日々是好日

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佐野眞一著「阿片王 満州の夜と霧」をどう読んだか

2005-08-24 18:03:08 | 読書

440ページになんなんとする本であるがほぼ一気に読み上げた。面白かった。

「阿片王」という刺激的な命名にもかかわらず、主人公の里見甫という人物をこの本を読むまでは私はまったく知らなかった。この本によると里見氏は《関東軍最大の闇の資金源となる阿片》(129ページ)を通じて「満州の夜の帝王」と呼ばれた甘粕正彦と固く結びついていったそうである。この二人が関東軍の闇の資金源を支える二本柱と描かれているが、甘粕氏の知名度と較ぶべきもない。

里見氏は《「魔都」上海を根城にアヘン密売に関わり、「阿片王」の名をほしいままにした》とのことであるが、それほど有名な人を今頃になって知らされるという知識の空白を撞かれたことが私の読書スピードを加速したような気がする。しかしこの「阿片王」なる称号はその当時からあったのだろうか。著者の記述からはそうとも受け取られが、『アヘンの取引による関東軍の裏金作り』がその当時から大っぴらに行われていたとは思えない。『機密事項』なのではなかったのか。そうだとすると「阿片王」なる称号はフィクションとして著者が主人公に献じたことになる。

このような理屈をこねるのは「阿片王」という称号から私が勝手に期待する破天荒な人物とか豪奢な生活ぶりがこの書では不在なのである。もちろん著者があの佐野眞一氏だからノンフィクション仕立ては当然のことであるが、それならそれでタイトルに「阿片王」は不要、「満州の夜と霧」で十分ではなかったか。「阿片王」はフィクション仕立てにして欲しいと思った。

「故里見甫先生 遺児里見泰啓君後援会 奨学基金御寄付御願いの件」という二枚綴りの『芳名録』には岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、佐藤栄作と云った錚々たる顔ぶれが発起人に名を連ねており、その総数は百七十六名になる。いわばこれが「舞踏会の手帳」で著者はリストの中で身元の判明した人物をインタビューして里見甫という人物の実像に迫ろうと試みたのである。

その取材の過程そのものがこのノンフィクションの主要な内容なのである。次から次へと人と人との繋がりが展開していく。佐野氏の筆致は冴え渡る。歴史上の人物も「モグラ叩き」のように出没する。同時代を生きてきた私に身近だった人物が思いもかけない形で舞台に登場してくる。そのようなことで私はゴシップを楽しむ読み方に徹した。

たとえば里見甫氏と東条英機元首相の繋がりが面白い。

《(里見甫は)大連では、東条英機さんともお付き合いがあって、満州に渡ってきた東条さんの息子さんを家であずかっていたこともあるそうです》(302ページ)。著者の考察ではこの息子が《長男の英隆であることはほぼ間違いない》そうである。英隆氏といえば時々テレビに出られる東条由布子氏のご父君である。

そしてこのような行がある。《里見の甥の里見嘉一氏によれば、里見と親しかった日本画家の父親は、里見本人から直接聞いた話として、「戦時中、東条には小遣いを随分やっていた」という話をよくしていたという。》
さらに細川護貞日記にも《(前略)里見某なるアヘン密売者が、東条に屡々金品を送りたるを知り居るも(後略)》とあるらしい。(174ページ)

要するにアヘン取引の上がりが東条元首相に流れている、というのである。

ところが後段で里見氏へのインタビュー記事が引用されている。
《[問]東条元首相に、多額な金額を贈与したという話もあるが。
 [答]アヘンの金は興亜院が直接管理していたので私はその行方については何も知らない。個人で贈ったことは全くない。》(251ページ)

著者は里見氏を一貫して正直で包み隠すというところがない人物として評価している。だから『伝聞』ではないこの里見氏の直接の発言が真実なのであろうか。

この東条元首相の私設秘書であった若松華瑤氏も『芳名録』に名を連ねる一人であるが、彼の娘さんがかって私の大好きだったタイガース土井垣武氏の夫人だった、なんて話に人の繋がりの不思議を覚えた。

人様ざまの読みようがあるが、関東軍とアヘンの故郷であった満州帝国を敗戦後10年足らずして起こった日本の高度経済成長のグランド・デザインと見なす著者にとって、「阿片王」は本題「満州の夜と霧」の下敷きなのであろう。