Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

2014-07-31 00:30:00 | コラム
苦手なもの。


とりあえず、食べ物から。

ほしぶどう。
つぶあん。
プルーン。
小豆。

なんか、似てるっしょ?

ちなみに、こしあん、いくらは大丈夫だ。


次に、ひと。

痰を吐くオヤジ。
いきがっているアンちゃん。


家事は?

洗濯・掃除は大がつくくらい好きだが、料理はペケ。
だいいち、油を使うのが怖いのだ。

情けない・・・。


映画は?

まぁ、いわゆるロマコメ。


場所。

パチンコ屋、かもしれない。


そのほかに?

植物、である。


何遍か書いたことあるが、花の名前を覚えられない。

モノカキは「知らなくていいもの、いいこと」なんか、ひとつもないのに!!
同じ姓を持つ、牧野富太郎という植物学者が居るのに!!

もう40を過ぎたジジイだ、そりゃ、女子に花のひとつやふたつは贈ったことがある。
でも花屋に行ってもワケガワカランので、いつも「お任せで。予算はこのくらい、とにかくでかくして」と注文する。


もちろんバラやチューリップくらいは知っている。
ただ、知っているものを挙げていったとして・・・う~ん、たぶん12種くらいでギブアップすると思う。

ひどいもんだね。


今宵は、そんな植物音痴にもインパクトをもたらした「花、で印象に残る映画」を10作品ほど選出してみた。

その花を知っているというだけで、ドラマに特別な意味をもたらす場合もある。
やっぱり、少しは勉強しなきゃねぇ。

サボテンを枯らしているようじゃ、ダメかしら・・・苦笑


(1)『3-4X10月』(90)…トップ画像

沖縄に咲く極楽鳥。

淀川先生が「この花を、よく映画に持ち込もうとしたね!」と、武を褒めていたっけ。

(2)『それから』(85)

百合。
小説でもキーワードになるので、とても印象に残っている。




(3)『タクシードライバー』(76)

殺伐とした物語にも、花束は登場する。

しかし・・・ベッツィへの花束は送り返され、枯れてきたから自宅で燃やすトラビスなのだった。

(4)『ターミネーター2』(91)

ケースのなかに、大事に仕舞われている薔薇。
しかしそれは、ショットガンを隠すためのフェイクに過ぎなかった。

(5)『ひまわり』(70)

タイトルと主題とテーマ曲が、完全に一致している!!




(6)『天国と地獄』(63)

「ホシは花屋に入りました」
「花屋? すぐ誰か行かせろ」
「生憎、花を買いに行くようなツラは居ません」

「ホシはカーネーションを買ったようです!」
「・・・きょうは、母の日かな?」
「ホシはこれからヤクの売人に会う。カーネーションはその目印だ。そう考えて間違いあるまい」

おいおい、戸倉警部を除いて、刑事みんなバカじゃねぇか!笑

(7)『マグノリア』(99)

タイトルだけでなく、登場人物にまで花の名前がつけられている。

(8)『街の灯』(31)

浮浪者と、花売り「盲目」娘の恋。

(9)『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(86)

植物が怪物化していく―亜流が生まれてもいいナイスアイデアなのに、ここを突く映画がいっこうに生まれてこないよね。

(10)『奇蹟』(89)

花売りおばさんが売る「幸運」ではなく、「不運」を呼ぶ花。

買った途端に車に衝突しそうになったりして、うん、面白かった。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(84)

2014-07-30 00:30:00 | コラム
ぐっどむーにんぐべとな「む」→「む」らきとなみ(村木と名美)

それぞれ別個の作品でありながら、同一のキャラクターが登場する映画。

これはシリーズ物によく見られ、その代表は、外国であればジェームズ・ボンドが活躍する『007』シリーズ(62~)、日本であれば寅さんが失恋を続ける『男はつらいよ』シリーズ(69~95)となるだろう。

同一のキャラクターとはいえない、でも名前が同じというケース。

これはチャップリンの映画だ。
彼が演じる浮浪者(あるいは貧乏人)の名前は、「大抵が」チャーリーという。
しかし工員チャーリーと床屋のチャーリーが同一人物でないことは、誰もが知っている。

また、成龍ジャッキーも自作の映画で「ドラゴン」と名乗ることが多く、これもまた同一人物でないことは一目瞭然。

つまり、あのくらい(どのくらい?)の俳優になると、受け手に対して「分かるっしょ、同じ名前だけど、ちがうって分かるっしょ?」という態度を取ることが出来るのである。


もう少し分かり難いことをやっている映画監督も居る。

演じる俳優はちがう。
でも、男の名前はいつだって「村木」、そして、女の名前もいつだって「名美」。

もっといえば。
作品Aに登場した「村木」と「名美」は、作品Bに登場した「村木」と「名美」と同一人物なのかというと、それはちがう。

まったくべつの、「村木」と「名美」の物語。

でも、ふたりのイキザマは「そっくり」であったりする。

石井隆は、そんな「村木」と「名美」の物語を描き続けた。


映画「屋」に憧れたひとである。
しかし70年代の撮影所は衛生面でCランク、石井青年は自分の虚弱を恨んで撮影所を去ったという。

「たまたま」だったのか、それが運命だったのか、石井隆は天才的な絵心を持っていた。
映画監督としての夢は絶たれたが、「劇画」漫画家としてデビューを飾ったのである。
エロスとタナトス渦巻く物語を描き続け、そのなかで生まれたのが「村木」と「名美」というキャラクターだった。

70年代後半―サブカルチャーとしての劇画ブームが起こり、映画界ではロマンポルノが隆盛期を迎える。
多くの野心的な映画監督たちが石井の劇画に目をつけ、映画化を狙った。
こうして石井はいちど断ち切ったはずの映画と再び手を結び、88年、自らも映画監督デビューすることになった。

80年代の撮影所は、衛生面でBランクくらいには改善されたということだろう。(A、じゃないんだよね!!)


石井隆がメガホンを持った映画で、「村木」と「名美」を演じた俳優たちの一覧。


『天使のはらわた 赤い眩暈』(88)…竹中直人、桂木麻也子
『月下の蘭』(91)…根津甚八、余貴美子
『死んでもいい』(92)…永瀬正敏、大竹しのぶ
『ヌードの夜』(93)…竹中直人、余貴美子
『夜がまた来る』(94)…根津甚八、夏川結衣
『天使のはらわた 赤い閃光』(94)…根津甚八、川上麻衣子




また、アクション映画『GONIN』(95)では、フィリピンパブ嬢として「ナミィ」(横山めぐみ)を登場させ、石井隆の「名美」に対する「並々ならぬ」偏愛を感じさせる。


「名美」は基本的に、堕ちて輝く女として登場する。
堕ちて堕ちて堕ちまくり、やがて輝く。
「村木」は、そんな「名美」を全力で守り抜くキャラクター。

石井隆は「雨」と「夜」、そして「血」の描写に定評があり、これらの小道具が効果的に働いて「名美」はより一層輝く。


「60~70年代症候群」を自称する自分は、そのクセしてこの時代を体感しておらず、映画監督としての石井隆しか知らなかった。
映画から劇画の存在を知り、震えたものである。


21世紀になり、石井隆は「村木」と「名美」の物語を描かなくなった。
しかし杉本彩や壇蜜を起用して「堕ちる女」を描き続けている。


そうなんだ。
ファンは知っている、あれはやっぱり「名美」の物語なんだ、、、と。


次回のしりとりは・・・
むらきとな「み」→「み」げるふぇらー。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(83)

2014-07-29 05:21:07 | コラム
ほっとどっ「ぐ」→「ぐ」っどもーにんぐべとなむ(グッドモーニング・ベトナム)

皮肉というべきか、ベトナム戦争を描いた映画には傑作が多い。

その代表的なものを5つ挙げると・・・

初めてベトナム戦争を批判的に捉えたことで知られる『ディア・ハンター』(78)、
戦争だけでなく米国をまるごと描いてみせた怪作『地獄の黙示録』(79)、
実際に「あの地」で戦ってきたオリバー・ストーンがメガホンを持つ『プラトーン』(86)、
キューブリックの人間洞察が光る『フルメタル・ジャケット』(87)、
マイケル・J・フォックスに違和感を覚えるが、デ・パルマの野心で押し切った『カジュアリティーズ』(89)、

・・・と、なるだろうか。

90年代以降に、これらを超える作品が創られていないのが気がかり、、、ではあるが。

グッと範囲を広げて、「なんらかの形でベトナム戦争を背景にした」異色の映画にも傑作は多い。

同様に、5つ挙げてみる。

海兵隊員としてベトナムで戦ってきた男が不眠症と妄想に悩まされる『タクシードライバー』(76)、
ただ歩いていただけなのに陰湿ないじめに遭う帰還兵の物語『ランボー』(82)、
戦場で精神を壊した男が自分を「鳥」だと思い込む『バーディ』(84)、
ベトナム帰りの男が命知らずの刑事となって活躍する『リーサル・ウェポン』(87)、

そして、『グッドモーニング、ベトナム』(87)。

良質のドラマを撮ることに定評があるバリー・レヴィンソンが演出、人気俳優のロビン・ウィリアムスが主演している。
個人的には、ロビンの現時点における最高の主演作だと思う。

ラジオDJの視点からベトナムを捉えた物語。
テンションが高く、独特な笑いを届けるエイドリアン(ロビン)は兵士たちのこころを癒すが、情報管理の徹底しか考えていない上層部から問題視され始め・・・。

舞台のほとんどがラジオ局で展開されるため、サウンドトラックも凝りに凝っている。
この時代のロックだけでなくオールディーズも流れ、ひとつの音楽史としてもよく出来ているが、ハイライトはなんといってもサッチモの名曲が流れるこのシーンだろう。





主人公のエイドリアンは、実在する人物。
実際にAFVN(ベトナム米軍放送)で『DawnBuster』という番組を放送していた過去があり、映画はこれをヒントに撮られたという。

エイドリアンは民間人であり、現地のベトナム人ともふつうに交流を持つ。
そんな人物だからこそ見えてくる真実があり、映画は兵士と軍上層部とベトナム人のあいだでこころが揺れるエイドリアンを捉え、この戦争の矛盾と非情を暴いていく。


文人はペンで、映画監督はキャメラで、そしてDJはマイクで国家と戦っていた。

結果としては「負け戦」だったのかもしれない。
しれないが、その精神に感銘を受け、あとに続こうとするものも現れたことだろう。

99人がYES! という世の中で、ひとりだけNO! を突きつけるのは勇気の要ること。
『十二人の怒れる男』(54)のヘンリー・フォンダじゃないけれど、そんな勇気を持っているだろうかと(こんなキチガイザーメン野郎だって)自問自答することがある。


最後に、キャメラで戦い続けた若松孝二のことばを。

「たかだか映画で何ができるかわかりませんが、僕はせめて映画で戦うしかない。そして今、どうしてもやりたいのは東電の話。誰もやろうとしないから本気になってケンカしてやろうと思っています」


あすのしりとりは・・・
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楽しく演じる

2014-07-28 00:30:00 | コラム
駄作映画に触れた際、きまって「あぁ馬鹿馬鹿しい!」と吠える友人が居る。

まぁ、気持ちは分かる。
分かるが、そういや自分、怒りに震えるほどの駄作に出会っても「馬鹿馬鹿しい!」と吠えたことはないし、思ったこともないよなぁ、、、と。

友人は「あぁ馬鹿馬鹿しい!」と吠えたあと、吐き捨てるようにこうつづける。

「ふざけて創ってんのかよ、遊びじゃねぇっつーの!!」

あぁなるほど、とてもじゃないが真面目に創ったようには思えない。そこから「あぁ馬鹿馬鹿しい!」という思いがこみ上げてくるわけだね。


たとえば『オースティン・パワーズ』シリーズ(97~)や、『最終絶叫計画』シリーズ(2000~)のように、真面目に創ったようには思えない「おバカ」映画がある。
けれども、じつはそう見えるだけで、撮影現場は「そーとー」本気で真面目だったりする。

これ、映画界の真理ね。

沢山のAV撮影現場を取材してきて、ほんとうにそう思った。
馬鹿馬鹿しい作品は、意外と真面目に撮られているものだと。

いや、ジャンルや作品の質に関係ない。
当たり前のことだが、すべての映画は「不真面目には」撮られていない。

ただ、ときとして「撮影現場が楽しそう」と想像出来る映画はある。
シリアスな映画であっても、けっこう和気藹々としていたのではないか、、、なんて。

あくまでも想像の話でしかないが、今宵は、そんな「俳優たちが、楽しそうに演じていたのではないか」と思われる映画を10本選出してみた。


繰り返す、あくまでも想像の話だからね!!
(こういう括りだと、どうしてもアンサンブル系の映画ばかりになっちゃうね)


(1)『プロジェクトA2』(87)

この予告編が、それを完全証明している。




(2)『グーニーズ』(85)

トシゴロの少年少女が集まって、楽しくないはずがない。

(3)『ムトゥ 踊るマハラジャ』(93)

こんなに楽しいインド映画、もし撮影現場がギスギスしていたら?

イヤでしょう。

(4)『アウトレイジ』(2010)

若手はともかく、ベテラン陣はみな楽しんで演じていたはず。

(5)『パルプ・フィクション』(94)

QTタランティーノの映画には、QTがオファーしなくとも名優たちが「出たい、出たい」と勝手に集まってくるといわれている。
そんな現場だもの、楽しいに決まっている。

(6)『用心棒』(61)

黒澤自身が「のびのびと撮った」と語っているしね。

(7)『グッドフェローズ』(90)

スコセッシ組はアドリブを多用することで有名。

ペシのアドリブにデ・ニーロが応える図を想像するだけで、なんかワクワクするし。

(8)『鉄男』(89)

「ちまちま」「ねちねち」創る小品の現場に必要なのは、忍耐力と「なんでも楽しもう」とする精神力だと思う。

(9)『プレタポルテ』(94)

初期のアルトマン作品には感じられなかった「余裕、のようなもの」が、晩年のこの作品には感じられるから。

(10)『イージーライダー』(69)

「楽しんで」というより「ラリって」といったほうが適切か。

あくまでも想像、そして噂の話ね。

ある意味では、この時代だからこそ許された撮影現場だったんじゃないだろうか。

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初体験 リッジモント・ハイ(86)

2014-07-27 06:46:08 | コラム
髭を生やした映画のキャラクターといえば、真っ先に浮かぶのは、やっぱりタイトルにもなっている『赤ひげ』(65)だろう。

その重厚な創りに感銘を受けたが、この作品を最後に、黒澤と三船がタッグを組むことはなかった。

赤ひげと対になるようなキャラクターとして、青ひげなんていうのも居る。
悪役というか恐怖の存在として戯曲で活躍、ファントム(=オペラ座の怪人)みたいなものなのかね。

『レオン』(94)の髭も悪くないが、映画のなかの髭は小道具的な役割を担うことも多く、放浪や逃亡の「時間経過」として「キャラクター性に関係なく」描写されたりする。
テロップで「数ヵ月後―」と入れるより、ショットが切り替わると「ボワッと」無精髭が生えている、、、というほうが、映像表現としてスマートだものねぇ。


ところで。
最近の高校生、とくに公立の校則が「ゆるゆる。」なのは理解していたつもりだが、髭も無問題と知って驚いた。

ちょっと、いいなぁ!

茶髪・ピアス・化粧がOKだったとしても、じゃあやってみようということにはならなかったと思うが、
「髭もOK!」であれば、剃らずに登校していた可能性が高い。

母校の西邑楽(にしおうら)高校は、自分が在学していたころは「そこそこの」レベルで、いちおうは進学校だった。
けれども現在は、偏差値でいうと「10以上」落ちたらしく、たぶん校則も「ゆるゆる。」化しているのではないか。

髭もOKなはず。
「いまの高校生」として生きれたらなぁ、25年前より「少しはマシ」に青春を送れたんじゃないか・・・なんつって。

いやいや、たぶん、たいして変わらないだろう。
ひとって過ち? を繰り返す、そういう生き物だからねぇ。

話が逸れた。
初めて自分が「髭を生やしたころ」の話。

高校1年の夏休み―。
肥満体だったイケてない自分は40kgの減量計画を立てていて、40日間「家族以外とは誰とも会わない」と決めていた。

2日くらい設けられていた招集日は、風邪を引いたといってズル休み。
どの部活動にも所属していなかったから、これで40日間は学校に行かなくて済む。

また、そもそもが友人が少なかったので、海に行ってどうこう、、、という誘いを受けることもなかった。

そうした背景を寂しい・つまらない、と感じないガキでよかったと思う。
昔から、ひとり上手だったのかもしれないねぇ。

ただ、減量はつらい。
なにか楽しみがないとね。

映画を観ること。
自慰をすること。

そして、髭を剃らないでおくこと。
その経過を毎日毎日、鏡で確認してみること。

たいしたことじゃないけれどね。

でも、ひとりだから、ほかに面白いことがないから、生えてくる髭を手鏡で確認しているだけで愉快な気持ちになれたりするものなんだよ。


ドラマの内容としては「う~ん」、でも映像的な格好よさは堪能出来る、スタローンの『ロッキー4』(85)。

ロッキーはロシアの雪山にこもり? 1ヶ月ほどのトレーニングを敢行する。
精悍さを増していくロッキーの頬にも、やっぱり髭が。

こういう映像を観て、自分も!! と思っていたんだよね。


40日後―つまり、8月31日。

減量は成功。
42kgの肉を削り、もうデブとはいわせない身体となっていた。

髭は、というと、3週目までは順調に伸びていたが、最後の週で止まってしまった。

うーん。
理想と、ちょっとちがう。

なぜ止まったんだろうか?

食事制限していたために、男性ホルモンまで減少した?

あり得る。

でも、精子は出過ぎるくらいにドクドクと出てきていたよ、毎日毎日。

すると、自慰のやり過ぎ?

・・・・・。

でも、まぁいいか。
こんなこと、シロートが考えても正解なんか導き出せないし、
それに痩せることが出来たし、「そこそこ」髭が似合うことも分かったし。


だから自分は鏡に向かって笑い、断髪式「の、ようなつもりで」髭を剃ったのであった。


おわり。


※ほんとうにスライが演出したのか? と突っ込みたくなるほど「ちゃんとしている」モンタージュ




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