頭とする「あのころきらきら輝いていた、存命の映画監督たち10人」を取り上げてみたい。

いわゆる「あのひとは、いま」のような、他者が興味本位でナンヤカンヤいう企画とはちがう。
「早くこっちの世界へ戻ってきておくれ」という恋文みたいなもの、、、と解釈してもらいたい。


※広義の意味とする。つまり、映画監督はやっているが「あのころの、きらきら」を感じられなくなったひと、、、も含まれる。
繰り返すが、あくまでも恋文であって悪口とかではない。

しかし、そういう意味ではコンスタントに作品を発表しつづけ、なおかつ、それらが一定のレベルに達しているウディ・アレンって、真のバケモノなのだなぁと戦慄してしまうよ。


(1)ヤッホー・シリアス

88年、コメディ『ヤング・アインシュタイン』を発表して一瞬だけ騒がれる。

ティム・バートンみたいな容貌のために「鬼才」感が漂い、いろいろ期待したが、あとがつづかなかった。

(2)ピーター・グリーナウェイ

英国のフェリーニ、みたいなひと。

90年代―相棒の作曲家マイケル・ナイマンと組んで、毒々しい幻想的な映画を連発したが、最近はおとなしい。

『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)は、いま観ても刺激的。

(3)マイケル・チミノ

ニューシネマ後期に登場、大作主義の傾向が強く、それが原因かスタジオを倒産に追い込んだ。

戦犯のような扱いだが、出来上がった映画はどれもすごいのだから復活してほしい。

(4)ジョン・マクティアナン

アクション描写に冴えを見せる職人で、『ダイハード』(88)一本でときのひとに。

しかし、FBIに対して虚偽の証言をしたとして実刑を喰らう。

もう出所しているはずだが、元気かな。

(5)ジャコ・ヴァン・ドルマル

ベルギーの俊英。

観たひとのほとんどが好きになる『トト・ザ・ヒーロー』(91)で鮮烈デビューを飾り、その後も『八日目』(96)などの良品を発表しつづけているものの、ファースト・インパクトをなかなか超えられない。

(6)パーシー・アドロン

87年、『バグダッド・カフェ』で全世界の映画ファンを虜にした女流監督。

(日本の)ミニシアターブームのきっかけを作った一作であるからして、ちゃんとした? 新作が観たい。


※この映画を知らないひとでも、曲は知っているでしょう?




(7)ホウ・シャオシェン

台湾映画をネクストレベルに引き上げた偉人。

『恋恋風塵』(87)や『悲情城市』(89)など味わい深い名作を発表、90年代アジア映画の隆盛は、このひとが築いた土台があってこそ、、、だったのだと思う。

(8)フィル・アルデン・ロビンソン

『フィールド・オブ・ドリームス』(89)や『スニーカーズ』(92)などの佳作を発表、
現在も、ちゃんと新作を撮ってはいるが、ん? 別人かな?? と思ってしまうほど、最近の映画は「きらきら」を感じない。

(9)ヤン・デ・ボン

撮影監督として『ダイハード』や『ブラック・レイン』(89)に参加、満を持して『スピード』(94)で監督デビューを果たす。

しかし、デビュー作がまぐれであったかのように、次々と失敗作を創り、なんとなくメガホンを持てない存在となっていく。

あのカブキ演出、けっこう好きなんだけれど。

(10)ミミ・レダー

『ピースメーカー』(97)のような社会性の強いアクション映画を撮ることの出来る女流監督なのに、最近は主にテレビドラマの演出をやっている。

やはりテレビのほうが、いろんな障壁がなく撮り易いのだろうか。

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にっぽん男優列伝(252)中尾彬

2014-10-30 00:30:00 | コラム
42年8月11日生まれ、72歳。
木更津出身。

公式プロフィール


「―うちの志乃がね」なんつって。

ネクタイ代わり? にしている「ネジネジ」、
やや癇癪持ち、
江守徹との口喧嘩、

そして、奥さん・池波志乃の印象が強い中尾彬(なかお・あきら)さん、
格好よく見えるときもあるし、単なるヘンクツに見えるときもある不思議なひとです。

格好よく見えるのは、たぶん、あの低音ボイスが活かされているときなのでしょうね。

喋りが達者なひとなので、現在は主にバラエティで生計を立てている―とまでいってしまうとまずいのか、ただ70年代後半~80年代前半にかけての日本映画を観ていけば、「あらここにも!」「こっちにも!!」と、何度も何度も中尾さんの不思議な演技―そう、低音ボイスが邪魔をして、はっきりいえば上手なのか下手なのか分からない―を拝むことが出来ます。


※AKBのPVにも出ています
しかし、、、いきなりの前田あっちゃんの大根演技~





<経歴>

前妻は女優の茅島成美。
義父・金原亭馬生、義祖父・5代目古今亭志ん生、義叔父・3代目古今亭志ん朝―というのは、現在の奥さん・池波志乃の家系が落語家一家であるため。

実家は酒屋。
絵を描くのが得意で武蔵野美術大学油絵学科へ入学したりフランス留学を果たしたりするも、同時に俳優業への興味も抱き、第5期の日活ニューフェイスに応募し合格、俳優のほうを選ぶ。
どちらに進むか迷っていた高校生のころに、大スター・長谷川一夫の弟子入りを志願したことがあったそうです。

実質的な映画俳優デビュー作は、64年の『月曜日のユカ』。
加賀まりこが主演、彼女を一躍有名にした「軽やかなコメディ」です。
凝った映像と加賀まりこの魅力にやられて、正直、中尾さんは影が薄いですけれど、(観返してみたら)とてもいい演技をしていました苦笑

『結婚相談』(65)、『愛と死の記録』(66)、『逃亡列車』(66)、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(70)、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(70)、『内海の輪』(71)。

このころは、まだスマートで、かつコワモテというわけでもありませんでした。
ですから善玉も色男も演じていましたし、75年には『本陣殺人事件』で主演を果たし、なんと金田一耕助を熱演しています。
意外と、似合っていましたよ~。

映画的キャリアとしては、ここから82年までがピークとなります。

『西陣心中』(77)、『帰らざる日々』(78)、『白昼の死角』(79)、『日本の黒幕(フィクサー)』(79)、
『燃える勇者』(81)、『悪霊島』(81)、『蔵の中』(81)、『誘拐報道』(82)、『伊賀忍法帖』(82)、『嵐を呼ぶ男』(83)。

並行してテレビドラマにも多数出演、肥えていくことで貫禄もつき、さらにあの低音ボイス・・・オファーは絶えませんが、徐々にクセのある悪役が多くなっていくようになりました。

『花園の迷宮』(88)、『極道の妻たち 最後の戦い』(90)、『浪人街』(90)、『首領になった男』(91)、『ミンボーの女』(92)、『七人のおたく』(92)、『民暴の帝王』(93)、『首領を殺った男』(94)、『ヤンキー烈風隊』(95)、『バブルと寝た女たち』(98)、『必殺!三味線屋勇次』(99)、『梟の城』(99)、『極道の妻たち 赤い殺意』(99)。

うん、タイトルで分かりますものね、ジャンル的に偏ってきたことが笑


2007年―急性肺炎および横紋筋融解症と診断され、芸能活動を休止する。
しかし3ヵ月後にテレビ出演を果たし復帰、以来、飲酒も喫煙もやめたそうです。

近年は北野武が好んで起用し、『アキレスと亀』(2008)と『アウトレイジ ビヨンド』(2012)に出演。

72歳ということは、自分の父親と「ほぼ」同級生です。
「わが」とーちゃんも元気ですが、このひとも元気ですねぇ、大病を患ったというのに。

将来に希望が持てるというか、ずぅっとこの調子で活躍していってほしいです。


次回のにっぽん男優列伝は、永島敏行さんから。

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にっぽん男優列伝(251)中尾明慶

2014-10-29 00:30:00 | コラム
88年6月30日、26歳。
東京出身。

公式ブログ

日本の俳優さんを取り上げるこの企画、いよいよ250人を超えました。

「くまなく」やっているわけでもないのに、「な行」でこの人数ということは、400人くらいになるのではないでしょうか。
ほんとうは男子として、早いとこ女優版に取りかかりたいところなのですけれどね、それが実現するのは、2年後くらいになるのかもしれません・・・。

さて、251人目の俳優さんは中尾明慶(なかお・あきよし)くん。

軟弱系? でデビューした市原隼人くんは、そのイメージを払拭するためか、冗談が通用しない感じのオラオラ系? へと変貌した―って、ちょっと悪口かな笑―わけですが、中尾くんも「どちらかというと、軟弱っぽい」キャラクターを演じることが多く、市原くん同様、筋肉つけたりして頑張っていますが、自分のなかのイメージはあまり変わらないですね。

仲里依紗(夫人)を落としたのは、素直にたいしたものだと思いますし、単純に羨ましいですけどね。


※これ、自分もスタジオでやらせてもらったことがあります。面白かった~。力自慢の男であれば、かなりムキになるはず。




<経歴>

小学生のころ、俳優というよりも芸能界に憧れてホリプロのスクールに通う。

2000年、TBSのドラマ『ママまっしぐら!』に出演。
ミッチョンこと芳本美代子が主演する「昼ドラ」で、中尾くんはまだ12歳でした。
ですから、ぎりぎり「子役出身の俳優さん」で括ることが出来ると思います。

自分が中尾くんの存在に気づいたのは、『3年B組金八先生』の第6シリーズ(2001、TBS)からですね。
上戸彩の性同一性障害をメインとしましたが、中学生の妊娠や暴力騒動より、小さなエピソードや地味なキャラクターにこそ目がいきます。
ですから、クラスではそれほど目立っていなかった中尾くん、あぁ悪くないよね・・・と思いながら観ていました。

テレビドラマでいうと、ほかに『ドラゴン桜』(2005、TBS)と『ROOKIES』(2008、TBS)になるのでしょうか。
前者はCSの再放送で観て面白いと感じましたが、後者に関しては観ていないのでなんともいえません。


映画俳優デビュー作は、2005年の『戦国自衛隊1549』。

『キャプテントキオ』(2007)、テレビドラマ版を受けて映画化された・・・ので、ぜんぜんノレなかった『ROOKIES ―卒業―』(2009)、『キラー・ヴァージンロード』(2009)、『時をかける少女』(2010)。

2011年、『犬のおまわりさん てのひらワンコ3D』で初主演を果たす。

『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(2011)、『逆転裁判』(2012)、『のぼうの城』(2012)。

テレビドラマに比べるとパッとしないキャリアですが、本年公開された『東京難民』(2014)は、中尾くんの演技はよかったし、作品も野心的な創りで感心しました。
いわゆる「勝ち組」と「負け組」の若者たちを描いたリアルな青春劇で、高橋優による主題歌『旅人』も胸に迫りました。
意外と知られていない作品なので、ぜひ観てください。

最新作は、『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE2 サイキックラブ』(2014)。

まだ26歳。
夢は広がりつづけることでしょう、いいなぁ若いって。

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にっぽん男優列伝(250)中居正広

2014-10-28 09:24:56 | コラム
72年8月18日生まれ、42歳。
神奈川出身。

公式プロフィール

こんな風に、まだ6人だったころのSMAPの写真を見ると、感慨深いものがありますなぁ。
・・・ってべつに、特別ファンというわけでもないけれど。

ただ(ジャニーズ関連で)自分と同世代というとSMAPになりますからね、スター性という意味では「たのきん」になるのですが、親近感という意味では、森くんも含めた彼ら6人になるのです。

1日だけ顔を借りることが出来るとするならば、稲垣吾郎ちゃん。
歌がいちばん上手いのは、キムタクちゃん。
友達になりたいのは、香取慎吾くん。
演技でいうと、ツヨポン。

じゃあ中居正広(なかい・まさひろ)くんは―?

となってしまうところがあって、それがまさに、このひとのキャラクター性かなぁと。

いちおうリーダーなのにね、だからこそ有吉ちゃんは彼のことを「偽SMAP」と呼んだのでしょう。
彼の「あだ名芸」のなかで、1位2位を競う出色の出来かと。


演技面でいうと、いちばん冒険しているひとだとは思うのです。
イメージにないキャラクターを演じることが多いですから。

ただ残念なことに、結果がついてきたことは「いちどたりとも?」ない、、、というか。

あくまでも、自分個人の評価ですが。




<経歴>

14歳の春、ジャニーズ事務所に入所する。
スケートボーイズというアイドル集団に選出され、そのなかの6人でSMAPを結成、88年にデビューを果たす。

これ以降のアイドルとしての活躍は、ここに記すまでもないかと。

演技者・歌い手よりも司会業に重きを置きたい―本人の発言ですが、たしかに5人のなかでは、そういうことを最も器用にソツなくこなせるひとなのでしょう。
ただ、ちょっと「大丈夫か?」と思ってしまったのが、歌番組『うたばん』(TBS)において、モーニング娘。への表彰状授与だったか・・・

「この度は―」

の、「このたびは」を、

「このどは―」

と読んでしまったことがあったのですね。

石橋貴明が真面目に突っ込んでいましたから、ギャグじゃないんだなっていう。

まぁ面白かったけど。

頭の回転は速い、でも知性は・・・・・という感じでしょうか。

いや、嫌いじゃないですよ、同世代ゆえに率直にいってみただけです。


映画俳優としては、93年の稲垣吾郎主演作『プライベート・レッスン』がデビュー作。
トップ画像の『シュート!』(94)のポスターではセンターですし、
さすがリーダー、悪い扱いではないですけれど、印象に残るような演技ではありませんでした。

2002年、宮部みゆきのベストセラー小説を鬼才モリタが映画化した『模倣犯』に主演。
モリタと中居くんの野心や気迫は感じられましたが、高いところを狙い過ぎて―と、いっておきましょう―失敗、観たひと全員が唖然呆然とするラストで映画館をシーーーンとさせてしまいます。

個人的には、和賀英良に扮したテレビ版『砂の器』(2004、TBS)のほうがマシだったと思います。

『私は貝になりたい』(2008)、
テレビ版の好評を受けた『劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL』(2013)が最新作ですけれど、これも、ちっとも面白いと感じなかったなぁ・・・。


なんかぜんぜん褒めていない俳優列伝になってしまいましたが、もういちどいうと、けっして嫌いなひとではありません。

はやくいいホンとキャラクターに出会えればいいですよね、映画の世界にかぎっていえば、まだまだ力を出し切れていないはずですから。

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あばよ!!

2014-10-27 00:30:00 | コラム
「さようなら」

じゃ、当たり前すぎるのか。

「あばよ!!」

では、かえって気取り過ぎじゃないのか。

「じゃあね!」

というのは、誰に対しても使えることばではないし。


よく使うのは、

「お元気で!!」

なんだけど、ほんとうは、

「あばよ!!」

といいたい。


出会いと別れといえば3~4月がふつうだが、なぜか今年は、自分の周囲にかぎっては10~11月に集中している。


「1対1の別れ」あるいは「集団における、それぞれの別れ」は緊張することはないが、「集団における、個の別れ」となると、とくに「個」の立場になった場合、なかなかに緊張する。

みんなから「元気でねー」とか声をかけられ、最後の最後に「みんなに向かって」あいさつしなければならないっていうね。

送られる立場より、送る立場になったほうが気楽―というのは、ほとんどのひとがそう考えるだろう。

送られる立場というものは、何度経験しても慣れない。

ギャグを狙えば大抵白けるし~笑、
器用に涙なんか流せないし~、
格好いいことばを吐いてみせるというのも、柄じゃあない。

結局、なんとなくあいさつをして、なんとなく解散。

ほんとうはビッグインパクトを残してみたいのだけれども。。。

というわけで今宵は、「映画のなかにおける別れ」の10選をセレクトしてみた。

皆さんは、どんな別れが理想的ですか―?


※広義の意味における別れとする


(1)『用心棒』(61)

あばよ!!

このことばが似合う日本人は、三船と柳沢慎吾くらいだろう。

画像は『椿三十郎』(62)撮影休憩中? の三船&仲代だが、なんか雰囲気抜群だよねぇ。

(2)『ミッドナイト・ラン』(88)

来世でな!!

そうか、こういう別れかたもあったか。

(3)『ローマの休日』(53)

こんなキッタネー自分だって、ちょっと憧れるほどロマンチックな別れ。

(4)『第三の男』(49)

ことばの要らぬ、長い長い別れ。

(5)『ザ・コミットメンツ』(91)

お前らのことなんか、知るかっ!!

苦い結末だが、これぞ青春の別れ。

(6)『ブラック・レイン』(89)

礼をするマイケル・ダグラスに、「親友は、こうする」と握手を求める健さん。

かっけー!!

※シャツの下には…




(7)『8Mile』(2002)

主人公は町に留まるわけだが、だから広義の意味の別れね。

町を出ることも出来たのに、そうしなかったからこそ味わい深い物語となった。

(8)『ザ・ロック』(96)

再び収監されることが確定していたため、メイソンを敢えて「死んだことにした」主人公のグッドスピード。

メイソンはいう、「ありがとうなんていうことば、もう使う機会なんてないと思っていた」

(9)『ジャッキー・ブラウン』(97)

おとなの別れを、映画小僧QTタランティーノが描くとはね!!

この映画から、QTは映画監督になった。

(10)『デーヴ』(93)

「君のためなら、死ねる」

シークレットサービスに、そういわしめた偽の大統領。

映画的に、最高の別れだと思う。

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