日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

高校野球と総選挙を較べてみたら ― 『地方選挙区廃止』こそ究極の小泉構造改革

2005-08-18 16:16:03 | 社会・政治
試合そのものをテレビで見ることは少なくなったが、今、甲子園で繰り広げられている高校野球の結果だけは必ずニュースで見る。そして久しぶりに心がわくわくするチームに出会った。長崎代表の県立清峰高校である。春夏通じて初陣の県立高校ながら春の選抜大会優勝の愛工大名電を第一回戦で破り、第二回戦では昨夏準優勝の済美も一蹴、第三回戦では優勝候補の一つ大阪桐蔭に敗れたものの、最後の九回で一打逆転もありえた一死満塁まで攻め立てた清峰に心から拍手を送った。

清峰は長崎県佐々町にある県立高校だそうである。そして出場選手全員が地元出身、正に『地元代表』に相応しいと云えよう。そこでふと思った。間もなく行われる総選挙でも地方選挙区選出の衆議院議員はいわば『地元代表』のようなもの、となると高校野球の後は同じ感覚で総選挙を楽しめばよい。高校野球には応援団が、総選挙には後援会が『試合』を盛り上げてくれるだろう。

ところが、である。高校野球と総選挙について少し実情が分かってくると『地元代表』を両者の共通項と見たのはどうも私の思い違いだったようである、高校野球についても総選挙についても。

まず高校野球について。

この夏の大会出場49校のうち他の都道府県の中学出身者がいないのは19校に止まり、今や地元の選手だけの出場校は少数派になっている。多数派は強い選手を地域外から集めてきているらしい。野球留学といえば聞こえが良いが、野球で名前を高めようとする学校とそれを足場としてあわよくばプロの道に進もうとする生徒との利害関係が一致して、能力のある生徒は出身地に関係なく野球有名校に進学するのが当たり前になっているのである。

夏の甲子園が始まったのはかれこれ90年前、その頃の出場校は名実共間違いなく『地元代表』であっただろう。しかし選手の出自にグローバル化の進んでしまった現在、各都道府県で行われるトーナメントは『大会出場校』を選ぶ単なる『便法』と化しているにすぎないのであって、地元の人々にとっても出場校は『傭兵チーム』なのである。しかしせいぜい高校野球のことゆえ『地元代表』の要件にあまり目くじらを立てるのもどうかという気がする。

次は総選挙である。

私には『地方選挙区』選出の国会議員がこの高校野球の『地元代表』に重なってみえたのだか、これも早合点であった。と云うのは『郵政民営化』に反対票を投じた東京第十区選出の小林興起前議員の対抗馬として小池百合子環境大臣が候補者に擁されることになったニュースを思い出したからである。小池氏といえば比例区近畿ブロックで選出された前議員、なぜ近畿出身の小池さんが東京から出馬できるのだろう、と政治音痴の私に疑問が生じたのである。そう言えば『郵政民営化』反対前議員への対抗馬として取りざたされている方々は、問題の選挙区とは無関係な住所に、極端にはアメリカにさえ住んでいるのである。不思議だな、と思った。でもそれは私の無知に由来する疑問に過ぎず、国会議員の被選挙権は満25才以上の日本国民に認められそれ以上の条件例えば住所規定などはない。その区域に3ヶ月以上住所をおいていること、と条件が加わるのは地方公共団体の議員の場合に限られるのであった。

国会議員になりたければ日本のどの選挙区からでも自由に立候補してよかったのだ。それなのに何故私が総選挙では『地元代表』を選ぶもの、と思いこんでいたのだろう。それには『世襲議員』の存在が大きかったのである。『世襲議員』こそ正に『地元代表』ではないか。

ここに2003年11月の総選挙で選ばれた480人の衆議院議員のうち185名が二世三世などの『世襲議員』であるとの調査結果がある。実に全議員のほぼ四割が『世襲議員』、やっぱり多い。しかしいったん疑問にぶつかると現行の選挙制度で選ばれた『世襲議員』は憲法違反の存在のように私には思われてきた。

『世襲議員』は『後援会』不即不離の関係にある。最近の例では《小選挙区からは立候補しない意向を表明している自民党の橋本龍太郎元首相(衆院岡山4区)の後援会は(8月)13日、地元の岡山県倉敷市で幹部会を開き、橋本氏の後継として、次男で三菱総合研究所社員の岳(がく)氏(31)の擁立を全会一致で決めた。自民党県連は近く、岳氏の公認を党本部に申請する。》とのこと。

この後援会は岳氏の前には龍太郎氏の久美子夫人に立候補要請をしたらしい。久美子夫人が断ったものだから岳氏に話を廻す。何が何でも『世襲議員』を作りたいらしい。候補の国政に携わる経綸の才をどのように見極めたのか曖昧だが、ここに厳然と『門地』が選挙を支配している事実がある。

日本国憲法《第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない》が空しく響く。

国政を『後援会』支配から解放するために『後援会』は一代限りにしなくてはいけない。その実効を挙げるためには、引退・死去した議員の血縁者(その範囲は適切に定めるとして)は同じ選挙区はもちろん同じブロックからの立候補を認めてはならない。

そもそも『地方選挙区』はどのような目的のために設けられているのだろうか。私には『世襲議員』擁護のためとしか思えない。国政は今や政党政治に依って動かされている。有権者が選ぶのは政党であって一個人ではない。高校野球と同じく『地方選挙区』を議員選出の便法として暫定的に利用するとしても、ゆくゆくは『地方選挙区』を完全に廃止して総選挙は政党別比例代表制一本槍にすればよい。そうすれば一票の格差は解消するし、衆議院の議員総数も大幅に削減して200議席ぐらいにしてしまえばいい。

政党別比例代表制の最大の難点は候補者選びである。それは衆知に期待すればよい。

旧い自民党をぶっ壊した小泉首相の構造改革の総仕上げは地方選挙区の廃止がもっとも相応しいような気がしてきた。