Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

元旦と身体

2015-11-30 05:41:30 | コラム
年賀状の宛名書きが終わった。

あとは、裏面のみ。

ここ数年、裏面はオリジナルの写真を撮って加工し、そこにヒトコト添えるという作りにしていた。

素材は主に自分の身体、

たとえば10年前は「脚」で、



5年前のが、「手」である。




「手」のほうは、いちおう『シンドラーのリスト』(93…トップ画像)のポスターを意識している。

その狙いが成功しているかどうかは、またべつの話だ。

元旦からキッタネー男のキッタネー身体の部位が写っている写真を見せられる―というのは、なかなかのインパクトのようで「毎年、楽しみにしている」といってくれるひとも居て、まぁいいかな自己満足でもないかな、、、と。

では今年(来年?)のはどうなのかというと、ちょっとサボった。

ほんとうは「自分の瞳」のドアップを加工し、『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)を意識しようと思ったのだが、ほらメモリアルイヤーだからね『スターウォーズ』の。

というわけで日本郵政がうまいこと商売している「ウェブキャラ年賀状」の、『スターウォーズ』バージョンを購入。

ふつうの年賀状に比べて「高め」だがしょうがない、いろいろ凝っていて可愛いし。

これね。
https://webchara.jp/lineup/starwars/index.html


そもそも、年賀状を出すひとなんだ? と問われることも多い。

とくに若い子に驚かれることが多く、あぁ時代だなぁ、、、と思うが、自分マメですから。

かなりの確率で、年賀状のお年玉「切手シート、以外!」が当たるクジ運のよさ? もあり、毎年楽しみにしている風習? なのであった。


※こちら、去年の年賀状CM




…………………………………………

明日のコラムは・・・

『ハジケたいんだ大晦日 + 11月コラムの目次』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殺しのライセンス

2015-11-29 05:48:16 | コラム
「007」シリーズの最新作、『スペクター』を一足先に観てきた。




作品全体のバランスという意味では、けっして悪くない。
ないのだが、ちょいと長い気がするので、もう少しダイエットしてほしかったかな、、、というのが率直な感想。

(ここで自分がなにをいってもヒットするだろうから)もっとボロクソいってもいいのだが、贔屓のモニカ・ベルッチも拝めたし、某三谷作品とはちがって文句があまり出てこない。

ダニエル・クレイグは、やっと違和感なく「ボンド」になってきた感じ。
しかし本人はもうコリゴリなようで、本作で「ボンド引退」を公言している。

これも演出のひとつかも? とは思わせるけれど。

俳優をやっているものであれば、ボンド役をオファーされて断るものは少ないのではないか。
プレッシャーは相当なものだけれど、当たれば歴史に名を刻むのだからねぇ。

殺しのライセンスを取得することだって大変だろうが、
ボンドを演じることは、もっともっと難儀なことだもの。


殺しのライセンス―響きはスーパークールだが、自分に務まるだろうか。

無理だね。
そんなこと、1秒も要さずに分かる。

理由、その1。

簡単に色仕掛けに乗る。
というより、甘んじて騙されることだろう。

場合によってはひとを騙さなければならない立場なのに、パンツ少し見せてくれただけで秘密を漏らしてしまう「自信がある」。

理由、その2。

拷問に耐えられない。

痛みなら、ある程度は平気かもしれない。
『羊たちの沈黙』(90)に、「苦痛を愛せ」ということばが出てくるが、それを座右の銘にしようと思っていた時期があるので。

それに、怪我自慢する傾向にあるからね。
骨や靭帯を痛めた経験は、一般成人男子の3倍超だという自負があるし。

しかし苦手なものを前に出されると、途端にこころが折れてしまうところがある。

苦手なものとは、「閉所」と「つぶあん」と「ほしぶどう」と「小豆」。

閉所は理解が得られるかもしれないが、そのほかは無理だろう。

せっかく「鞭打ち」の拷問に耐えたとしても、大量の「つぶあん」を喰えと迫られただけで、簡単に根を上げてしまうと思うのだ。


結論。

自分から秘密を引き出したい場合は、パンチやキックではなく、パンツか「つぶあん」を。


こんなヤツが、スパイになれるわけもないのである。


※渋いねぇ・・・といわれるのだが、いちばん好きな主題歌は、シャーリー・バッシーの『ゴールドフィンガー』なのだ




…………………………………………

明日のコラムは・・・

『元旦と身体』
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死ねない理由

2015-11-28 06:07:18 | コラム
きょうは、本年度の総括「特別篇」、、、というより「番外篇」。

私的なアレヤコレヤについてランキングしてみようかと。

まぁ自分のような、身体の90%がザーメンで出来ている、脚キチガイ映画小僧のことなんて誰も興味はないと思うが、ブログなんてそもそも個人的なことを綴るツールのはずだしね、好き勝手にやってみようと思う。

では、いってみよう。


(1)41歳になる

死ななきゃ当然のこと。
たぶん、人生の半分は過ぎている。

(2)ビールっ腹が加速する

休肝日なんてないからね。

(3)気軽に? ナンパ出来るようになる

なんでだろう、格好つける必要がなくなったからか。

そのおかげかどうかは分からないが・・・

(4)ちょっとしたモテキが到来する

(こっちがどうとも思っていない)女子に「素敵♪」と褒められたとしても、やっぱりうれしいものだね。

(5)10年待った映画、『沈黙』が完成する…トップ画像

いま死んではいけない理由が出来た。

(6)団地族になって10年が経過

こんなに長く住むとは思っていなかったなぁ。

(7)『ツイン・ピークス』第3シーズンの制作が決定する

もうひとつ、死ねない理由が出来た。


※『セサミストリート』によるパロディ




(8)ギャラが上がった

継続することって、ほんとうに大事だ。

(9)いっぱい賭け事をした

しかし野球賭博の問題もあったし、ここでおおっぴらに明かすことはよしておきましょう。

(10)自慢のヒゲに、白髪発見

1本だけ、というのが情けない。

ぜんぶ白かったら、格好いいんだけれどもね!!

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『殺しのライセンス』
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

♪ 大嫌い、大嫌い、大嫌い…大好き!!

2015-11-27 13:40:48 | コラム
~追悼、原節子~

小津安二郎と山田洋次が嫌いだった。
(過去形であることに注意しよう)

いや少しばかり訂正、演出家として上手であったことは認めざるを得ないわけで、嫌いではなく「苦手だった」というべきか。

山田洋次の映画は、押しつけ気味な善意に嫌気が差した。
清貧こそ正義、みたいな世界観が気に入らなかった。

しかし、『家族』(70)を観て考えが変わる。
というより自分は、『学校』のシリーズ(93~)だけが嫌いなのだと気づいた。
そのほかの山田洋次作品は、割と好きなのである。

逆に、小津の映画はほとんど肌に合わなかった。
戦前の『生まれてはみたけれど』(32)は、すごく好き。
しかし原節子と組むようになってから、結婚がどうだとか家族がどうだとかいう物語ばかり紡ぐようになり、名作といわれる『晩春』(49)と『麦秋』(51)が「ごっちゃ」になっておおいに困ったものである。

映画少年を名乗っていたが、80年代に青春を送ったものだからね。
それだけを理由にするのも乱暴だが、肉体派アクションスターに憧れ、出演者全員が怒鳴るように台詞を吐く黒澤作品こそ映画であり、「静」の小津は退屈と感じたのである。

そういうガキは多かったろう。
そして、そういうガキが酸いも甘いも経験し、30歳を過ぎたあたりで(半数くらいのひとが)小津のすごさに気づき、慄き、過去の自分を恥じ、小津の遺影に深々と頭を下げる。
そんなクソッタレが、自分だったりする。

黒澤信者の自分でも、原節子との初対面はやっぱり小津映画『東京物語』(53)だった。

東山千栄子のアクセント「ありがと♪」が、可愛かった。
喪服を持っていくかどうかを気にする杉村春子が、イヤミなくらいに巧かった。

若い女優の好みでいうと、平山周吉(笠智衆)の次女を演じた香川京子を推す。

そうなんだ、次男の妻を演じた原節子を美人だと思えなかったのである。
演技も香川京子のほうが自然だと感じた。

小津は俳優の思いつき―アドリブ―を許さなかった。
台詞はもちろん手の動きにいたるまで徹底的に管理した、、、とされている。

小津の思い描く映像世界のなかで見せる原節子の笑顔は、「強張った作り笑顔」のように映った。
だから小津とワンセットにして、「こんなもの、嫌いだ」と強く拒否するようになっていく。

その1年後、黒澤映画の原節子に出会った。

ゾルゲ事件を下敷きにした『わが青春に悔なし』(46)の原節子は、じつに活き活きとしていた。
初めてこのひとを、女優だ!! と思えた。

ドストエフスキーの傑作を日本に置き換えた問題作『白痴』(51)の原節子は、じつに恐ろしかった。

黒澤映画だけでない、『安城家の舞踏会』(47)や『青い山脈』(49)の原節子も素晴らしかった。



小津映画の原節子が嫌いなだけなんだな―と、あるときに気づいた。
しかし、その気づきも小津のすごさを少しずつ理解していくうちに、どうでもよくなっていった。

結局、こういうことである。

昔は大嫌い、でも、いまは大好き―であると。


志して映画界に入ったひとではない。
家計を助けるために、女学校を中退してこの世界に飛び込んだ。

デビュー当時からこのひとの評価は二分されていて、大根と評されることも多かった。
それを救ったのが小津と笠智衆であったのだが、このふたりに囲われ過ぎたがために自分のような「理解力の浅い映画小僧」の標的にもなった、、、とはいえまいか。

そして62年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』を最後に、原節子は神隠しにでも遭ったかのように姿を消す。

小津の葬式には姿を現したが、それから現在にいたるまで「あのひとは、いま」の取材班でも追えぬほどに秘密主義を貫き通し、生きているかどうなのかさえ分からなかった。

「小津の死に殉じた」
「元々、映画界が好きではなかった」

引退の理由がはっきりしなかったために、メディアはいろいろと書きたてた。

みなが意見をいえる現代であったとしたら、どうなっていただろうか。
情報とデマが錯綜し、現住所まで暴かれてしまう可能性だってあったろう。

あの時代の、この女優であったからこそ、静かな余生を過ごすことが出来たのかもしれない。


それがいいとか悪いとか、ではなく。
10年ぶりに再結成するバンドが居たり、引退をすぐに撤回して再び輝こうとする元スターも多い。

「永遠の処女」という呼ばれかたは現代でいう「~過ぎる」みたいな安さがあって好きになれないが、
覚悟を持って映画界に参入し、覚悟を持って映画界を去った原節子って、映画女優としても、ひととしても、スーパークールで痺れる存在だったと思うんだ。


原節子、9月5日死去。
享年95歳、合掌。




…………………………………………

明日のコラムは・・・

『死ねない理由』
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

にっぽん男優列伝(306)真木蔵人

2015-11-26 05:47:08 | コラム
72年10月3日生まれ、43歳。
東京出身。

公式プロフィール


ねぇちょっと、ちょっと。
このトップ画像、自分に似ていません?

・・・って、失礼しました。
単に坊主頭が一緒というだけなのでしょうね。

でも、この写真のころの真木蔵人(まき・くろうど)さんと似ているね―って、よくいわれた時期があったんですよ。

悪い気は、ぜんぜんしないですね。
ふつうに男前だし。
「やや」やんちゃに過ぎるところはありますけど、まぁそれも含めて魅力的なひとだから。

やんちゃというのは、主に女関係と、それに端を発する暴力沙汰といえましょうか。
以前、会見で「俺のワイフが―」「ワイフは―」と連呼していて、ちょっとどうかな、、、と思ったりもしましたが、そういう風にいってもギャグにならないひとだし、自然なのですよねぇ。


※俳優としては、やっぱり北野武がいちばんこのひとの魅力を分かっている




<経歴>

父はマイク眞木、母は前田美波里。
関係ないですけど、前田美波里の略しかたとして適切なのは「マエバリ」だ―といったのは、松尾スズキです笑

自分の世代にとっては「マイク眞木の息子」が蔵人ちゃん、、、ではなくて、「蔵人ちゃんの父親」がマイク眞木、という認識なんですよね。

俳優のほかに、プロサーファーとしても有名。
また文才もあり、このひとの紡ぐコラムはカルト人気を博しています。

俳優デビューは、88年の大河ドラマ『武田信玄』(NHK)における武田勝頼役から。
同年、『ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー』で映画界にも進出。

『あ・うん』(89)を経た91年、北野武による監督3作目『あの夏、いちばん静かな海。』の主役に抜擢される。

耳の聞こえないサーファーを好演、俳優としての将来性を感じさせてくれましたが、数々のスキャンダルによって芸能界とはしばらく距離を置くこととなりました。
ここいらへんのことについてはアレヤコレヤいうひとも多いとは思いますが、犯罪を犯さなければいいんじゃないかと。
海の向こうには、ジャスティン・ビーバーっていう暴れん坊も居ますしね笑

90年代後半より映画界に復帰、
『傷だらけの天使』(97)、『愚か者 傷だらけの天使』(98)、『蘇える金狼』(98)
原案も担当した『Dolphin Through ドルフィン・スルー』(98)、
再び武に起用された『BROTHER』(2000)、
『ぼくんち』(2002)、『この世の外へ クラブ進駐軍』(2003)、『亡国のイージス』(2005)、
『バックダンサーズ!』(2006)、『龍が如く 劇場版』(2007)、『探偵物語』(2007)、『ごくつま刑事』(2010)、『ハードロマンチッカー』(2011)、『キリン POINT OF NO-RETURN!』(2012)・・・という具合に、まぁジャンル的に偏りは見られますが、キャリアが途切れないのがうれしいです。

2010年、蔵人ちゃんが21歳のころに認知した子ども、NOAH(当時16歳)が芸能界デビュー。

いつか三世代共演なんてこともあるのでしょうか?


次回のにっぽん男優列伝は、益岡徹さんから。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『♪ 大嫌い、大嫌い、大嫌い…大好き!!』
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする