Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(251)

2018-01-15 00:10:00 | コラム
自宅に友人知人を招くことが、「割と」好きなほうだ。

断捨離とは無縁の生きかたゆえ、みなが「それなりに」楽しめるようなものがそろっている、、、という自負があるから。

ただ、美女ポスターだらけの部屋を見て、友人女子やデルヘル嬢の多くは、

「結局、誰でもいいってわけ?」

と、無粋なことをいいやがる。

いやいや。
それだけ魅力的な女子が多いってことでしょうよ。

それは、ガキのころに夢中になった「アイドル系」映画スターにも当てはまる。


わざわざ「アイドル系」を強調するのは、これから挙げる映画スターたちが、母国では必ずしもスターでなかったから。

いや「必ずしも」ではなく「もれなく」かもしれない。


これから挙げる・・・って、ひとりじゃないのって?

だからいったじゃん、魅力的な女子が多いと。


アリッサ・ミラノ・・・『コマンド―』(85)で、シュワ氏の娘役を演じたことで知られる。
というか代表作はこれしかないのだが、10代なかばのころ(なぜか)日本でのみ人気が出て、CDデビューを果たし、さらにテレビCMにも出演した。




グロリア・イップ・・・日本・香港合作の『孔雀王』(88)でアシュラ役を好演、やはり日本でのみ人気者となり、それに驚いた成龍が自作『奇蹟』(89)のヒロイン役に抜擢した。
人気が出るとCDを出させるのが当時の日本の流行だったのか、彼女もまた(思い入れもないであろう原宿をテーマに)歌い、そして、ファンクラブの集いまで開催された。



シンシア・ギブ・・・80年代の米国製青春映画でヒロインを演じ、母国でもスターになる可能性はあったものの、振るわず。
しかし日本での支持は高く、『ロードショー』の表紙を何度も飾った。




そして、トップ画像のジェニファー・コネリー。

彼女だけはべつで、米国でも「そこそこ」の人気はあった。

が、それでもパッとはしなかった。

女優開眼を果たすのは、それからずっと先、2000年に発表された『レクイエム・フォー・ドリーム』からだった、、、といえよう。


つまり夢中になった「映画スター4人」とも、あえて悪くいうが・・・
日本のメディアが「なんとなく作りあげた」アイドルだったのかもしれない。

もちろん非はないよ、彼女たちに。

「作りあげた」といっても、実際に自分や、その他大勢の「アイドル好き」は夢中になったんだし。


輝きたいひとと、輝かせたいひと?(話題を作りたいひと)と、それに乗っかるウチらと。


ある意味で、ウィンウィンウィンな関係かなぁ。。。


おわり。




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明日のコラムは・・・

『楽しい恋愛バカヤロウ』
コメント (2)
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