Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

柄じゃない

2019-03-31 00:10:00 | コラム
深夜―。

でかいマグカップにブラックコーヒーを並々と注ぎ、それを持ち、煙草に火をつけて外に出る。

団地の桜、満開。

夜桜、いいねぇ最高だねぇ、、、と思えるほどには、自分だってヒトとしてのこころを有して? いる。

思わずスマホでパシャリ! したくなるが、いかんいかんと思いとどまる。

柄じゃないだろうって。

思わず撮った夜桜を、思わずSNSにアップしちゃうんでしょう?

あぁ怖い怖い、キッタネー男がキレイな写真をアップして「いいね」押してもらったところで、世のためひとのためになんかなりゃしない。
さらにいえば、自分の小さき自尊心でさえ満足させられないっしょ、

オメーみたいな三白眼は、酒とか肉とか女体とかの写真をセンスの感じられないアングルから接写し、ほんのごく一部から喜ばれてればいいんだよ。

まちがっても、空の写真とか、カフェの写真とか、花火の写真とか、ネコの写真とか、花の写真とかを撮ってはいけない。


惚れた女子に花くらい送ったことはある。

牧野富太郎という同姓の植物学者だって居る。

じつをいえば、好きな花だってある。
百合とかアネモネとかね。

だから魔が差してしまうことだってあるかもしれない、というか、ある。

万引きじゃないんだ、盗撮でもない。

好きなものを好きなように撮ればいいって話かもしれないが、
いやいや、でもやっぱり、(女子以外の)きれいなものを撮ってはいけない種類の人間なんだよ自分は。

うん。と自分ひとり納得し、スマホをポケットに仕舞い、夜桜を眺め煙草の煙を吐き出した45歳のバカチンなのであった―。


※映画と花・・・といえば、自分と同様、イコール花というイメージがまったくないスコセッシによる『エイジ・オブ・イノセンス』(93)。

晩年のソウル・バスが手がけたこのオープニング・クレジットは、ため息が出るほど美しく、そして、悲恋のコスチューム劇なのに、なぜかドキドキワクワクしてしまうのであった。



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『やりゃなんとかなる。 + 3月コラムの目次』
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実感が(ぜんぜん)わかない

2019-03-30 00:10:00 | コラム
不平不満をいうよりも、すすんであかりをつけましょう・・・ってことで、これは愚痴ではない。

ではないし、嘆いているわけでもない。


と、前置きをしておいて。


『すかいらーく』などの主なファミレスが2020年までに完全禁煙化する方針―というニュースを取り上げた『ワイドナショー』(フジテレビ)で、松本人志が「でもすかいらーくって、LARKが入っているし」と発言、さすがだなぁと笑った。

そういえば松ちゃんもかつて喫煙者だった。
MCの東野幸治も。
ゲストの中居正広くんだけが未だ喫煙者で、このニュースに「どうした、急に!?」と怒っていた。


まぁでも、時代だからね、、、と思っている。

自分だけの話でいえば、そもそもあまりファミレス行かないし。

それに何遍もいっていることだけれど、基本は家でひとり文章を書いているときに吸う。

煙草の煙をまじないと信じているところがあるので。

ものを書いているときに煙さえ出ていれば、よいものが書けると。

ドラッグに頼るよりいいっしょ?

『ツイン・ピークス』の映画版(92)でキーファー・サザーランドが「煙草もドラッグだ」といっていて、たしかにそうだが違法ではないしね。



ただ違法ではないが、煙草の煙やにおいを嫌うひとが多いのは事実であるし、店や会社で禁煙化が進めば進むほど「ほとんど違法ドラッグだよね」と思う昨今ではあったり。。。


オメーは、ほんとうに外では吸わないのかって?


吸ってはいけないところでは、もちろん吸わない。

そして吸われて迷惑と感じるひとが居るのであれば、そこでも吸わない。

ただ。
いわゆる同胞に囲まれた状態であれば、ほいきた! と吸いまくる。


ここからが、メインテーマ。

メディアでは嫌煙の空気が出来上がっていることを大々的に報じているし、JTの調べにおいても実際に喫煙人口は減少傾向にある。

しかし、である。

じつは理由は分かっているのだが、自分は、そうした時代の流れを実感出来ないのだ。

頭では理解していても、身体的にはぜんぜん。

なぜって、喫煙者のまわりには喫煙者だけが寄ってくるから。

同じ嗜好の持ち主と仲良しこよしすることにより、「外側」が見えなくなっているということ。


テレビでは「どこそこも全面禁煙」「○○社では終業時間まで禁煙」「若者の煙草離れ」など報じているが、
20年前に仲良しこよししながら煙草を吸っていたひとと、現在の仲良しこよしのひととの割合って、個人的な尺度で捉えてしまうと「たいした差異はない」ように感じられてしまうのだった。

なんだよ、けっこう居るじゃんか! って。

というか、ほんとうに減っているの? って。


たぶんこの感覚は、自分が(なんらかの理由で)禁煙しないかぎり、ずっとつづくものなのだろうな。


結論。

禁煙化の流れに対し、異を唱えるつもりはぜんぜんない。

煙草の値上げも、この際おおいにけっこう。

だから「それでも吸う」という人間に対し、そこまで冷ややかな視線を送らんでほしい。
(あ、自分は蔑まれてこそ自分なので構わんよ。自分以外の喫煙者に対してね)

そして。
創作物に対する「喫煙シーンのカット」だけは、どうにも許し難い。

銃を撃ちまくるのがOKで煙草に火をつけるのがNGって、やっぱりどうかしていると思うのよ。


・・・あ、最後は愚痴というか文句になってしまった。

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いかにもおとこ

2019-03-29 00:10:00 | コラム
きのうの内容と、対になるようなコラムを。

自分の家に遊びにきた女子が最初にいうことばは、ほぼ同じ。

「いかにも男……って感じ」

まぁそうだわな、書斎の周りがトップ画像みたいだから。


しかし『タクシードライバー』やモハメド・アリのポスターだって貼ってあるのに、

「いかにも映画好き」
「いかにも格闘技好き」

とは評されない。

なぜなのだ!?

それだけインパクトがあるのだろう、45歳にもなってきゃぴきゃぴ女子のポスターやらカレンダーやらをべたべたと貼っていることが。


なかば呆れている、、、ということだろうが、
だって自分の部屋だよ、ここでおまんま喰うために文章作ってるんだよ、だったら気持ちよくありたいじゃない、その結果がこうなのだった。


オメーは、これで気持ちよくなってんのか。 だと?

あぁそうだよ、創作に行き詰まったらモニターとにらめっこするのをやめて、少し上を向く。

すると、生身のヒトとは思えぬ美女が自分に微笑んでいると。

最高じゃない、一瞬モテている錯覚まで抱けるし。


だからたぶん、50歳を過ぎても還暦を迎えても、自分の部屋はこんな感じなのだろうと思う。。。


※「映画と男」といえば、ベタすぎるけれど映画監督マイケル・マン。



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おんなのこみたい

2019-03-28 00:10:00 | コラム
トップ画像は、終生の愛読書『それから』(夏目漱石)の冒頭を書き写したもの。

自分のなかの丁寧度(=本気度)でいったら70%くらいかな、それでもまぁ巧く書けたほうだと思っている。


キッタネー顔をしているが、字に関してはそこそこ自信がある。

年賀状の宛名書きとか職場で書類を提出した際に、よく「キレイだよね、字が」と評されることが多いので。

そういうときの丁寧度は80%くらいかな、字だけで判断すると「おんなのこみたい」といわれることもしばしば。


あまり褒めないでおくれ!

すぐ図に乗るところがあるのだから!!


と、いうのも。。。

けっこう前の出来事だが、バイト先で「いちばん字が巧いから」と、あるひとに向けた手紙を(代表して)書くことになった。

女子も多いのに自分の字がいちばん巧いなんて、なかなかに気分がよいものだ。

ところが。
机の周りにメンバーが集まって、自分がものを書いているところをずっとずっと眺めるものだから、緊張しちゃってね、丁寧度120%で臨んだのに結果20%くらいの出来になってしまった。

一同も、「…」みたいな。


つまりプレッシャーに、すんごく弱い。


誰も見ていないところでこそ、本領発揮出来るタイプなものでね!!



※映画と、字。

といえば、すぐに想起するのは『家族ゲーム』(83)の「夕暮れ」かな。

ノートいっぱいに記された「夕暮れ」は、なかなかに上手で、あれは宮川一朗太本人の字だろうか、それとも助監督か誰かが書いたのかな・・・と思った。



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『いかにもおとこ』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(286)

2019-03-27 00:10:00 | コラム
いー「てぃー」→「てぃー」ちゃー(ティーチャー)

自分にとっての、先生。

映画では淀川長治、田山力哉、橋本忍。

実生活では・・・
小学生のころ自分を殴ってくれた高荷先生(しかし殴って「くれた」という表現がもう、現代の感覚だとNGなんだろうね。しかし昭和的思考だの古くさいだのいわれようと、感謝しているのだから仕方ないっしょ)、
高校生のころシナリオを添削してくれた小倉先生、
専門学校生のころ「旺盛な筆力だが特む性格ゆえ穴に落ち込む一抹の懸念がないでもない」と見事に自分の性みたいなものをいい当てた鍛冶先生・・・くらいかな。

「感謝している師など、ひとりも居ない」というひとも居るから、まぁ恵まれたほうなのかもしれない。


物語の先生といえば、漱石の『こころ』と、世代的にはやっぱり『3年B組金八先生』シリーズ(79~2011・TBS)になる。

『はいすくーる落書き』(89・TBS)の斉藤由貴も『伝説の教師』(2000・日本テレビ)の松本人志も、最近まで放送されていた『3年A組』(2019・日本テレビ)の菅田将暉も悪くないけれど、
それはともかく、映画好きのクセしてテレビドラマの教師のほうがどんどん挙げられたりする。

新任教師が問題児たちと向き合って、ともに成長する―という展開は、120分前後よりも60分×10回とかのほうが説得力を持たせることが出来るのかもしれない。

『スクールウォーズ』の映画版(2004)が、そのいい例だものね。

照英は熱演していたものの、ワルガキがあっという間に「よい子」になってしまうので笑ってしまったよ。


以下、映画のなかの印象的な先生を思いつくままに。。。


『いまを生きる』(89)…トップ画像

ロビン・ウィリアムズが演じたキーティング先生。

「ことばは、なぜ発達した?」
「意思の疎通」
「不正解! おんなを口説くためだ」

こんな先生に教えてもらえるのだったら、そこそこ高い授業料でも受けたいね。


『おっぱいバレー』(2009)

男はパンチラを偶然見たというだけで、その日をゴキゲンに過ごすことが出来る愚かなイキモノだからね。

そのあたりをとことん突きつめていけば、もっと愉快なコメディになっていたかも。

でもまぁ、綾瀬はるかの魅力で最後までは観ていられるか。


『告白』(2010)

能天気な綾瀬はるか先生の対極に位置するのが、わが子を殺された松たか子先生。

授業は受けたくないが、映画のキャラクターとしてはしびれるほど魅力的。


『スクール・オブ・ロック』(2003)

教員免許も持たぬ「夢見がちなバンドおじさん」が、優等生過ぎる子どもたちに音楽の素晴らしさを説く。

王道といえば王道だが、主演ジャック・ブラックの個性によって新鮮に映る。

そして、ギター担当の子がえらく可愛かった。




『二十四の瞳』(54)

何度も映画化・ドラマ化されているが、やはり木下恵介×高峰秀子版で。

大石先生の旦那って、天本英世だったのだねぇ!


『さよならミス・ワイコフ』(78)

中年の女教師が黒人の学生にレイプされる―以前はテレビ放映もされた「海外版ロマンポルノ」だが、いまの感覚でいうと危な過ぎる問題作となるのでしょう。



ただ、映画としてはとてもよく出来ていた。


『キッズ・リターン』(96)

「―外ばっかり見てるんじゃない。どうせいつもバカたちだ」

ちょっとしか出てこない森本レオ。

ちょっとしか出てこないのに、あぁふつうの担任ってこんな感じだよなぁと思わせる実存感がある。


『ベスト・キッド』(84)

ミヤギさん。

まぁ、こうした広義の意味における先生をOKにしてしまうと、ヨーダやらオビワンやら赤ひげやら切りがないほど挙げられる・・・ので、このくらいにしておきましょうか。





次回のしりとりは・・・
てぃー「ちゃー」→「ちゃー」みんぐ。

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