故庄司幸助さんのこと

2011-05-18 21:46:02 | 日々のこと

日本共産党の宮城県唯一の衆院議員を務められた庄司幸助さんが、5月15日午前5時40分に永眠され、本日、告別式が行われました。93歳でした。

故庄司幸助さんは、1972年12月の総選挙で、宮城県から初めて国会に駆け上り、1979年10月の総選挙で再度、当選を勝ち取りました。残念ながら、半年後の衆参ダブル選挙で僅差で次点となり、86年の総選挙をもって、第一線からは退かれました。

私が、宮城県に来たのは、1982年でしたから、国会議員時代の庄司さんのことは、直接には知りません。

しかし、その後は、民青同盟時代など様々な場面で、庄司さんからいろいろなことを教えられました。

民青同盟の時代には、5月に毎年、「自然探検ツアー」と銘打って、舟形山や泉が岳などに行きましたが、当時、仙台のブナ林と水と自然を守る運動を立ち上げた庄司さんに案内をお願いしました。庄司さんのお宅で、庄司さん自身が撮った写真やビデオを楽しそうに語られていたことが思い出されます。

私が、初めて宮城県の小選挙区の候補者になるとき、庄司写真館でポスターの写真撮りをした後、庄司さんの書斎に呼ばれて、「加藤君は、基礎はできているんだから、候補者をやるならもっと崩した方がいい(?)」というようなアドバイスをいただきました。去年の参院選挙は、ちょっと崩しすぎたかなとも今では少し反省もしていますが、庄司さんの演説は、実にユーモアがあったことが印象的でした。

庄司さんの勉強ぶりにも感心しました。共産党の県委員会で、故服部文男先生を講師に、10年ほど前に、月に1回の資本論勉強会を行なっていましたが、庄司さんは、熱心な受講生でした。今考えると、あのとき、庄司さんは、すでに80歳を超えていましたが、毎回きちんと本文を読んできて、服部先生に質問をしているのには驚きました。

庄司幸助さんをはじめとする党の先輩のたたかいと生き方を受け継いでいけるのか、この大震災の中、さらには地方選挙が目前に迫る中、正直、不安がないといえばウソになります。でも、この大震災からの復興、被災者支援をすすめるにはどうしても大きな共産党が必要であることを多くの方々が感じています。その声に背中を押されながら、前に進みたいと思っています。