朝、いつものように新聞のテレビ欄をジロジロ見てたら、
8:30からのNHK「生活ほっとモーニング」に目が留まる。
‘がん患者と家族千人がつなぐ命のリレー▽日本初の試み’
これは先月行われた「リレー フォー ライフ」のことだなと思い、
見ました。やっぱりそのイベントだった。
がん患者たちが病に負けず前向きに生きてることを伝えるため
競技場をみんなで歩く、みたいな感じのイベント。アメリカで始まったらしい。
私は同病人のブログかなんかで知ったのが最初だった。
画面に映る患者たちの顔はどれも明るく、ともに歩くということが
病気と向き合う気持ちを前向きにしたり、亡くした人を偲ぶ家族にとっても、
他のがん患者を応援することで逆に癒されるらしく、今後このイベント、
継続するような気配もある。
有意義なんだろうな、と思ったけど、なんか釈然としない。
この「リレーフォーライフ」だけじゃなく、さまざまな病気にまつわる活動が
しっくりこないんですよ。
もとがアメリカのイベントだからか、揃いの英語ロゴ入りTシャツを着用
してたり、最近よく見かける手首にカラーバンド(今回は紫と黄)をみんなが
つけてたり、なんかよくわからない。
もちろん趣旨は素晴しいと思うし、私だって同病者と話すのは好きだから、
こうして手をつないで歩く、そしてそれが、癌になっても元気で生きられるんです、
を世間にアピールするのが悪いとは思わないけど…
がん生存者を‘サバイバー’と呼ぶんだって。
ある男患者は「私はがんを克服した」と高らかに言ってた。
別の人は「病気になると孤独を感じる。でも、ここに来ると一人じゃないと
わかる」って言ってた。
がんと闘う、闘っている、こう表現する人も沢山いた。
そうかなぁ?
がん、って闘うものなのか?
克服した、ってどういうこと?
会場には‘♪世界にひとつだけの花’が流れてた。ベタ、じゃない?
まぁ、たぶん、流派が違うんだわ。
がんになったからって、いきなり社会貢献へ走るのもどうよ?
でも、少しわかる、それ。
8:30からのNHK「生活ほっとモーニング」に目が留まる。
‘がん患者と家族千人がつなぐ命のリレー▽日本初の試み’
これは先月行われた「リレー フォー ライフ」のことだなと思い、
見ました。やっぱりそのイベントだった。
がん患者たちが病に負けず前向きに生きてることを伝えるため
競技場をみんなで歩く、みたいな感じのイベント。アメリカで始まったらしい。
私は同病人のブログかなんかで知ったのが最初だった。
画面に映る患者たちの顔はどれも明るく、ともに歩くということが
病気と向き合う気持ちを前向きにしたり、亡くした人を偲ぶ家族にとっても、
他のがん患者を応援することで逆に癒されるらしく、今後このイベント、
継続するような気配もある。
有意義なんだろうな、と思ったけど、なんか釈然としない。
この「リレーフォーライフ」だけじゃなく、さまざまな病気にまつわる活動が
しっくりこないんですよ。
もとがアメリカのイベントだからか、揃いの英語ロゴ入りTシャツを着用
してたり、最近よく見かける手首にカラーバンド(今回は紫と黄)をみんなが
つけてたり、なんかよくわからない。
もちろん趣旨は素晴しいと思うし、私だって同病者と話すのは好きだから、
こうして手をつないで歩く、そしてそれが、癌になっても元気で生きられるんです、
を世間にアピールするのが悪いとは思わないけど…
がん生存者を‘サバイバー’と呼ぶんだって。
ある男患者は「私はがんを克服した」と高らかに言ってた。
別の人は「病気になると孤独を感じる。でも、ここに来ると一人じゃないと
わかる」って言ってた。
がんと闘う、闘っている、こう表現する人も沢山いた。
そうかなぁ?
がん、って闘うものなのか?
克服した、ってどういうこと?
会場には‘♪世界にひとつだけの花’が流れてた。ベタ、じゃない?
まぁ、たぶん、流派が違うんだわ。
がんになったからって、いきなり社会貢献へ走るのもどうよ?
でも、少しわかる、それ。
発見が早くて転移も無いとか、強い精神力で前向きに日々を過ごすことができる人もいるでしょう。けれども目の前の「あとどれくらい生きられるのか?」という漠然とした不安や、手術後に待ち受けている「全て切除できたのか?この先転移はしないのか?」という恐怖で家族に当り散らす人もいるでしょう。そういう目に見えないものに対する自分の気の持ちようを、きっと『ガンと闘う』と表現するのでしょうね。5年間転移が見られなければOKという期間を無事に過ぎた時、『わたしはガンを克服した』と言うのでしょう。
泣き叫びたい、どこにぶつけたらいいのか分からない気持ちを、同じ病気を持つ人たちに打ち明け、情報を交換し、お互いに励まし合う。そうすることによって『独りじゃない』と気持ちが楽にもなるし、ご家族も一緒にはげまされて、乗り越えようという勇気がもてるのだと思います。
イベントでのお揃いのTシャツやリストバンド、流れている曲、感じ方はこれもまた人によって様々ですよね。でも、まだまだ独りでうちに籠って悩み苦しんでいる人も多いことでしょうから、そういう人たちのために、『こういうグループがあります、あなたも悩みや苦しみを打ち明けて』と、活動を知ってもらうためには大事な行事なのかもしれません。
『今生きているのは、おまけの人生』ということで、奉仕活動や芸術に目覚めたりする人も沢山いらっしゃるようですね。『生きている』ということを実感しながら生き生きされている姿をテレビなどで拝見すると、だらだらと日々を過ごしている我が身を恥かしく思います。
す様、たくさん書いてくれてありがとう。
「思いは人それぞれ」― 本当にその通りですね。あれはあくまでも私のちょっと短絡的な意見だったかも。リレーフォーライフはそれぐらい私にはわかんないものだったんだよ
設けられた舞台では講演会あり、フラダンスやゴスペル・バンド演奏などのコンサートあり、テントでは相談コーナーや日本対ガン協会に寄付されるための千羽鶴を7千羽折られたり、夜になるとトラックの回りに設置されたメッセージの込められたルミナリエに灯がともってファイナル・・と、かなり大きなイベントだった様子が映し出されていました。
一緒にしてはいけませんが、大学の学園祭などのように、その場にいたらきっと様々な家族とふれあい、バンド演奏など生の音が響いて賑やかだったのではないのかなと思います。テレビの画面を通すと、8時間のほんの一部を小出しに映し出すことになるでしょうし、音量も抑えられて臨場感もなくなるでしょう。そして歩く人たちの姿をメインに映し出していたとしたら、見る人には何を意味しているのか分からなかったかもしれませんね。
昔と違って医療もかなり進みましたから、「ガン」は闘う対象ではなく、本人と家族とが少しでも苦しまないように、どううまく付き合っていくか、というようなテーマでイベントを開催してくれたらいいのにな、とは思いますね。
もし、このイベントが近くで開催されたら行ってみたい?私はちょっと行って見てみたい
私も「闘う」はしっくりきません。 「克服」もよくわからない。 ですが、さっきたまたまTVのCMで、「風邪菌と闘っている」なるコメントがあって、力が抜けました(苦笑)。 闘うほうが性に合う人は闘うし、そうじゃないひとはそれなりに、ってことかなあ..などと思いました。
流派が違う、ってうまい表現ですね
闘いたくないもので。がんをリラックスするとか、がんを生きるとか、なら、まだ分るんだけどなぁ。
私も葉っぱさんちへ伺いました。さまざまな情報が集まる、都会のように感じられました。のんきに好き勝手なことを書きちらしていたのですが、RFLについて考えるうちに自分の考えも見えてきつつあります。また遊びに来てください。
オルゴールぴょん様もはじめまして!
「がんをリラックスする」とか「がんを生きる」っておもしろいですね。私もついつい色んな言葉を頭に浮かべてしまいました。「がんに説教する」「がんをたしなめる」などいかがでしょうか。
人は1度は死ぬんだから『がん』とだけ闘うわけにはいかないって思います。このブログは普段はもっと些末なこと書いてますが、どうぞまたお越し下さい。
末期の場合、克服は難しいので「元気な日を1日でも長く」と思っております。
そう考えると、ブログのタイトルもそろそろ何とかしないといけないのですが(^_^;)。
>>がんになったからって、いきなり社会貢献へ走るのもどうよ?
そうなんです。おっしゃる通り私は不純な動機でRFLに参加致しました。
自分では、社会貢献ともボランティアとも思っておりません。
そう言った途端に「偽善」になるような気がして(←私の場合です。他の方は高貴な理由があるのだと思います)言わないようにしてます(爆)。
音楽については、主催者側が勝手に考えたようです。
RFL・・・「大人の運動会」と言った方がいらっしゃいました。そんな感じです。
RFLについては実際に参加したわけではないので、
第一印象だけで述べるのはマズイかったかな~と思ってます。でも「大人の運動会」とはおもしろいですねぇ。運動会ならいろんな思いを胸に参加するのもわかる気がする。
ブログのタイトルはなんていうのですか?私も今ならこのブログ名にしないかも…
またお越し下さって、お話していってくださいね。