Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

生ゴミの出す生ゴミ

2013-02-28 00:15:00 | コラム
映画小僧を自称したのは18歳のころだから、既に20年が経つ。

その名に恥じぬよう日々精進を続けているつもりだが、
そのほかにも格闘技オタクやらAV狂やら脚キチガイやらを自称、
もっと品のないものになると、ザーメン野郎とかカウパー王子とか、
また、バイト先で知り合った男ふたりとトリオを組み、生ゴミ集団(=トップ画像)を名乗ったこともあった。

つまりどちらにせよ、キッタネー男子であると。

その道を究めまくったのか―というと疑わしいところもあるが、まぁ嘘ではない。


自分を自分の名前以外で名乗るようになったのは、いつごろだったか・・・と自分史を回想すると、中学3年の夏に行き当たる。

当時100kg前後あった肥満児の自分、ホームルームかなにかで「未来の小錦、まっき~です」と発してみたのだが、これが自分史上で最も笑いを取ったのである。

そーとー気持ちよかった。

そうして気づいた、自虐のパワーというものを。

そういうことをいっていいタイプといってはダメなタイプが居るが、自分は確実に前者であると。
そういう星のもとに生まれてきたのだと。

以来、異性はともかく同性には確実に受ける、きったなくて救いのない自称・名乗りを繰り返してきた。


んで、生ゴミ集団について。

10年とちょっと前―まだ牛丼の並が400円だったころの「すき家」で知り合ったヤツラだが、
中央のHくんは同じようにAVを愛するものだったはずなのに、現在では起業家となり、就活生をサポートする「リクルーティング映像プロデューサー」を自称している。
右のМくんも、やはりケータイの小さい画面でナニをナニするほど自慰に精通していたはずなのに、先日、えれー美人の奥さんをもらった。

生ゴミは生ゴミ、再利用なんか出来ない―と強がって? はみるものの、ふたりは「古紙」あたりに進化して再生可能になったのかもしれない、、、などと思った。
生ゴミのまんまは、自分だけじゃないかと。

もちろん卑下はしていない。
かといって彼らを裏切ったと罵りたいわけでもない。

変わるヤツも居て変わらないヤツも居て、この世は面白いなって話である。

そんな生ゴミ野郎の出す生ゴミは、独り暮らしのクセして異様に多い。

町田市はごみ減量の一環として専用のゴミ袋を販売しているが、それの最大サイズを利用しているし、それが毎回パンパンになる、、、だけでなく、一袋では足りず、二袋出す場合もある。
週に3回も回収しにきてくれるのに、繰り返すが、独り暮らしだというのに。

喰う量も出す量も一般家庭並み―ということなのだろうが、ゴミ集積場で同じ棟の奥さんに会うと、きまって驚かれる。

「よく出したわねー」って。

このことば、ちがうケースで、若い女子にいわれたいものだが・・・って、どこからか「またそういう話かよ!?」とウンザリするような声が聞こえたので、よしておこうか。

ともかく出し過ぎである。
このネット空間にだって駄文をまき散らしているわけで、それだけで充分なんじゃないかと。

自身の減量はうまくいったんだから、ゴミ減量もしないとね。

エコとか地球にやさしく―というのは柄ではないのだろうが、ゴミ袋10枚で600円くらいするし、なかなかの出費なのである。
頑張れば1年で10枚くらいは減らせると思うし、その浮いた金でエロ本でも買ったほうがいいじゃないか。

・・・って、結局はそういうゴミみたいなオチなのであった。


※彼らも「はきだめの犬たち」、まぁゴミのような連中というタイトルで。
QTオスカーおめでとう! 特集。




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39歳のグローイング・アップ

2013-02-27 00:15:00 | コラム
前胸部、胸骨下部に感じられる焼けるような感じを“胸やけ”という。
胃液、十二指腸液の食道内逆流による食道粘膜への刺激、食道下部の内圧亢進による拡張あるいは逆蠕動(ぜんどう)などに原因が求められている。(世界大百科事典)

まぁ簡単にいえば胃酸の逆流で、食べ過ぎなどが原因で胃酸が大量に分泌され、食道まで逆流してくる―という現象、、、と分かったように記しているが、こういう経験がなかったものだから、この感覚がよく分からなかった。

分からなかったのだが、先日、それになった。胸やけに。

勃起を経験する前に勃起ということばだけを知っていた少年時代、初めてカチンコチンになった晩は「これか! これが勃起なのか!!」と大人になった気持ちがして三度涙を流したものだが、その感じに似ている。
三十九にして、ようやく胸やけを経験したぞ! 精神に毛が生えたぞっ!! って。

完全なバカヤロウだが、思い当たるふしはある。

マクドナルドのテイクアウトで、
アイダホバーガー1、てりやきマックバーガー2、えびフィレオ1、ポテトL2、ナゲット10個、メープルカスタードパイ2、ブルーベリーシェイク1・・・
を、注文したんだよね。

ひとり、なのに。

それをビールで流し込むと。

べつに初めてのことじゃない。
なのに胸やけに襲われたということは、自分がそれだけ歳を取ったということじゃないか。

ショックを受けねばならぬところ・・・なのだろうが、なぜだか感激した。
胸やけしているからムナクソは悪いわけだが、と同時に、これもまた成長にちがいない! と。

白髪が生えてきて同じように喜べるかは疑問である。
尿の切れが悪くなるのもショックだろう。
勃たないとなったら、この歳にして引きこもりになるかもしれない。

だけれども、どういうわけか胸やけはうれしい。

自分もマトモなヒトだった―ということの証明? である気がして。


「やったこと」「なったこと」がないことは多い。

「すべての映画を制覇することは無理」とデ・ニーロがCMでいっていたが、ほんとうにそうで、アレシタイコレシタイと思っていても、ひとは、その数%しか実際には体験出来ないものなのだろう。

『ツイン・ピークス』(89~91)のクーパー捜査官が撃たれたとき、意識を失う前に「リンドバーグ誘拐事件は、僕が解決したかった」と発するシーンがあって、こういうのはいいね、格好いいねと思ったものだが、じゃあ自分はなにがしたいのか―と考えてみたが、

風俗ではないところで3Pしたい―トップ画像は、そういう描写のある新作映画『野蛮なやつら』―とか、どうせなら4Pしたいとか、
愛液のプールに入りたいとか、
美脚女子に三角絞めをかけられたいとか、

まーーーーず、ろくなもんじゃない。

格好いいことをいってもいいのだけれどね、無理をするとボロが出るだろうし。
10年前であればネット上とはいえ、そこまで開き直れなかったはずで。

つまりそういう意味? においても、大人になったんだな。

なるほど、「四十にして惑わず」だ。

孔子ってやっぱりすげぇな、昔のひとなのに、、、という話である。


そうか??

ただそんな自分が五十になってどんなことをいっているのか、ちょっと怖い気もするのだった。


※じゃあ、アレシタイコレシタイな、ブルーハーツの曲を




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Goldfinger、2013

2013-02-26 00:15:00 | コラム
~米オスカー賞、総括~

ぬいぐるみのテッド登場は「あり得る」とは思っていたが、まさかミシェル・オバマまでプレゼンターとして登場するとは思わなかった。

この華やかさ、さすがハリウッドである。

だから日本側ゲスト、前田あっちゃんのコメントがシロートと変わらなくても許せる。(その代わり、三谷幸喜がオモシロコメント連発してくれたし)


以下、印象的だったエピソードを書き出してみる。

(1)司会セス・マクファーレンのアメリカン・ジョークは「冴えまくった」とまではいかないが、とくに時間的余裕のある前半に見応え、、、ではなく聞き応えがあった。

タランティーノは黒人に対し「N」(=Negro)のつくことばをよく使う・・・という発言は、まさに「すれすれ」だろう。

(2)いちばん笑ったのは、マーク・ウォールバーグと「ぬいぐるみ」テッドの会話。

「授賞式後の乱交パーティはどこで開かれる?」
「そんなもの、ないよ」
「俺はテクニックもあるし、つまみも用意するから教えてくれよ」
「ジャック・ニコルソンの家だよ」

これも「すれすれ」だ笑

(3)出演者が続々登場した『レ・ミゼラブル』のショウも、アデルの『スカイフォール』熱唱も素晴らしかったが、
最もこころを打つパフォーマンスは、シャーリー・バッシーによる『ゴールドフィンガー』か。

『007』トリビュート企画、誰がなにを歌うのか―『ユア・アイズ・オンリー』だと思っていたのだが、そうか、金のオスカー像から連想して『Goldfinger』だったのね!

(4)最も感動的なスピーチは、自分も映画小僧として受賞を願っていた作品賞の『アルゴ』、そのベン・アフレックによるスピーチ。

若造のころ、
親友のマット・デイモンと脚本賞を受賞したベンは、俳優としての親友の完璧過ぎるキャリアをどう思っていたことだろう。
翻って自分は大根と揶揄され、出演作がラジー賞(最低映画賞)に輝いたこともある。

倒れても、また立ち上がって・・・というニュアンスのスピーチは、教科書的に聞こえるが、いやいや、ベンだからこそリアリティがあって、胸に響いたよ。

おめでとう、ベン。


で、自分の予想は、、、というと。

的中率、ちょうど50%。

・・・・・映画小僧として、面目ないというか汗汗汗


<主演男優賞>
ダニエル・デイ=ルイス 『リンカーン』

<主演女優賞>
ジェニファー・ローレンス 『世界にひとつのプレイブック』

<助演男優賞>
クリストフ・ヴァルツ 『ジャンゴ 繋がれざる者』

<助演女優賞>
アン・ハサウェイ 『レ・ミゼラブル』

<監督賞>
アン・リー 『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』

<作品賞>
『アルゴ』


<オリジナル脚本賞>
『ジャンゴ 繋がれざる者』

<脚色賞>
『アルゴ』

<長編アニメ賞>
『メリダとおそろしの森』

<撮影賞>
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』

<編集賞>
『アルゴ』

<美術賞>
『リンカーン』

<衣装デザイン賞>
『アンナ・カレーニナ』

<メイクアップ&ヘア賞>
『レ・ミゼラブル』

<音響編集賞>
『007 スカイフォール』
『ゼロ・ダーク・サーティ』

<音響調整賞>
『レ・ミゼラブル』

<視覚効果賞>
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』

<音楽賞>
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』

<歌曲賞>
“Skyfall” 『007 スカイフォール』

<長編ドキュメンタリー賞>
『シュガーマン 奇跡に愛された男』

<短編ドキュメンタリー賞>
『Inocente』

<短編アニメ賞>
『Paperman』

<短編実写賞>
『Curfew』

<外国語映画賞>
『愛、アムール』





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シネマしりとり「薀蓄篇」(32)

2013-02-25 00:15:00 | コラム
まん・おん・ざ・「むーん」→「むーん」りっとないと(ムーンリットナイト)

流行といっていいのかどうか、
90年代にエイズ、あるいはHIVを扱った映画が続々と制作された。

実際にエイズ患者、HIV感染者が異常に増えた時期であり、映画が社会の鏡といわれるのは、そうした背景を貪欲に取り入れる「体質」があるからだろう。

そういった視点で捉えると、90年代に比べてエイズ/HIVを扱った映画が少なくなった現代というのは、この問題が解消されていっているのか・・・というと、そんなこともない。

日本でも陽性反応が出る若者が多いと聞くし、(エイズの場合は)セックスを介する感染症ゆえ、癌には見られない偏見という大きな壁が患者を苦しませる。


映画のなかで描かれたエイズ―そんなテーマでひとつ選ぶとするならば、意外と思われるだろうが『フォレスト・ガンプ』(94)を挙げる。

ガンプの永遠の恋人であったジェニー、彼女は病に倒れ短い生涯を終えるが、それがエイズ「らしい」のである。
「らしい」のだが、そうだとは描かれていない。
描かれていないが、きっとそうなんだろうと思わせる。ラブ&ピースな時代を生きたジェニーは、ジェニーだけを想い続けたガンプとはちがい、カジュアルセックスな日常を送っていたのだから。


ハーモニー・コリンを一躍有名にした『KIDS』(95)、
トム・ハンクスの熱演が印象に残る『フィラデルフィア』(93)、
ペネロペ・クルスがHIV感染症の修道女、しかも妊婦という複雑なキャラクターを好演した『オール・アバウト・マイ・マザー』(98)、
二重苦・三重苦に悩まされるヒロインはエイズにも苛まれる『プレシャス』(2009)、
エイズになっても彼女を愛し続ける『ユア・マイ・サンシャイン』(2005)などなど、

メインテーマとしてエイズ/HIVを中核に置く映画もあれば、そうでない映画もある。

この難しいテーマに初めてきちんと向き合った映画は『ロングタイム・コンパニオン』(90)―だと思っていたのだが、その前年、イタリア・フランスが合作した『ムーンリットナイト』(89)という作品が公開されていた。

出演はルトガー・ハウアーとナスターシャ・キンスキー、さらにピーター・オトゥールが脇を固めるという、なかなかに豪華な布陣。

ルトガー・ハウアーは新聞記者ジョンを演じる。
彼はエイズ感染者を偽り、周囲がどんな反応を示すか―という差別意識の調査をしている。
だが、かつて「月の美しい夜」(=原題、On A Moonlit Night)に一度だけ関係を持ったことがある知人がエイズで死んだことを知り、不安を抱いたジョンは検査を受ける。すると・・・という物語。


ゲイであるとか、性生活が荒んでいるとか。
身体に触れただけで感染するとか。

自暴自棄になり、ヤリまくって仲間を増やしてやろうとか。


謎の、恐怖の奇病というイメージが未だ残る厄介な病だが、
とりあえず少年少女にいっておく。

コンドームは、ちゃんとつけようね。
ナマのほうが気持ちいいのは分かる、面倒であることも分かるけれど。

まちがっても、『KIDS』の主人公のような振る舞いをしてはいけないよ。


※この映画も忘れるわけにはいかない。
「きょう、あの子の大事な親友が亡くなったの。葬式に行かせてあげて」「もうひとつ、今度あの子に手を上げたら、あなたを殺すわよ」

他人の母親に実子のことをこんな風にいわれたら、かーちゃんも変わるわよね。

ブレッド・レンフロって、もうこの世には居ない―という現実が未だピンとこない、『マイ・フレンド・フォーエバー』より





次回のしりとりは・・・
むーんりっとない「と」→「と」にー・もんたな。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(31)

2013-02-24 00:06:57 | コラム
たーる「まん」→「まん」・おん・ざ・むーん(マン・オン・ザ・ムーン)

「―この結末をひとびとは理解し難いかもしれないが、認めざるを得ないはずだ」

といったのは、映画『セブン』(95)の犯罪者ジョン・ドゥだった。

自分で犯した罪を俯瞰してのことばだが、

時代が追いつかないというか、
早過ぎたというか、
理解され難い表現者というのが、ごく「たまーに」出現する。

ひとびとはそれを見て「わけがわからん」とはいうが、凡庸と捉えているわけでもない。
すごいとは思うけれど、そのよさは分からない―といったような評価で、ドゥのいうとおり、認めていることは確かなのだった。(もちろん、犯罪と表現はちがうけど)

映画の世界でいえば、映画文法を壊してみせたゴダールとか、登場するのが「やや」早過ぎた天才なのだと思う。

ただ「やや」と強調したように、時代が「ぎりぎり」追いついたようなところがあって、だからこそゴダールは「神」扱いされたのである。

「やや」ではなかったため、「ぎりぎり」にもならなかった表現者―は、挙げ切れないくらいに存在する。

ややこしい感じに書かず、単に「才能がない」と書けばいいじゃないかって?

まぁそうなのだが、ひょっとしたら来年「火がつく」かもしれない。
再評価ではなく、初めて評価されるかもしれない、本人の死後だというのに・・・。

コメディアンのアンディ・カウフマンは、そのうちのひとり。
理解者・支持者が居なかったわけではないが、評価されたとまではいえない孤高のアーティストである。

彼は癌が見つかるが、攻撃的な芸風が変わることはなく、常に新しい笑いを求め続ける―そんなイキザマを描いた映画が、『マン・オン・ザ・ムーン』。
『アマデウス』(84)で有名なミロシュ・フォアマンが99年に放った、切ない伝記映画だ。

カウフマンを演じたのはジム・キャリーで、コメディ中心だったキャリーの映画キャリアが変わりつつあったころの代表作となった。

この映画を観ても、カウフマンがどう面白いのか、才能があったのかなかったのか、よく分からない。
それはそうで、120分のドラマで説明がつくようであれば、彼はもっと人気を得られたはず。そうはならなかったから映画として面白いというか、
ただそれでも、いいな、羨ましいな、、、と思えるのは、カウフマンには理解者が居たということ。

それがリン夫人。

リンを演じるのは、フォアマン監督の気に入り女優、コートニー・ラヴ。
フォアマンの前作『ラリー・フリント』(96)でもキュートな魅力を振りまいていたが、実生活でもカート・コバーン(=ニルヴァーナ)の理解者であったことから、カウフマンを信じ抜こうとする姿が嘘っぽくない。

キャリーもコートニーも、見事というほかないキャスティングだった。


90年代のミロシュ・フォアマンは、なにがあっても信念を曲げぬふたりの男―ラリー・フリントと、カウフマン―を描いた。
その代償としてフリントは銃弾を受け、代償ではなかったが、カウフマンは癌によって短い一生を終える。

信念を曲げないということの格好よさ以上に、「その過酷さ」のほうが印象に残る。

迎合「しちゃった」ほうが、楽なのに。売れるかもしれないのに。

そうしなかったというより、そう出来なかったものの物語は、異端であることの難しさと切なさを教えてくれて、胸に刺さるのだった。






あすのしりとりは・・・
まん・おん・ざ・「むーん」→「むーん」りっとないと。

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『シネマしりとり「薀蓄篇」(32)』

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