大川小学校で合掌。言葉も出ない…

2011-05-07 16:02:26 | 今日の活動

5月5日は、子どもの日。本来、未来ある子どもたちをお祝いする日ですが、今度の地震と津波では、県内でも200人以上の子どもたちが犠牲になり、さらに200人近くの安否がつかめていません。この日、私は民青同盟や新婦人のみなさんとともに、石巻市の雄勝地区へ支援物資を届けに行きましたが、最初に訪れたのが、大川小学校です。大川小学校は、今回の津波で子どもたちの死亡・行方不明者が74人、教職員の死亡・行方不明者が10人、子どもたちの犠牲者が県内で最も多い悲劇の学校となりました。亡くなられた子どもたち、教職員のみなさんのご冥福をお祈りいたします。


現場では、数台の重機での瓦礫撤去の作業が行なわれていました。たくさんのお花が添えられています。

想像をこえる津波被害のひどさです。

報道ではきいていましたが、現場に行って、まさかこれほどとは思いませんでした。これでは、とても子どもたちは逃げられなかったでしょう。どんなに怖かったのか。考えただけでも、涙が出ます。「裏山に逃げればよかったのでは」ともいわれましたが、裏山はものすごく急な斜面で、これでは子どもが登ることは難しいとも思いました。そもそも、この地域は津波予想地域に入っておらず、誰もこれだけの津波がくると予想していなかったと思われます。一緒にいった女性の方は、「宮城県が学力向上という名目で何億ものお金があるのなら、避難路をつくることにお金を出して、もっと一生懸命になっていれば、こんなことにはならなかったのに」と嘆いていました。

北上川から、内陸1キロ先まで津波が押し寄せた様子です。地元の方の話を聞くと「この地区で数百人が亡くなった」ということです。石巻市でなくなった方の数分の一がこの地区に集中しています。この光景は忘れられません。

 

この日は、雄勝地区の二つの避難所に、お米や野菜、飲料水、トイレットペーパーなどを届けてきました。名振コミュニティセンターでは、地域住民の方々80人近くが、力をあわせてがんばっています。まだ、電気も通じていないそうですが、ソーラー発電で自家発電をしていました。

みなさん、たいへん喜んでいただきました。

雄勝地区は、南三陸のように、マスコミに登場する機会は少ないのですが、同様に壊滅的な被害です。10メートル以上の津波が押し寄せ、湾からかなり離れた地域まで、津波が押し寄せました。これからの復興をどうするのでしょうか。


民青時代の仲間の訪問を受けました

2011-05-07 15:49:18 | 今日の活動

今日は、民青時代のなつかしい仲間の訪問をうけました。いま、党の新潟県委員会で常任委員を務めている武田勝利さんが、新潟県党の支援物資と義援金を携えて、駆けつけてくれました。私と武田さんは、民青同盟の同時期に県委員長をつとめ、同じ時期に国政選挙の候補者にもなるなど、いまでもお友だちです。今日は、新潟県で一番おいしいといわれているこしひかりを150キロと笹団子を200個も届けてくれました。

私は、1時間ほど、名取市閖上の被災地を案内しました。瓦礫の片づけは、始っているとはいえ、まだまだ復興にはほど遠い状況です。新潟県の党組織は、岩手県の東部地区委員会を支援するそうです。

昨日、日本共産党の全国県委員長会議が開かれ、被災地の党組織に全国的な支援を強化する方針が確認されました。

明日は、志位和夫委員長をはじめとする党の国会議員団が、宮城県にやってきます。来週からは、全国の地方議員のみなさんも次々と被災地に入ります。

それだけに、連休返上で大忙しの毎日です。