Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

Let Me Entertain You

2012-08-31 00:15:00 | コラム
ヤングなでしこも素晴らしい―自分の推しは、仲田歩夢―が、格闘技の世界も相変わらず女子のほうが元気いい。

先日のシュートボクシング『Girls S-cup2012世界トーナメント』では21歳のRENA(トップ画像)が優勝、
翻って男子の世界では・・・
「新生K-1」(10.14、両国国技館…しかし主催は日本ではない。魔裟斗は関わっているけれど)の目玉となっていた「悪童」バダ・ハリの参戦に黄色信号、、、ではなく赤信号が灯された。

ファイターの愛称として「悪童」は有効だが、バダ・ハリの場合は(かつてのタイソンほどではないが)日常生活でも「悪童」。
7月にアムステルダムで発生した暴行事件の「関係者」となった彼は警察の取調べを受け、そのまま拘置される。

「一生」障害を持つ被害者を生んでしまったこの事件に対し、バダは自らの関与を自供、
弁護士によると、「最低、数年の刑務所生活になることは間違いない」。

・・・マジ、かよ。


現時点で総合格闘技MMAの最高峰となっている『UFC』も、勝ち組団体としては異例の展開を見せ始めている。


『UFC151』(09.01)の・・・

(1)メインイベント「ジョン・ジョーンズ VS ダン・ヘンダーソン」戦が、ダンヘンの負傷により中止

(2)代替えのメインイベント「ジョン・ジョーンズ VS チェール・ソネン」戦が決定

(3)代替えのメインイベント「ジョン・ジョーンズ VS チェール・ソネン」戦を、王者ジョン・ジョーンズが拒否

そして、
『UFC151』そのものの中止を発表、

(4)『UFC152』において、代替えメインイベント「ジョン・ジョーンズ VS リョート・マチダ」戦が決定

(5)『UFC152』のメインイベント「ジョン・ジョーンズ VS リョート・マチダ」戦を、挑戦者リョートが拒否したことにより中止

(6)『UFC152』の代替えメインイベントが、「ジョン・ジョーンズ VS ビトー・ベウフォート」戦になることが発表される


(1)~(6)の展開は、わずか24時間のあいだに起こっている。

ネットを中心に大混乱、、、みたいな。


それでも、開催されるだけマシなのだろう。
わが国なんて、日本主催のメジャーイベント開催が(12年度に関して)「ほぼゼロ」の状態なのだから。

この時期に「ここまで静か」であるということは、大晦日の興行は絶望的だと思われ。

無理に開催し借金を膨らませたら目もあてられない・・・という意見もあるだろうが、大晦日くらいは熱くなりたいというのが本音。

どうしよう、十数年ぶりに大晦日が「暇」になるかもしれない。

当てるのは難儀だが、紅白を生鑑賞しようかしら。「ももクロ」の出場は、ほぼ確定であろうし。(しかし、どの曲を歌えば一般のひとのこころに響くのか。『労働賛歌』とか?)


まぁ、まだ「開催なし」が決定したわけではない。
『やれんのか!!』の開催だって、冬になってから決まったのだから。


さて。
お祭り感とヒリヒリ感が同居する興行を期待するのは、現時点では酷、、、なのかもしれないが、
お祭り感とは、別の競技者同士が対決する異種格闘技を指す。

たとえば、ボクサーとキックボクサーとか。

この点について、マニアからひとこと。

魔裟斗戦だけを観て「ボクサーは、キックボクサーには勝てない。なぜなら、キック対策が出来ないから」と決めつけるひとが多過ぎる。

そうじゃないと思う。

MMA、K-1、ボクシングの順に好きな自分でも、現役のボクサー王者と魔裟斗が戦ったら、余裕でボクサーが勝つのでは、、、と予想する。

魔裟斗と戦ったのは「あくまでも元王者」なのだから。
ベルト獲ったばかりのチャンプが戦えば、キックを喰らう前に、魔裟斗をダウンさせるだけのスピードと凄みを持っているはずで。

あのころ(ほんのちょっと前の話なんだけどね)はボクシングよりもK-1人気のほうが高かったため、いろいろと不利な条件を、元チャンプ側が呑むほかない、、、という背景があった。

・・・・・ということを論じるスポーツライターって皆無なんだけれど、そう思いません?


※きょうのタイトルは、この煽り映像で使用されている曲名のこと




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もうちょっと真剣に取り組んでいれば、けっこうモテたかも。

2012-08-30 00:15:00 | コラム
「まっき~にやってもらったら、ものすごく気持ちいいような気がする」

その瞬間、思った。
あぁ「もうちょっと真剣に取り組んでいれば、けっこうモテたかも」って。


たいして強くもないのに「柔道をベースにした格闘技をやっている」と自己紹介を繰り返すものだから、
日常会話のように肩(あるいは膝、腰など)が痛いんだけど、どうすれば? などという質問を「よく」受ける。

風呂は熱めがいいのか、逆に冷やしたほうがいいのか。
湿布は温感のほうがいいのか。
接骨院なのかマッサージなのか整形外科なのか。

とか、なんとか。

競技そのものについてや、鍛えかたなどについてはいくらでも解説出来るのだが、これらの質問に淀みなく答えられるほどの知識を持ち合わせていない。だから「自分はこうするけど、実際は分からない」というような答えかたしか出来ないのだった。

先日は、脚のだるさを訴える年上のバツイチ女子に冒頭のようなことばを発せられ、一瞬、うろたえた。
うろたえたというか、ガッデム! と後悔の念を抱いた。

そうか、サミュエル・L・ジャクソンのように(文末の動画参照)「俺はマッサージの達人だ」といえるような技術を習得していれば、女子をなんとか出来る機会が増えたのかもしれないなぁ、、、と。(「なんとか」といっても、強引にどうこうという話ではないよ。あくまでも、「その流れに至る」きっかけ、ということだ)

もちろん「マッサージして」と頼まれたら、断ることをしない。
実際にそういうシチュエーションも何度かあったが、それはエッチ以上に自信がない。
いってしまえば、エッチだって自信があるわけじゃないけど。

だって早いし。
その代わり、(ほとんど死語っぽいが)ペッティングは頑張るけど。

なんの話だ?

ともかく。
マッサージ後、「どう?」と聞くと、きまって「うん、だいぶよくなった」とは答えてくれる。
それが正直な感想であったとしても、そのまま信じることはなかなか出来ない。

頼んだほうと頼まれたほうの関係性があるから、そこに金銭が介在しないかぎり「ヘタッピね」ということは出来ないであろうし。

マッサージは難しい。
ある意味で、エッチより難しい。
力をこめればいいってものではないし、ソフト過ぎても物足りない。

さじ加減、さじ加減、なのだよなぁと。

自分の腰痛は、自称・神に治してもらった。
完治ではないのだろうが、診療直後、ふつうに歩けるようになったのだから、神を自称するのも納得だと思った。

このひとは自分に「気をつけ!」の姿勢を命じ、それを見ただけでどの部分がおかしくなっているのかを見極めた。
自分が「ここが痛い」とかいうのを「黙って! 喋る必要はないから!」と遮るそのさまは、神というのは大袈裟かもしれないが、ちょっとだけジェダイの騎士に見えた。

話が面白いひとなので、「儲かりますか」と聞いてみた。

「そりゃあね、俺くらいの技術があれば」
「モテますか」
「そりゃあね、俺くらいの技術があれば」
「ウハウハですね」
「そりゃあね、俺くらいの技術があれば」

・・・くそぉ。

ジェダイの騎士「もどき」はいう、
いまからでも遅くないよ、、、と。

ちょっと、身体のあれこれについて真面目に勉強してみようか。


トップ画像?

パフュームだが、本文とは、あまり関係がない。
ただまぁ、こういう脚であれば、24時間でもマッサージ出来るだろうねと。

このジャケットのポイントは、短いソックスにある。


※サミュエルは、「神聖なアソコをナメナメするのとは、わけがちがう。マッサージは、マッサージだ」と力説している。




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初体験 リッジモント・ハイ(15)

2012-08-29 00:15:00 | コラム
坊主以外で印象に残る映画のキャラクターといえば・・・

もちろん『タクシードライバー』(76)の「モヒカン」トラビス、
『フィフス・エレメント』(97)の「赤髪」リールー(トップ画像)、
『メジャーリーグ』(89)の「カボチャヘア」リッキー、
『ノーカントリー』(2007)の「おかっぱ」シガー、
『マルコヴィッチの穴』(99)の「もっさり? ヘア」ロッテ、
『エターナル・サンシャイン』(2004)の「赤髪」クレメンタイン、

渋いところ? でいえば、『ヤング・アインシュタイン』(89)の主人公とかキテレツで悪くないかと。


髪の毛そのものが物語を引っ張っている―といえば、
ディズニーの『塔の上のラプンツェル』(2010)があるが、個人的には『二十日鼠と人間』(92)が印象に残る。
シェリリン・フェンの美しい黒髪を、知的障害を持つジョン・マルコヴィッチが優しく撫でていたのだが・・・という物語だった。


坊主に話を戻すと、山田邦子がやった時代よりも違和感がなくなった―のは、『G.I.ジェーン』(97)のデミ・ムーアの功績、、、ではなく、たぶんICONIQの影響が大なのだろう。

知り合いの女子にもひとりだけ居るが、それはそれはキュートである。
彼女はもう8年くらい坊主を続けているので、もう髪の生えた状態を想像出来ないほど、なのだった。

それでも男子に比べ、リスク? が大きく、勇気を要する髪型であることだけは変わらない、、、のだろうね。
日本において男子がスカート穿いて街を歩けば振り返られるのと同様、坊主の女子は「二度見」されるだろうから。


まぁでも、似合っていれば無問題、みたいな時代にはなってきているとは思う。


高校生の自分が「唐突に」坊主となって教室に入ったとき、クラスメイトたちはざわついた。

皆の頭に浮かんだことばは、聞かなくても分かった。
ずばり、不祥事である。

そう、現代でさえ「坊主イコール罰」という認識は残っているわけで、
きのうまでオールバックだった男が坊主頭と化しているのだから、本人は相変わらずヘラヘラ顔のままだが、誰もが「アイツは悪さをしでかした。万引きか?」みたいな感じで自分を「遠目に」観察するのだった。

停学にもならず、単に坊主だけで済ませるって、考えてみたら中途半端な処分なのだけれども。

なんのことはない、
女子に振られたから、気分一新のため坊主にしたのだった。

漫画に出てくる女子、みたいだが。

自転車ですれ違う「名前も知らない、他校のヤンキー」に恋文―またもや、恋文だ―を渡すため彼女を呼び止めたとき、
彼女は、驚きとも冷笑とも捉えられる微笑を見せた。

「わたしに?」というより、「あなたが?」という感じ。

せめてボンタン穿いてよ、みたいな。

それは偏見か。
いやけっこう、当たっているような気がする。

付き合えるかどうかよりもまず、惚れたということを伝えたい―現在でもそんな感じで恋をすることが多いのだが、
数ヶ月前までいじめられっこだった自分が、肥満児だった自分が、童貞捨てたばかりの自分が、ヤンキー系の女子に告白をしたという勇気だけは認めてもらいたい。


そして。
NGであることは「なんとなく」分かっていたので、伝えただけでスッキリした自分。

こころだけでなく身もスッキリしたほうがいいだろうと、坊主頭にしたのである。


・・・・・まぁ、イタい青春だわな。






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初体験 リッジモント・ハイ(14)

2012-08-28 00:15:00 | コラム
中学生までは、スポーツ刈り

高校時代は、ジェルでカッチカチに固めたオールバック

唐突に、坊主

上京と同時に髪を染め、ツーブロックに

血迷って? モヒカンスタイルを

長いこと、GIヘア

現在は、アゴヒゲとワンセットで格闘家ヘアに

・・・というのが、自分の髪型の歴史。

『トゥルー・ロマンス』(93)のゲイリー・オールドマン(トップ画像)みたいに、ドレッドヘアを試したいという気持ちも「どこかには」ある。
あるが、長髪が似合わないことを自覚している。
そんなわけだから、死ぬまで短髪を続けていくことだろう。

頭がいいのではなく頭の形がいいのは自他ともに認めるところなので、最も似合うのが坊主、あるいは坊主にちかい髪型であることを、20代後半で知る。
それからはずっと「超」のつく短髪であり、じつは長髪よりも手入れを要するなど面倒なところはあるが、
長髪のころよりも「なぜか」若く見られることのほうが多いし、よく女子に「触っていると気持ちいい」と撫でられることもあって、あぁ悪くないなと。

ツーブロックの時代…気持ち悪っ

格闘家? 時代の宣材? 写真


ちなみに女子の髪型で好きなのは、なんだかんだいって黒髪のストレートか。
だから、かしゆかが好きなんだ


さて。
今回のテーマは、初めての坊主。

まだ自分が学生だったころは、坊主はダサさの象徴であり、もっといえば童貞の記号、、、みたいなところがあった。
アンダーヘアの成長に呼応するかのように髪を伸ばそうぜ、みたいな。

逆転現象が起こったのは「たぶん」90年代以降であり、坊主を語るうえで外せないキーパーソンがふたり居る。
松本人志と、『スピード』(94)のキアヌ・リーヴスである。

口に出すものは少なかったが、男子たちの多くがふたりを真似て坊主になった。

そして、似合わぬもののあいだでは一過性に終わるが、「ありゃ、俺、なかなかイケてるじゃん」と思った男子たちはその後も坊主、あるいは坊主に近い髪型を続け、現在に至る。
そのひとりが、自分であったと。

週に1度、風呂場に新聞紙を敷き、全裸になってバリカンで3mmにする。
時間にして5分程度であるし、散髪代もかからない。なんとまぁ、経済的であることだろう。シャンプーだって長持ちするのだから。

理想は、髪よりもヒゲのほうが「若干」長い状態。
この状態を保つため、頭も顎も、しょっちゅう手入れをすることになる。
意外と? お洒落さん、、、なのだった。


初めての坊主は、高校2年生のころ。
冒頭の年表でいうと、みっつめの「唐突に、坊主」にあたる。

苦いといえば苦い、イタいといえばイタい(決して、痛いではない)、青い春な出来事をきっかけとする。

誰がどこからどう見たってヤンキーであろう女子に、恋をした。

(元のCoCoの)羽田惠理香を、ケバケバしくした感じの子だった。

つづく。





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スコセッシさん、なにか力になれることってありますか。

2012-08-27 00:15:00 | コラム
「商売ってことは百も承知だ、わたしの商売、わたしが好きで好きでしょうがない仕事だ!」
といったのは、『天国と地獄』(63)の権藤さんだった。

権藤さんの仕事に対するプライド、しかしそれでも、運転手の息子を助けるため全財産を投げ打つことの出来る大きさまで持ちあわせ、それが戸倉警部に「ものすごいひとだな、あのひとは」といわせた。


自分がやりたいと思うことに、商売であるという大前提が立ちふさがる―というのは、映画の世界ではよくあること。
映画制作の一大テーマ、と捉えることだって出来るだろう。


自分の神、スコセッシが訴えられた。

90年、遠藤周作の代表作『沈黙』の映画化権を取得し、制作会社「チェッキ・ゴーリ・グループ」と契約。
97年よりプロジェクト開始の予定であったが、スタジオとの軋轢や製作資金の問題、キャスティングの難航などにより、なかなか前に進むことが出来ないでいた。
そのあいだにスコセッシは『ディパーテッド』(2006)と『シャッターアイランド』(2009)、そして『ヒューゴ』(2011)を制作、
オスカーも取って、3D映画も成功させた―いよいよ『沈黙』がスタートするのか、、、と信者も期待したが、どういうわけかスコセッシは「またもや」べつの作品の制作をスタートさせてしまう。

現時点で75万ドルを投資したにも関わらず、なんの見返りも得られていない「チェッキ・ゴーリ・グループ」はオカンムリ、そこで、法的手段に乗り出した、、、というのが、おおよその経緯。


なにがどうなっているのかは、よく分からない。

ただ、信者特有の「甘い視点」で捉えたとしても、訴えた「チェッキ・ゴーリ・グループ」に、非はまったくないことは確かと思われ。


シナトラの伝記なども含め、スコセッシの周辺には沢山の新作情報が溢れている。
どれも観たいが、信者のほとんどは『沈黙』を最優先にしてほしい―と願っているはず。

だからこのトラブルは、かえって朗報、、、と捉えることだって出来る。
こういう流れだと、なにはなくとも『沈黙』を―という展開になるだろうから。

しかしながら。
いかにも70年代症候群的な? 思考だと自覚しながら書くが、
かつて鬼才や巨匠というものは、「いい意味での暴君」であったはず。キレッキレのころのコッポラがいい例じゃないか、
好き勝手なことやって、躁鬱を繰り返し、大金を注ぎ込む。

そうやって、怪物のような映画を生み出した。
コッポラだけでなく、マイケル・チミノやフリードキン、もちろんキューブリックだってそうだった。

しかし監督至上主義は80年代以降に通用しなくなり、いつの間にかスタジオのほうが偉くなっていた。

つまり、なにがいいたいかというと。
ケツを叩かれて動いた結果、いいものが出来上がる場合だって「もちろん」あるが、
理想をいえば、作家の「よき」リズムにあわせたほうが「より」いいものが出来上がるのではないか、、、なんて。

そこで冒頭で引用した権藤さんのことばに戻る、
「商売ってことは百も承知だ、わたしの商売、わたしが好きで好きでしょうがない仕事だ!」。

・・・ん?

テーマ、繋がってない?

どうも歯切れが悪いのは、愛ゆえと解釈してほしい。

苦労の多いキャリアのひとである。
キリストを新解釈で描いた『最後の誘惑』(88)なんて、無名のころから映画化を熱望していたわけで。
創ったら創ったで、観ていないひとたちによる「偏見と思い込み」だけのバッシングが始まったし。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001)もそうで、ただし本作に関しては、煮詰め過ぎた感もあったわけだが・・・。


スコセッシに「そんなエンディングではダメだ」などと文句をいえるのは、同業のマイケル・パウエルとロジャー・コーマン、そしてジョン・カサヴェテスくらいで、自分のような小僧がアーダコーダはいえない。

いえないが、力にはなりたい。
本コラムのタイトルは、その思いから冠したものである。


あなたが自分のリズムで、最大限の能力を発揮出来ますように・・・と願う映画小僧が、日本に居るんですよ、スコセッシさん。

でもねワガママをいえば、ほんとうは、1日でも早く『沈黙』を観たいのです。


※超絶技巧の数々




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