Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

来世でな。

2016-12-31 01:05:35 | コラム
みんな忙しいだろうからね、本コラムに時間を割かしてしまっては恐縮してしまう、、、ので、きのう・きょう・あすくらいは、短めにチャチャチャっと。

16年度の最後のコラムは、親愛なるデ・ニーロの画像でごあいさつ。


デ・ニーロのキャリアのなかでは「割と」ライトな物語になるだろう、『ミッドナイト・ラン』(88)。

賞金稼ぎと、そのターゲットとなった男の奇妙な友情を描いたアクション・コメディである。

ふたりのやりとりはどれも愉快だが、とくに印象に残るのは最後の「来世でな。」の台詞。


こういうことばを、実生活でサラッといえるような男になりたいものだが・・・柄じゃないか、無理だろうね苦笑


自分は、このまま突っ走ります。

来年もどうぞご贔屓に。

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明日のコラムは・・・

『17年度は、神の年 + 12月コラムの目次』
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「キャリー・ホワイトとレイア」予告篇

2016-12-30 00:10:00 | コラム
キャリー・フィッシャーが死んだ。

そのママ、デビー・レイノルズも死んでしまった。

さらに根津甚八まで息を引き取った。





それぞれについて、すぐにでも追悼文を捧げたいけど、きっちり時間をかけた、批評性のあるものを仕上げたい。

ので、それは来年に持ち越すことにした。
イイワケにはならんが、いま、格闘技取材の追い込みで、少し瘦せ始めたくらいなのでね。


キャリーについて書こうとしているのは、映画『キャリー』(76)のオーディション秘話とレイア姫誕生について。

だから、その「予告篇」としてのタイトルにしてみたというわけ。


きょうは、ただ、3人に対し合掌をしておくにとどめておきます。

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明日のコラムは・・・

『来世でな。』
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<年末企画(10)>年代別10傑 日本映画60年代篇

2016-12-29 00:10:00 | コラム
年末企画の最終回。

アップしたあとに、あぁあれも入れ忘れた、これも入れ忘れた・・・と、本気で悔やむ毎日。

それだけ傑作が多いというのは映画を愛するものとして幸福なことだけれども、自分で好きでやっといて「勝手に落ち込む」っていうのは、どうかとも思うが、これこそ映画小僧の性なんですわ。

では、いくぜ!!


(1)『天国と地獄』(63)

個人的に、黒澤の最高傑作だと思っている。



社会性と娯楽性の絶妙なブレンド、密室劇から解放されたあとのダイナミズム、完璧な画面構成、音楽の使いかた・・・などなど。

山崎努が揺する金網の音は、未だ耳から離れない。

(2)『切腹』(62)

武家社会の非人間性を告発した、唯一といっていい「社会派の」時代劇。

竹光での切腹なんて、想像するだけで恐ろしい。




(3)『豚と軍艦』(61…トップ画像)

イマヘイ今村昌平による独自ジャンル、「重喜劇」が誕生した記念碑的作品。

横須賀に豚の大群という発想そのものが痛快、そして吉村実子が抜群に格好いい。

(4)『絞死刑』(68)

怒れるオオシマが放つ、死刑制度の是非。

オオシマがほんとうに訴えたいのは、ひとがひとを殺すことではなく、「国が」ひとを殺すことなんだ。

(5)『飢餓海峡』(65)

10年にいちどくらいの確率で原作を超える映画が出てくるが、本作はその最高のケースか。

敢えて16mmフィルムを多用したりと、内田吐夢の野心が随所に感じられて感動する。




(6)『殺しの烙印』(67)

映画を「玩具」と定義する鈴木清順が、遊び心を散りばめて紡ぐ「早過ぎた」快作。

この映画に理解を示さなかったスタジオトップは、現代の感覚でいえば「無粋だ」ということになるが、当時は、ほかのスタジオであっても同じ判断を下されたのかもしれない。

(7)『おとうと』(60)

不思議な色彩を創り出した技術―銀残し―という点でも歴史に残る映画だが、物語そのものも素晴らしい。

すべてが終わったエンディングで、いつものように家事を始める岸恵子が日本的で味わい深い。

(8)『肉弾』(68)

主人公「あいつ」の視点で描かれる、先の見えない戦争とは。

大谷直子の裸身に、目が釘付けになった。



この映画と『絞死刑』を観ると、ATGのギラギラした感じが伝わってきて羨ましくもなる。

(9)『秋刀魚の味』(62)

小津の遺作。

何度か書いているように、10代のころは小津×原節子のドラマにピンとこなかった自分は、カラー化され、ヒロインを岩下志麻に変えた本作のほうが観易くて感情移入出来たのだった。

(10)『砂の女』(64)

難解といえば「超」難解、けれども映画的要素に溢れた安部公房の原作小説を果敢に映像化、結果としては大成功に導いた労作。



岸田今日子の妖しさに戦慄した。

(次点)『用心棒』(61)

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<年末企画(9)>年代別10傑 外国映画60年代篇

2016-12-28 00:10:00 | コラム
60年代後半は、映画史最大のトピックのひとつとされる「アメリカン・ニューシネマ」の時代。

夢や幸福ばかりを描いていたハリウッドの大作を全否定する―あくまでも自然発生的な流れなので、そういった共通認識があったわけではないけれど、結果論からいえば、それが一大テーマとなっていた。

だから60年代前半と、後半とのカラーがあまりにも対照的で、そういう風に眺めてみるのも面白いかと。


(1)『真夜中のカーボーイ』(69)

強者の象徴であるカウボーイスタイルが、売春の小道具と化していく。

なんとまぁ、皮肉な物語なのだろう。

それと比して、穏やかに過ぎる主題歌も印象的。




(2)『俺たちに明日はない』(67…トップ画像)

ニューシネマ誕生を告げる、記念碑的作品。

ラストの87発の銃弾ばかりが言及されるが、クライドが性不能者であったことにも注目したい。

(3)『2001年宇宙の旅』(68)

映画全体のレベルを引き上げたという意味で、SFというジャンルを越境したキューブリックの最高傑作。

初見は14インチのブラウン管。
後年、大スクリーンで触れて、自分はこの映画のことについて、ぜんぜん理解していなかったことを痛感した。

(4)『8 1/2』(63)

フェリーニが自身の脳内を映像化したような、映画的興奮に満ちた快作。

人生は、祭りだよ。



(5)『サイコ』(60)

あらゆる映画技法を駆使した、ヒッチコックの到達点。

横領した女の犯罪劇と思わせて、あの展開。

脚本の教科書としても一級品だろう。

(6)『アラビアのロレンス』(62)

砂漠の映像を観ているだけでも飽きない。


モーリス・ジャールによるテーマ曲を、オーケストラで。




(7)『ウエストサイド物語』(61)



ドラマ部分と、ダンス部分で演出を分ける。

共同監督という発想が、この映画を成功に導いたのではないか。

(8)『猿の惑星』(68)

フィクションから現実を照らしてみせる―SFの定義として、完璧な形だと思う。

分かっていても、あのラストシーンには震えてしまうのであった。

(9)『男と女』(66)

ロマンス映画に興味を抱けない自分だが、この恋愛は、素直に羨ましい!! と思えた。

一時期、アヌーク・エーメの大ファンになったんだっけ。

(10)『荒野の用心棒』(64)



90~2000年代の10傑において、イーストウッド監督作を選べなかったのは心苦しい。

この当時のイースト爺の映画を観ると、後年、これほどの監督になるとは想像もつかないよね・・・。

(次点)『鳥』(63)

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<年末企画(8)>年代別10傑 日本映画70年代篇

2016-12-27 00:10:00 | コラム
きのうの外国映画篇と同様、濃い~作品が並ぶ70年代の日本映画。
といっても一般的には「斜陽化」と評されていた時期であり、たしかにメジャースタジオが制作した映画は少ない。

その代わり元気なのが、にっかつ、であり、独立系であったと。


(1)『愛のコリーダ』(76)

76年に、なにがあったのかと思う。

単なる偶然なのだろうが、『タクシードライバー』と『キャリー』、『ロッキー』、そしてこの映画まで誕生しているなんて!!

表現を志すものとして、この映画は、そのすべてが感動的で、勇気までもらえる。

(2)『太陽を盗んだ男』(79)

闇雲なエネルギーに身体がやられ、くらくらした。

理科の教師が、原子力発電所からプルトニウムを強奪する。

荒唐無稽といってしまえばそれまでだが、原爆製造過程そのものはリアリティに貫かれ、見てはいけないものを見ている気にもさせてくれて、映画の背徳的な魅力が満載で素晴らしい。




(3)『復讐するは我にあり』(79)

映画化権を勝ち取ったイマヘイ今村昌平が、持てる力すべてを注ぎ込んで創りあげたであろう、狂人の哀しき一生。

遺骨を海にぶちまける三國連太郎の表情に、この映画のテーマが集約されている。

(4)『砂の器』(74)

原作を超えた映画という意味で、稀有なる一本。

多くの識者が指摘することだが、わずか数行の遍路描写をスケール感たっぷりに描いたクライマックスが勝因かと。

映画化に漕ぎつけるまで10年、橋本忍の執念に敬意を表したい。

(5)『新幹線大爆破』(75)

オールスターによる、アクション大作。

理屈もへったくれもない、ただただ面白い。

斜陽の時代とはいえ、このころは現代とはちがい、東宝の独り勝ちではなく松竹も東映も頑張っていた。




(6)『どですかでん』(70)

黒澤、後期の代表作。



暗いエピソードをつなぐ群像劇だが、どことなく愛嬌が感じられるのは、六ちゃん(頭師佳孝)の存在ゆえか。

(7)『仁義なき戦い』(73)

俳優全員が「ホンモノ」にしか見えないのが、すごい。
(とくに、眉毛のない梅宮辰夫!)

手持ちでブレブレのカメラが、これほど効果的な映画も珍しい。

シリーズでいえば、『広島死闘篇』(73)がいちばん好き。

(8)『家族』(70)

山田洋次による、日本では珍しいロードムービー。



10代のころ、小津と山田洋次の映画が「なんとなく」苦手だった。

専門学校時代、「半強制的」に観させられたこの作品で、苦手意識がだいぶ薄らいだ思い出がある。

(9)『十九歳の地図』(79)

負け犬を自覚する新聞奨学生が、犯罪に走る。

新聞奨学生をやっていたころに観て衝撃を受け、結果、卒業するまでに10回くらい繰り返し観るほどのバイブルとなった。

(10)『八月の濡れた砂』(71)

多くの野心的な映画というものの原動力って、怒り。なんだと思う。



(次点)『極私的エロス 恋歌1974』(74)

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