5月5日は、子どもの日。本来、未来ある子どもたちをお祝いする日ですが、今度の地震と津波では、県内でも200人以上の子どもたちが犠牲になり、さらに200人近くの安否がつかめていません。この日、私は民青同盟や新婦人のみなさんとともに、石巻市の雄勝地区へ支援物資を届けに行きましたが、最初に訪れたのが、大川小学校です。大川小学校は、今回の津波で子どもたちの死亡・行方不明者が74人、教職員の死亡・行方不明者が10人、子どもたちの犠牲者が県内で最も多い悲劇の学校となりました。亡くなられた子どもたち、教職員のみなさんのご冥福をお祈りいたします。
現場では、数台の重機での瓦礫撤去の作業が行なわれていました。たくさんのお花が添えられています。
想像をこえる津波被害のひどさです。
報道ではきいていましたが、現場に行って、まさかこれほどとは思いませんでした。これでは、とても子どもたちは逃げられなかったでしょう。どんなに怖かったのか。考えただけでも、涙が出ます。「裏山に逃げればよかったのでは」ともいわれましたが、裏山はものすごく急な斜面で、これでは子どもが登ることは難しいとも思いました。そもそも、この地域は津波予想地域に入っておらず、誰もこれだけの津波がくると予想していなかったと思われます。一緒にいった女性の方は、「宮城県が学力向上という名目で何億ものお金があるのなら、避難路をつくることにお金を出して、もっと一生懸命になっていれば、こんなことにはならなかったのに」と嘆いていました。
北上川から、内陸1キロ先まで津波が押し寄せた様子です。地元の方の話を聞くと「この地区で数百人が亡くなった」ということです。石巻市でなくなった方の数分の一がこの地区に集中しています。この光景は忘れられません。
この日は、雄勝地区の二つの避難所に、お米や野菜、飲料水、トイレットペーパーなどを届けてきました。名振コミュニティセンターでは、地域住民の方々80人近くが、力をあわせてがんばっています。まだ、電気も通じていないそうですが、ソーラー発電で自家発電をしていました。
みなさん、たいへん喜んでいただきました。
雄勝地区は、南三陸のように、マスコミに登場する機会は少ないのですが、同様に壊滅的な被害です。10メートル以上の津波が押し寄せ、湾からかなり離れた地域まで、津波が押し寄せました。これからの復興をどうするのでしょうか。